絵本の紹介「かいじゅうたちのいるところ」

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回はモーリス・センダックさんの最高傑作との呼び名も高い、「かいじゅうたちのいるところ」を紹介します。

コールデコット賞という、絵本界では最高の賞を受賞している作品です。

 

ある日、いたずらが過ぎたマックスという男の子は、お母さんに夕ご飯抜きで寝室へ放り込まれてしまいます。

すると、寝室がたちまちのうちに大きな木の生え茂る森に変貌します(この間、だんだんページにおける絵の比率が大きくなっていくことに注目)。

マックスは船に乗り、「1しゅうかんすぎ、2しゅうかんすぎ、ひとつき ふたつき ひが たって、1ねんと 1にち こうかいすると」「かいじゅうたちの いるところ」に到着します。

このかいじゅうたちの描写がなんとも独創的で秀逸です。

子どもが怖がるのでは……と心配になるほどの迫力。

すごい こえで うおーっと ほえて

すごい はを がちがち ならして

すごい めだまを ぎょろぎょろ させて

すごい つめを むきだ」すのですから。

 

しかし、マックスは「かいじゅうならしの まほう」で、かいじゅうたちをあっさり服従させてしまいます。

そしてここから、見開き3連続による、文章のない絵のみのシーンが展開されます。

センダックさんはいつもクラシック音楽を鑑賞しながら創作に向かうそうです。

そのせいか、彼の作品のバックグラウンドには、いつも音楽的な躍動感が流れています。

 

このシーンも、読み聞かせる側にしてみれば、「どうすりゃいいの?」と困惑するところですが、子どもは絵本の中で流れているはずの音楽を、お祭り騒ぎを、しっかりと感じています。

子どもと一緒に歌うもよし、楽器を鳴らすもよし、踊るもよし。

 

子どもだけが持つ、原始的な感情のカタルシスは、言葉では表現できません。

踊り、歌い、リズムに乗り、体全体、五感のすべてを使って感情を発散させるのです。

 

やがて、感情を吐き出しつくしたマックスは、急にさびしくなって、「やさしい だれかさんの ところへ」帰りたくなります。

それで、引き留めようと懇願するかいじゅうたちを残して、マックスは船に乗ります。

これは重要なことですが、この世界ではマックスが完全に主導権を握っているのです。

だから、絵本を読む子どもたちも、かいじゅうたちを恐れる必要がないのです。

空想の世界から寝室に戻ったマックスの、この憑き物が落ちたような顔。

 

「かいじゅうたち」は、子ども自身の、制御できない恐ろしい衝動的な感情であり、それを手なずける手段は、空想力です。

もりのなか」の紹介文でも触れましたが、子どもは現実と空想の世界を自在に行き来しますが、それは子どもが成熟するために、必要不可欠の能力なのです。

 

≫絵本の紹介「もりのなか」

 

真の意味での「現実」は、「空想」に支えられて初めて生きた姿を見せます。

現実は空想を生み、空想は現実の理解を助けます。

大半の大人が言う「現実」は、そういう意味では片手落ちなのです。

 

子どもの空想とは、何でもありのカオスではありません。

そこには厳然たるルールが存在します。

それは、子ども同士の真剣な遊びを見ていればわかることです。

 

「かいじゅうたちのいるところ」は、そうした子どもにとっての空想、ファンタジーというものを、センダックさんが率直で先入観のない目でとらえ、描いた傑作です。

 

 

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

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絵本の紹介「もりのなか」

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

私は息子に1000冊以上の絵本を読み聞かせましたが、その中で、まだ絵本作家の名前もろくに知らなかったころ、「なんだか地味な絵本だなあ」と思いながら、しかしなぜか強烈な印象を受けた一冊があります。

 

それが今回取り上げる、「もりのなか」です。

茶色い表紙に、白黒の内容。

本文がまた、ゆったりとしてて、地味です。

 

しかし、その内容は実に謎に包まれています。

一読して、「これは、いったい、なんだろう?と呟かない大人はいるのでしょうか。

いきなり、

ぼくは、かみの ぼうしを かぶり、あたらしい らっぱを もって

もりへ、さんぽに でかけました

と始まります。

森の中でライオン、象、くま、カンガルー、こうのとり、猿、うさぎが次々と男の子の仲間に加わります。

が、なぜみんなが行列(原文ではパレード)を作って歩くのか、動物たちがそれぞれ持ってくる道具には何の意味があるのか、なぜこうのとりは何も喋らないのか、どうして男の子はうさぎにだけは特別な気遣いを見せるのか……といった事柄には、何も説明はありません。

 

そしてお菓子を食べ、みんなで遊び、最後にかくれんぼうで鬼になった男の子が目を開けると、動物たちはいなくなって、父親が迎えに来ます。

父親は「もう おそいよ。うちへ かえらなくっちゃ

きっと、またこんどまで まっててくれるよ

と言い、男の子は父親に肩車されて帰っていきます。

 

「え、おわり?」と拍子抜けするようなあらすじですが、注意深く読めば、深い、それこそ森の奥へ引き込まれたような気持ちにもさせられます。

 

大きな事件もなく、最初から最後まで平和で友好的な情景が続くという点では、「ぐりとぐら」のような子どものための安心できる世界とも言えますが、「ぐりとぐら」との決定的な違いは、最後に現実世界の代表者である父親が登場し、主人公を日常へ連れ戻すところです。

 

つまり、男の子にとって幸せなこの空間は、あくまで現実と隣り合わせになった空想の世界であることが、はっきりと描かれているのです。

男の子自身は、現実と空想の間で揺らいでいる存在なわけですが、ある時期の子どもというものは、こういう「境界」を漂うようにして生きています。

 

大人はそうした子どもに対し、「夢みたいなことばかり考えてるんじゃない」と、無理やりに殺伐とした現実へ連れ戻そうとしがちです。

けれど、この男の子の父親は息子の空想を否定せず、「またこんどまで まっててくれるよ」と、素敵なことを言ってくれます。

子どもにとっての空想がどれほど大切なことか、知っているのです。

 

適切に空想力を育てなかった子どもは、世界や人間に対して、血の通った理解を持つことができません。

現実的感覚だけでは、物事の本質にまでは到達できないからです。

だからといって、空想の世界に生きろと言っているわけではありません(父親も、きちんと男の子を日常へ連れ帰ります)。

 

「シュタイナー教育」で知られるドイツの思想家ルドルフ・シュタイナーは、「すべての感覚的な事物の中に、超感覚的なものが存在している」と語っています。

つまり、偏見のない目で世界を見れば、感覚的なもの(見え、聞こえるもの)と、超感覚的なもの(精神的なもの)は、相互補完の関係にあるというのです。

 

将来的に子どもが何かを学ぶ時、それを灰色の「死んだ」知識として詰め込むのか、光り輝く「生きた」知恵として吸収するのかは、子どものころにしっかりと空想力を成長させられるかどうかにかかっています。

 

作者のマリー・ホール・エッツさんは、孤児院で仕事をしていたこともあり、子どもの心というものをよく知り、そして子どもの心に同化することのできる稀有な作家です。

彼女はこの作品を、病気の夫の最期を看取りながら、森の中の家で描いたそうです。

おしまいのページの、誰もいなくなった森の風景は、彼女自身の追憶なのかもしれません。

 

 

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