【絵本の紹介】「くじらの島」【297冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

6434人の死者を出した阪神淡路大震災は、今日で発生から24年となりました。

今回はあの震災で亡くなった童話作家・なるみやますみさんが遺した物語に、末崎茂樹さんが絵を添えて出版された絵本を紹介します。

くじらの島」。

作:なるみやますみ

絵:末崎茂樹

出版社:ひくまの出版

発行日:1997年6月

 

なるみやさんは1964年生まれということですから、30歳そこそこの若さで命を落としたことになります。

娘さんを遺し、夫と共に震災の犠牲となりました。

この絵本を含め、何冊かの作品が没後に出版されました。

 

この「くじらの島」は、一見楽しい冒険メルヘンのように思えますが、最後まで読むと胸が詰まるような切ない、しかしどこか厳粛で美しいラストシーンに辿り着きます。

作者があまりにも早く亡くなられたことを思い起こすと、この絵本に込められた非常に強いメッセージ性に改めて胸を衝かれる気がします。

 

まだ子どもなのに、普通のくじらが十頭集まってもかなわないくらい大きなくじらの「ノロ」。 

それだけ巨大なら、さぞかし仲間から頼られ、畏れられているだろうと思いきや、ノロは仲間はずれのいじめられっこ。

母親でさえ「どうしてこんなに大きくなっちゃったんだろうねぇ」と持て余し気味。

でも、ノロはとてもやさしい心の持ち主で、自分が巨大すぎるゆえに周囲への迷惑を考えて遠慮ばかりしているのです。

いくらいじめられても仕返しなど考えもしないどころか、自分が群れの足を引っ張っていると考えたノロは、ある夜にそっと群れを抜け出し、旅に出ます。

広い世界のどこかには、自分を受け入れてくれる友達がいるかもしれないという希望を抱いて。

けれども、あまりにも大きすぎるノロはどこへ行っても怖がられ、化け物扱い。

たった一羽、自分を怖がらずに話しかけてくれた渡り鳥に話を聞き、ノロは楽園のような南の島を目指すことにします。

 

辿り着いた島は本当に美しい場所でした。

ところが、島の動物たちは化け物くじらがこの島を狙っていると思い、一斉に石をぶつけます。

かえれ! かえれ!

浴びせかけられる罵声と怒声。

 

ノロの弁解も、渡り鳥の擁護も、島の動物たちは聞く耳を持ちません。

とうとうノロは涙を流しながら島に背を向けます。

傷ついたのは身体よりも心でした。

 

その後、辺りの海はひどい嵐に見舞われます。

自暴自棄になって雨に打たれていたノロのもとに、あの渡り鳥が飛んできます。

たすけて。島のみんながたいへんなの

 

必死の懇願に、死にかけていたノロの心に熱い気持ちが蘇ります。

ノロは島に引き返し、大波に呑まれそうになっている動物たちを自分の背中に乗せ、懸命に嵐の中を泳ぎます。

 

やっと嵐が去った後、島の動物たちが口々に感謝と謝罪の言葉をかける中で、ノロはそっと目を閉じます。

力尽きたノロは、そのまま二度と目を開きませんでした。

打ちひしがれる動物たちの前で、ノロの背中から、小さな白い花が咲きます。

 

時が流れ、今ではノロの体は花でいっぱいの島となり、動物たちの楽園となりました。

 

★      ★      ★

 

巨大さ・強さゆえに異端視され、恐怖心から疑心暗鬼に駆られた大衆から迫害される様は、ガリバーを思わせます。

しかし、この切なすぎる結末には「本当にこれでよかったの?」と呟きが漏れてしまいます。

 

当節、聖人のごときノロのキャラクターは一般的に支持されないような気がします。

今の世の中は「黙っていい人」でいれば際限なく追い立てられ、利用され、居場所すら奪われてしまいかねません。

 

個人的な印象ですが、昨今「復讐」をテーマにした様々な作品を目にします。

世間はただ黙って耐える「いい人」な被害者には冷淡で、加害者を徹底的なまでに攻撃し、破壊し、自らの罪を骨身に沁みてわからせるといった物語に喝采を送るようです。

 

確かに世の中には裁いても裁ききれないような悪が存在し、放っておけばどんどん浸食してくるように思えます。

「いい人」でいるだけではダメだ、という声が出てくるのも当然の流れかもしれません。

 

