【絵本の紹介】「ぼくを探しに」【276冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は「ぼくを探しに」(原題:The Missing piece)を紹介します。

作・絵:シルヴァスタイン

訳:倉橋由美子

出版社:講談社

発行日:1977年4月24日

 

おおきな木」(原題:The Giving Tree)に並ぶ、怪人シェル・シルヴァスタインさんのもう一つの哲学的名作。

≫絵本の紹介「おおきな木」

 

サインペン一本で描く手法は「おおきな木」と同様ですが、今作はさらにシンプルさの極致のような絵になっています。

主人公は円形に口と点の目がついた、何だかわからないモノ。

 

彼が「何かが足りない」「それでぼくは楽しくない」、そこで「足りないかけらを探しに行く」物語です。

この「ぼく」の移動方法は転がること。

大地の上をずんずん進み、雨や雪、草藪や坂道を乗り越え、花の香りを嗅ぎ、かぶとむしと追いかけっこをし。

彼の旅は実に楽しそう。

 

やがて「ぼく」は彼の欠落部分(つまり口)の形に合いそうな「かけら」たちに出会いますが、彼らは「ぼく」のかけらとなることを拒否したり、サイズが合わなかったり、落としてしまったり、壊してしまったり。

 

様々な経験や失敗を繰り返しつつ「ぼく」の旅は続きます。

その果てに、ついに「ぼく」にぴったりなかけらに出会います。

 

はまったぞ」「ぴったりだ」「やった! ばんざい!

 

完全な円となった彼は調子よく転がり出します。

けれど、あんまり早く転がれるので、今までのようにみみずと話したり、花の香りを楽しむこともできません。

口がふさがって、歌も歌えないのです。

 

なるほど つまりそういうわけだったのか

何かを悟った「ぼく」は「かけらをそっとおろし」、また元の欠けた自分に戻って旅を続けるのでした。

 

★      ★      ★

 

この単純な絵と文を見て、「これなら自分でも描けそう」と思った人もいるかもしれません。

絵本とはなんて簡単なんだと思った人もいるかもしれません。

 

でも、よくよく考えてみると、物語も絵も、そんなに単純ではありません。

 

こんな白黒の線だけで絵本を作ってしまう大胆さ、しかもそれが子どもから大人までどの年代が読んでも「自分の物語」として読めるというストライクゾーンの広さ。

なおかつユーモアがあり、リズムがあり、思想があり、何故か勇気づけられる力強さまでがある。

何よりも凄いのは、これを読む人に「単純で簡単」だと思わせてしまうところです。

 

そして「おおきな木」と同じく、この作品にも無限の解釈可能性が残されています。

 

自分に足りないものを埋めたいという願いは普遍的な感情ですが、実際にはその「足りないもの」こそが自分のアイデンティティであったり、「足りないもの」を求めて冒険している間が人生の幸せだったり、「足りないもの」があるからこそ、人生が豊かであったり……。

 

など、この物語をどう汲み取っても間違いではないし、どう汲み取っても汲みつくせない部分が残ります。

それこそがこのシンプルな線の絵と文の力であり、計算された効果なのです。

 

私も何度もこの絵本を手に取っていますが、最近は「パートナー探し」の物語として読んでいます。

「理想の恋人」「運命の一人」を探して、出会いを求め続ける人がいます。

出会いを斡旋する商売まであります。

 

けれども、自分の欠落感が「たった一人の運命の人」の出現によって埋められると信じている限り、彼らがそんな出会いに辿り着く可能性は極めて低いでしょう。

「ぼく」のように「かけら」という他者による自己完成を求めている限り、それは決して果たされない、満たされぬ欲望であることをこの物語は示しています。

 

私の妻はおよそ私と正反対の気質と性格を持ち、育った環境から価値観からまるで共通点のない人でした。

「合わない」ものを「合わせよう」と悩んだ時期もあります。

 

しかし今になって思えば、もし出会った当初から私と妻が「ぴったりと合う」かけら同士だったとすれば、私はそれで満ち足りて、結果として今の自分はいなかったでしょう。

「ぴったり」でないからこそ、私は変化できたし、そして妻も大きく変化できたのだと思います。

 

今でも私たちはちっとも「ぴったり」ではありませんが、おかげで互いを認め合うことができています(まだまだ衝突はありますが)。

 

本当に相手と繋がりたければ、相手に何かを求めるのではなく、互いが互いの「個」を自ら引き受けるしかない。

今の私にとって、これはそんな物語です。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

パックマン度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「ぼくを探しに

■続編→「続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

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「ウォーリーをさがせ!展」に行ってきました。【大丸ミュージアム梅田】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

大阪・大丸梅田店15階にある大丸ミュージアムで今月30日まで開催中の「ウォーリーをさがせ!展」に行ってきました。

 

