絵本の紹介「だるまちゃんとてんぐちゃん」

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回紹介するのは、加古里子さん作、「だるまちゃんとてんぐちゃん」です。

真っ赤なだるまに、意外と長い手足がにゅーっと生えた外見が特徴的な「だるまちゃん」。

てんぐ、かみなり、てんじん、だいこくなど、日本各地の郷土玩具や伝説上のキャラクターたちと友達になる人気シリーズです。

これはその第一作。

 

ちいさいてんぐちゃんの持っているうちわや履物や帽子、果てには長い鼻まで、何でも欲しがるだるまちゃんが、家に帰っては父親にねだります。

そのたびに、たくさんのうちわや帽子を引っ張り出してきて並べる、息子を溺愛するだるまどん。

 

でも、空回り。

結局、だるまちゃんは家にあるものを「代用品」として工夫して使います。

 

しかし最後には父親の面目躍如で、おもちで長い鼻をこしらえるだるまどん。

だるまちゃんもご満悦。

ユーモラスでほほえましいお話です。

 

「だるまちゃん」シリーズには毎回、様々な昔ながらの子どもの遊びが登場しますが、これはその最も普遍的なもの……つまり、「見立て遊び」です。

 

子どもは遊びの天才です。

石ころひとつでも、棒切れ一本でも、ありあわせの物をなんにでも変化させて楽しむことができます。

子どもを持って改めて思うことは、こうした「遊びを作り出す」ことは、傍で見るほど楽でも簡単でもないのだということです。

何かに「見立てる」ためには想像力を高めなければならないし、真剣に取り組まないと、その想像を維持することはできません。

 

大人になると、お金を使わないと遊べなくなります。

お金は便利です。

一番楽です。

自分では面白いことを作り出せないから、お金を払って誰かに面白がらせてもらうわけです。

で、本人はどんどん面白くない人間になっていってるわけです。

 

そういう観点に立てば、子どもに安易に精巧なおもちゃを買い与えることが、果たして本当にその子のためかどうか、少々考えさせられます。

と言いつつ、我が家でもついつい、電車のおもちゃなどを買ってしまいます。

楽なんです。

買わないとどうなるかというと、ブロックやら紙工作やらで作らされることになるんです。

適当に作ると、ダメ出しの嵐です(やれドアが開かない、パンタグラフがない、ワイパーがない、連結しない……などなど)。

とっても面倒です。

だから、だるまちゃんの父親はえらいなあと思います。

 

自分と同じくらいの年頃の子が持っているものを何でも欲しがるのも、子どもが必ず通る道です。

このお話のように、うちわや帽子くらいなら何とか想像力で補完することができますが、最近ではゲーム機器という、ちょっと太刀打ちできないような強敵が存在します。

 

いつかは息子も、そういう現代の玩具を欲しがるようになることは避けられないのかもしれません。

だからこそ、今の間だけでも、想像と工夫で楽しみを作り出す時間を、そして、絵本という最高の歓びを共有できる時間を大切にしていこうと、自分に言い聞かせています(でもやっぱり面倒です)。

 

 

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

絵本専門の古本屋 えほにずむ

〒578-0981

大阪府東大阪市島之内2-12-43

URL:http://ehonizm.com

E-Mail:book@ehonizm.com

 

絵本の紹介「てぶくろ」

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

少し朝晩が冷え込む季節になってきましたね。

寒い日の夜などに街を歩いていると、手袋の落とし物を目にすることがあります。

なぜか、必ず片方だけです。

両方落ちているのは見たことがありません。

 

どうやら、そうした現象は、時代や国が違っても、変わらないようです。

今回紹介するのはウクライナの民話絵本「てぶくろ」です。

エウゲーニー・ミハイロヴィチ・ラチョフさんの作品で、翻訳は「おおきなかぶ」の内田莉莎子さんです。

 

鉛色の空と、白い雪。

北国の厳しい寒さが伝わってくる挿絵です。

 

和洋問わず、昔話には「おじいさん」が必ずと言っていいほど登場しますが、このお話に出てくる「おじいさん」は、少々特殊な扱いを受けています。

というのも、文章には登場するのですが、絵には描かれないのですね(子犬も)。

これは前回紹介した「三びきのこぶた」で、おかあさんぶたが描かれなかったこととは意味合いが違います。

それは後で触れます。

 