しかし翻って、「悪に正義の鉄槌を」と叫ぶ人々に埋め尽くされた世界を想像してみると、それはそれで地獄のような気もします。

 

身をもって「平和と愛」を示したノロの自己犠牲は、現代では評価されない行為かもしれません。

けれども、自らが震災による尊い犠牲となった作者を思う時、この結末は動かしがたいものとして心に響くのです。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

聖人度:☆☆☆☆☆

 

関連記事≫絵本の紹介「ゆずちゃん」

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「くじらの島

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

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【絵本の紹介】「ガンピーさんのドライブ」【296冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

新年を迎えたばかりで、また絵本作家さんの訃報が届きました。

1月4日、イギリスを代表する絵本作家、ジョン・バーニンガムさんが逝去されました。

 

このブログでも何度か取り上げていますが、そのユーモラスで飄々とした作風の絵本作品はもちろん、人間としても非常に興味深い人物です。

彼は少年時代、9つもの学校を転々としましたが、そのうち2校が私が本を読んで感銘を受けた人物の創設した学校だったのです。

ひとりはアレクサンダー・サザーランド・ニイルで、もうひとりはルドルフ・シュタイナーです。

彼らはそれぞれ思想は違えど、子どもの教育において「自由」の理念を掲げた点で、その時代では大変に進歩的な教育者でした。

 

子どもを「矯正」しようとする教育ではなく、子どもを認め、尊重し、その主体性を伸ばそうとする彼らの姿勢と、そして真に問題なのは子どもではなく親であり、教育者であり、周囲の大人なのだという視点は、私の育児観の基礎となっています。

 

そうした学校で少年時代を過ごしたことがバーニンガムさんの作品にとってどういった影響を与えたのかはわかりません。

それでも私には確かに、彼のすべての絵本に流れる子どもへの眼差しの中に、温かい光を感じることができるのです。

 

今回は追悼の意を込めて、「ガンピーさんのドライブ」を紹介します。

作・絵:ジョン・バーニンガム

訳:光吉夏弥

出版社:ほるぷ出版

発行日:1978年4月10日

 

ケイト・グリーナウェイ賞を受賞した傑作「ガンピーさんのふなあそび」の続編になります。

関連記事≫「クシュラの奇跡」

 

バーニンガムさんは自伝「わたしの絵本、わたしの人生」の中で、自分の外見が日々ガンピーさんに似てきており、どうやらガンピーさんは自分自身の将来を暗示したキャラクターだったらしいと述懐しています(ちなみに、同書にはバーニンガムさんの若い頃の写真もありますが、めちゃくちゃカッコイイです)。

 

外見だけではなく、ガンピーさんはもしかするとバーニンガムさんそのものなのではないかと私は思っています。

絵本に登場する大人の中で、私が尊敬するキャラクターと言えば、真っ先にこのガンピーさんを思い出します。

「ふなあそび」で見せた彼の懐の深さと、押しつけがましくない理解と優しさには、何度読み返しても深く感じ入ってしまうのです。

彼こそが本物の大人だと思います。

さて、今回はガンピーさんは愛車でドライブに出かけます。

この車のモデルになったのは、作者の最初の車、1934年型幌付きオースチン・セブンだそうです。

車に疎い私にはさっぱり。

 

「ふなあそび」では順番に登場した子どもたちや動物たちが、一度に出てきて「いっしょに いっても いい?」。

もちろんガンピーさんは「いいとも」。

だけども、ぎゅうぎゅうづめだろうよ」。

 

子どもたちはそんな言葉はお構いなしに「どやどや」乗り込みます。

快適で楽しいドライブ。

テンポのいい文章と風を感じるイラストに、読んでいるこちらも浮き浮きしてきます。

 

が、前方に灰色の雲が広がり、物語の波乱を予感させます。

果たしてどしゃぶりの雨が降り出し、自動車はぬかるみにタイヤをとられて空回りし始めます。

 

だれか くるまから おりて、おさなくちゃ なるまいよ

ガンピーさんの言葉に、子どもと動物たちはいっせいにその役目のなすりつけ合いを始めます。

 

わしは だめだ

ぼくも だめ

あたしたちも だめ

 

ぬれたら、かぜを ひいちゃうもの

おなかが いたいんだもの

きぶんが わるいんだもの

 