公式HP→誕生30周年記念「ウォーリーを探せ!展」

久々に梅田に出ましたが、日曜日ということもあって、かなりの人混みでした。

やっぱりウォーリーは人気者ですね。

 

以前に絵本紹介記事を書いていますので、そちらも併せてどうぞ。

≫絵本の紹介「ウォーリーをさがせ!」

 

絵本展としてはかなり見どころの多いもので、原画の他にウォーリーの設定資料、展覧会限定のアートやアニメーション、作者のハンドフォードさん7歳ごろの作品(めっちゃ上手い)など、約150点が展示。

もちろん一点一点が例によって高密度で描かれた「人混み絵」ですので、じっくり見て回ると丸一日あっても足りないくらい。

展覧会限定アートのコーナーは写真撮影OKです。

ウォーリーを見つけても指ささないように。

 

また、絵本作家やデザイナーなど個性的な6名のアーティストが「ウォーリー」の魅力や楽しみ方について案内してくれるガイドパネルも。

 

私も子どもの頃にずいぶん流行ったのを覚えていますが、その頃の初期ウォーリーからシリーズを重ねるごとにどんどん登場人物も増え、世界が広がっています。

ウォーリーと同じ赤ボーダーのコスチュームに身を包んだガールフレンドや犬、そして紛らわしいことこの上ない「ウォーリー親衛隊」など、作品の難易度が上がるとともにキャラクターも複雑化。

しかし「ウォーリー」を探すだけがこの作品の楽しみ方ではありません。

すでに第一作からハードモードとしてウォーリー以外のモブキャラや落とし物を探す仕掛けが施されていましたが、つい見逃してしまいそうになる絵の中のワンシーンにも作者の遊び心が満載なのです。

 

あのとんでもない密度の絵の中にはだじゃれや言葉遊びが盛り込まれています。

ドラキュラが野球をしているシーンでこうもり(バット)をバットにしていたり、天の川(ミルキーウェイ)に牛乳瓶が浮かんでたり。

わりとベッタベタなものが多いので、英語圏内でない私たちでもわかりやすいです。

 

それに、よく見るとちょっとした毒も含んでるんですよね。

また、前述した6名のアーティストによるコラボ作品も展示されています。

そしてグッズコーナーの充実ぶりが凄い。

400アイテム以上って。

いや、商魂たくましいです。

 

とにかく見ごたえたっぷりな展覧会であることだけは保証します。

ただ、途中で目が疲れちゃうかも……。

 

ちなみにイベントとして「ウォーリーDAY」なるものが設定されてまして、13日(土)、20日(土)、27日(土)はウォーリーと同じ赤白ボーダーシャツのお客は入場無料になるそうです。

楳図かずおさんは無料です。

 

私が行ったのはウォーリーDAYではなかったのですが、いましたよ、赤白ボーダーの女性が。

帽子とソックスまでそろえて、なかなか似合ってました。

やっぱりああいうのは照れてちゃいけませんね。

 

今後この展覧会は名古屋を巡回予定です。

 

 

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すべての親は「もぐり」である。

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

人類共通のテーマ、育児。

私は育児において「すべての親は『もぐり』である」と考えています。

 

なんか村上龍ぽいけど、自分で考えた言葉か、何かで読んだのか、ちょっと思い出せません(A・S・ニイルあたりが言ってそうですけど)。

今回はこの言葉の意味するところを少し綴ってみます。

育児という正解のない問題に悩み、苦しむのが親の定め。

特に核家族が進んだ現代、母親や父親だけに重責がのしかかり、大変な負担を感じている人たちもたくさんいるでしょう。

 

そんな中、「先輩」として頼りになるのは自分たちの両親かもしれません。

何かとアドバイスを求めたり、経済的な援助を受けたり。

しかし一方で、世代間での子育てに対する価値観のギャップを感じたり、衝突してしまう人も大勢いるようです。

 

読み聞かせを中心にした我が家の子育てについては何度も書いていますが、こうしたやり方に対し、私の両親は「ふーん」という程度の関心しか示していません。

別に賛成も反対もしないし、意見も言いません(大変やな、くらい)。

 

もともと私の親はさほど遠くもないところに住んでいるのに「孫の顔を見せに来い」と言ったことは一度もないし、逆にうちに遊びに来たことも(私が呼んだ時以外)一度もないような方たちです。

ま、それについては妻も気を使う必要が無くて楽なようです。

 

しかしそんな淡泊な私の母親でさえ、ある点に関しては意見がましいことを言ってくるんですね。

それは何かというと、息子の「睡眠」と「トイレ」関係についてです。

 

トイレに関しては、もう息子も一人でできるようになったので過去の話ですが、おむつ時代には息子を見るたびに「まだおむつ取れてないの?」と口ぐせのように言っていました(これを本人の前で言うので閉口しました)。