自分勝手な主張を耳にしても、ガンピーさんは腹を立てたりはしません。

ただ、「これじゃ、ほんとに たちおうじょうだ!」と、危機的状況を伝えます。

誰が誰に命令することもなく、みんなが車から降りて押し始めます。

力を合わせて、やっとぬかるみから脱出します。

 

雨雲も去り、空にはお日さまがきらきらと輝きます。

かえりは、はしを わたって うちまで ひとっぱしりだ

ガンピーさんは言います。

まだ、およぐ じかんは たっぷり あるよ

 

みんなはガンピーさんの家の前の川で気持ちよく泳いで遊びます。

そして、やっぱり最後はガンピーさんの限りない優しさに満ちた言葉で締めくくられます。

また、いつか のりに おいでよ

 

★      ★      ★

 

わたしの絵本、わたしの人生」には、バーニンガムさんがニイルの創設したサマーヒル校で過ごした日々のことが記されています。

サマーヒル校では生徒たちが自分で校則を作り、授業に出席するかどうかさえも自由でした(それでも最終的にはほとんどの生徒が授業に出るようになるのです)。

そこで作者は絵ばかり描いていたそうです。

ある時、学校の食料貯蔵庫の鍵を盗み出した生徒がいて、それを取り上げたバーニンガムさんは悪友と共に自由に食料庫に忍び込み、夜な夜な缶詰や飲み物を盗み出すようになりました。

 

それが校長のニイルの知るところとなり、バーニンガムさんは校長室に呼び出されます。

ニイルは「貯蔵庫の鍵を盗み出したやつがいるんだが、ひょっとして、きみが知っているんじゃないかと思ってね」と言います。

 

バーニンガムさんは部屋を出て、鍵を持って校長室に戻りました。

するとニイルは新聞を読んだままで鍵を取り上げ、それ以上なにも言わなかったそうです。

 

ガンピーさんは子どもたちの保護者的存在ですが、「ふなあそび」でも今回の「ドライブ」でも、子どもたちに対し、何ひとつ強制しません。

この絵本では「困難に対し、全員が個人的な損得を抑制して力を合わせることで大団円に向かう」というひとつの王道物語が示されていますが、ガンピーさんのあまりのさりげなさによって、そしてすべてを子どもたちの自主性に任せる器の大きさによって、少しの説教臭さも感じさせません。

 

ガンピーさんのような大人が常に近くにいて、手も口も出さずに見守っていてくれてこそ、子どもたちは本当にのびのびと成長できるのです。

それは無責任な「放任」とは似て非なるものです。

 

子どもたちも動物も、自分たちがガンピーさんに何かを教えられたとは少しも思っていないでしょう。

ただ、雨上がりの美しい景色と共に、楽しい思い出と共に、魂の深い部分に静かに根付いたものが必ずあるはずです。

それはバーニンガムさんの数々の絵本を読んで育った子どもたちの胸に根付く感情と同じものです。

 

バーニンガムさん、素晴らしい絵本を本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

 

また、いつか

 

関連記事≫絵本の紹介「ボルカ はねなしがちょうのぼうけん」

絵本の紹介「なみにきをつけて、シャーリー」

絵本の紹介「おじいちゃん」

 

推奨年齢:3歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

空の印象的な美しさ度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「ガンピーさんのドライブ

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子どもの弱視について

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

夜は寝ないし、好き嫌いは多いし、およそ健康的な生活を営んでいるとはいえない我が息子ですが、これまで大きな病気もなく、元気なところだけは本当にありがたいと思っていました。

彼が生まれる前、「とにかく五体満足で、健康であれば何もいらない」という月並みな親の気持ちを痛いほどに実感したものですが、その願いが叶って、本当にこれまで健やかに成長してくれました。

 

ただひとつ、以前からずっと気になっていたのは視力の問題です。

 

絵本に埋もれるようにして暮らしている息子ですが、読むときにかなり顔を近づける癖がありまして、姿勢もよくありません。

また、たまにテレビを見る際にも、字幕などが流れると画面に近づこうとします。

妻が随分と気にして、またその癖を直そうとしてきたのですが、どうも遠くが見えていないようなのです。

 

3歳児検診の時に視力検査を行いましたが、本人がまともに検査をやろうとしないこともあり、正確な結果は出ませんでした。

先生は「まだ視力は発達途中だし、様子を見ましょう」。

 