 

もう一つの睡眠問題については、これはいまだに解決していなくて、息子は決まった時間に寝るということをしません。

そう言えば昨日は久々に徹夜してました。

ちゃんと寝かしつけないと」というのは、私の母親に限らず、色々な人たちからも言われてきました。

 

ま、それはもっともな意見だとは思うんですが、ちょっと寝かしつけたくらいで寝るようなら私たちも苦労してません。

寝ないんですよ、ヤツは。本当に(涙)。

寝たら負けと思ってるんです。

 

それを抑えつけて寝かすために暗い部屋に一人で閉じ込めるとか、怖い話で脅すとか(それをやっても寝るとはとても思えませんが)、そういう方法は自分の方針として矛盾が生じるのでできません。

子どもの生活には規則正しいリズムが必要で、それは幼いうちに身に付けさせなければならないという意見はまったくもって正しいと思いますが、人間はひとりひとり違うし、環境も違います。

 

親子間の子育て価値観のギャップというか摩擦は、この「子どもも親も全部それぞれ他とは違う」ことをちゃんと理解していれば起きない問題だと思います。

 

うちの母親がどうしてそういうことを言うかというと、別に深い考えがあるわけではなくて、ただ自分もそうされたし、自分の子どもにもそうしたから、という以上の理由はないわけですね。

その他の育児観も、大体はそんなものです。

その結果が私みたいな人間なわけですから、私はあまり親の意見を参考にしようとは思えないんですね。

 

温故知新という概念は、育児に関してはあまり当てにはならないと思います。

第一、子どもの扱いに関する過去の歴史を調べれば、いかに最近まで子どもの人権が無視され、踏みにじられてきたのかは明白です。

 

もちろん、きちんとした科学に基いた知識は大事です。

乳幼児に与えてはいけない食べ物(ハチミツとか)や、させてはいけないこと(うつ伏せ寝とか)を知らなかったための悲しい事故は、過去に学ぶことの大切さを示しています。

 

重要なのは「時代が流れても不変なもの」と「時代によって移り変わるもの」を見定めることです。

親が間違っていて私が正しいということではなく、時代の違いというものを考慮しなければならないのです。

 

あまり知りもしない断片的な知識で、漠然と「昔の子育てはよかった」などと口にする人がいます。

「昔はよかった」というのは簡単ですが、時代を戻すことはできないし、昔と同じ生活をするためには、たくさんの今あるつながりを断ち切らなくては不可能です。

仮にそこまでやって子どもを育てたとして、さて、成人してからその子はどうやって社会に入っていくのでしょう。

 

だから私は無責任な「昔はよかった」には耳を貸さないことにしています。

私たちの時代の不利益なもの、有害なもの、そうしたものを直視した上で、いかにして子どもをそこから自由にするかを模索し続けることが本当に必要な姿勢ではないでしょうか。

 

たとえば私は絵本屋の立場として、インターネットやスマホに代表される電子機器の子どもへの有害性を懸念しています。

かと言ってこれからの時代、そうしたものから完全に子どもを引き離すことは難しいでしょう。

第一、親だってPC文明の恩恵を受けています(この文章も)。

これからもそうした分野はどんどん進歩していくでしょうし、子どもたちがそれらに興味を持つことを阻む権利は親にはありません。

 

時代は変化し、環境は変化し、子どもたちも変化します。

そして、われわれ自身も。

育児にマニュアルが存在しないことは当たり前なのです。

 

何一つ確かなものがない中で、それでも立ち止まっているわけにはいかないのが育児です。

泣き止まない赤子を前にした親は、急患を前にした無許可の医師のようです。

 

自分にはライセンスなどないけれど、かと言って現状、目の前の子どもという急患に処置を施せるのは自分しかいない。

やらなければ子どもは死んでしまう。

 

そうである以上、自分の経験と感性と知識を総動員して、使えそうなものは何でも使って、手を貸してくれる人がいたらお願いして、どうにか目の前の生命を助けなければならない。

 

で、冒頭の言葉に行き着くわけです。

すべての親は『もぐり』である」。

 

もぐり「だからこそ」、常に自分自身をチェックし、勉強を怠らないように、そして精神の健康にも気を配らなければなりません。

もぐり「だからこそ」、過剰な自信を持たないよう、逆に自信が無さ過ぎて臆病にならないよう、正しく自分を見つめる必要があるのです。

 

私はそう考えて、どうにか無許可で親をやっています。

そしてもう一つ、私が気を付けようと思っていることがあります。

それは将来的に孫ができた時、息子に偉そうに子育てについて意見しないということです。

 

息子はきっと、私には理解できないやり方で、私より優れた方法で、その時代に適した子育てを見つけるでしょうから。

 

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