それでずっと気を付けつつ様子を見ていたのですが、やっぱりおかしいと思い、去年の暮に眼科へ連れて行きました。

その結果、両目とも近視で、なおかつ弱視であると診断されたのです。

 

弱視とは、ピントを合わせる機能が未発達なために、眼鏡をかけても矯正視力が出ない状態です。

近視に限らず、遠視や斜視であったり、片目だけ弱視だったりのケースがあり、子どもの50人に一人の割合で発見されるといいます。

治療方法は、治療用の眼鏡をかけたまま生活すること。

今の状態では眼鏡をかけても0.1程度の視力しか出ませんが、ピントの合った状態に慣れさせることで、徐々に弱視を克服していくそうです。

とりあえずは「眼鏡で1.0」が出ることを目標に。

 

子どもの視力は8歳くらいまでは成長するので、早期発見すれば治る確率は高いそうです。

とは言うものの、やはりショックでした。

 

ことに妻の精神的打撃は物凄く大きかったです。

もともと不安感情が強く、常に心の負担と戦っている人です。

子どもを持ちたいと私が言った時、「こんな恐ろしい世の中で子どもを産むなんて、自分にはとても無理」だと言った人です。

 

どうしても息子のことは「自分(と私)のせいだ」と考えてしまう人です。

もちろん子どもに対する責任感は強い方がいいのですが、彼女の場合、自分を責めすぎる傾向があり、問題は彼女自身がそれに耐えられるだけ強くないことです。

 

眼科医さんが、5歳半での弱視の発見は決して遅いことはない、就学するまで気づかないケースも多いと言ってくれても、「どうしてもっと早く連れてこなかったのか」「3歳児検診の時に連れてくるべきだった」「ずっとサインは出てたのに」と自分(と私)を責めずにはいられません。

 

また、弱視や近視の原因というのははっきりと特定はされておらず、遺伝による影響が最も大きいようなのですが、「本を近くで読ませ過ぎたのかもしれない」と考えずにはいられないようです。

 

それに関しては私も考えてしまうところではあります。

私たちがやってきた育児のせいで息子の目が悪くなったのかどうかについては、現時点で結論を出せることではないものの、やはり思い返せば「あれもこれも」と思い当ってしまいます。

 

そして、今にして思えば、息子が公園に行っても他の子たちと活発に遊ぼうとせず、砂遊びばかりしていることや、あれほど好奇心が旺盛な割に動物園や水族館では思ったほど興味を示さなかったことなど、原因はそもそも「あまり見えていなかった」からなのでしょう。

また、人の多いところへ行くとよく他人を親と間違えたり、部屋の中で落としたものを見つけられなかったりしたのも、視力の問題だったのかもしれません。

そうとは知らずに、物を踏んだりするたびに叱っていたことを、妻は激しく後悔し、いたたまれない気持ちになっているようです。

 

この年末年始、私は息子と妻の両方が心配で、言い知れぬ苦しみを味わいました。

 

けれど、妻には「責任感がない」と言われそうですが、私は過去を悔やむのは苦手です。

これからやるべきことをできる限りやるしかありません。

 

弱視の治療で気を付けるべきは、「可哀そうだから」と眼鏡を外したりしないこと。

入浴や就寝時以外はとにかくずっと眼鏡で生活することで、早く慣れさせる必要があるのです。

 

また、子どもですから眼鏡の扱いが下手で、すぐにフレームを歪めたりしますが、ずり落ちた状態でかけていることも含め、「正しい位置で」かけていないと治療の意味はありません。

だから、眼鏡屋さんを選ぶ際はできるだけ近所の方がいいと思います。

 

私たちも悩んだ上で近所の眼鏡屋さんにしましたが、正解だったと思います。

すでに何回もフレームを直してもらいに行ってます(タダです)。

 

家では、妻は今まで以上に息子につきっきりで、常に眼鏡の位置を気にしています。

幸いなことに、息子は眼鏡自体は嫌がっていないようです(「のび太と同じ」が嬉しそうです)。

嫌にさせないのも親の役目だと思います。

私としては、眼鏡をかけることが「可哀そうなこと」「嫌なこと」「ダメなこと」という気配を絶対に出さないように気を付けています。

 

そんなわけで、5歳になってからもっと大変さが増した育児ですが、今こそ私がしっかりしないといけない時期だと思って自分を励ましております。

 

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