≫絵本の紹介 瀬田貞二・山田三郎「三びきのこぶた」

 

物語は、おじいさんが森の中を歩いていて、「てぶくろを かたほう」落としてしまうところから始まります。

そこへねずみが潜り込み、「ここで くらすことに するわ」と決めます。

木の枝で土台を組み、梯子をかけたりして、ちゃんと家として機能しているようです。

そこへかえるがはねてきて、

「だれ、てぶくろに すんでいるのは?」

「くいしんぼねずみ。あなたは?」

「ぴょんぴょんがえるよ。わたしも いれて」

「どうぞ」

というやり取りを経て、てぶくろに同居します。

 

以後、次々にいろんな動物たちが同じ問答を繰り返しては、てぶくろに入居してきます。

文では説明されませんが、ページが進むごとに、てぶくろが段々改装されて、立派な家になっていきます。

 

それにしたって、キツネやら狼やら猪までがてぶくろに入るというのは子ども心にも「ありえない」と思うところです。

しかし、明らかに入れないはずなのに、なぜか絵を見るとちゃんと収まっているのです。

しかし、よく見るとてぶくろの縫い目は裂け始めています。

さらにそこへ熊が「わしも いれてくれ」とやってきます。

 

「おおきなかぶ」での繰り返しは大団円へと向かいますが、この絵本の繰り返しは、より危うい方へ、バランスの崩壊を予感させながら進行します。

 

≫絵本の紹介「おおきなかぶ」

 

いったいてぶくろはどうなってしまうのか。

動物たちは喧嘩にならないのか。

 

そんな期待と不安が最高潮に高まったところで最後のページをめくると、このお話は実に唐突に終わりを告げます。

おじいさんがてぶくろが片方ないことに気づき、戻ってきます。

子犬が先に駆けていき、てぶくろを見つけて吠えたてると、動物たちはあわてて逃げていきます。

そこへおじいさんがやってきて、てぶくろを拾います。

 

この部分を説明する絵は一切なく、冒頭のてぶくろのカットがほぼそのまま、小さく描かれているだけです。

てぶくろに付けられた窓も煙突も梯子も、すべてなくなっています。

おじいさんはてぶくろに起こった異変も、動物たちも、何も見てはいません。

つまり、この絵本における「おじいさん」は(別に物凄い巨人というわけではなく)、現実世界の象徴なのです。

だから、セリフもなく、絵にも描かれないのです。

 

私たちは目に見える現実世界に生きているつもりでいますが、実際には見えない部分の方が遥かに多く、その部分はいわば想像で補っているに過ぎません。

落とした片方の手袋は、そんな見えない、知りえない世界の象徴と言えるでしょう。

 

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

絵本専門の古本屋 えほにずむ

〒578-0981

大阪府東大阪市島之内2-12-43

URL:http://ehonizm.com

E-Mail:book@ehonizm.com

絵本でつながるコミュニケーション

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

昨日から読書週間だそうですね。

我が家は年中無休で読み聞かせ中ですので、特に意識することもありません。

 

≫「3歳までに絵本を1000冊読み聞かせたら」

 

一日に読み聞かせる量ですが、別に決めてませんし、息子次第です。

最近は電車図鑑ばっかり見てますので、あんまり絵本をリクエストしてはきませんね。

それでも、新しい絵本を仕入れてくると、必ず一度は読んでもらいたがります。

 

子ども部屋の本棚は、息子が自分で手が届く高さにしてあります。

たまに自分で引っ張り出して黙読してます。

ただ、文字が読めるからといって、「自分で読みなさい」とは絶対に言いません。

そもそも、絵本というものは、本来自分で読む本ではないんですね。

 

「読んでもらう」人間と「読んであげる」人間がいて、初めて絵本は真の意味で存在できます。

自分以外の誰かの存在が、絵本の本当の扉を開いてくれるのです。

 

文字を目で追うことと、絵に集中しながら耳でことばを聴くことの間には、それくらいの違いがあると思います。

すぐれた絵本は、「声に出して読む」時のことを考えて文章が練られています。

絵本をたくさん読み聞かせたら、2歳以前から自分で本を読めるようになった、という話をすると、「じゃあ、うちも」と、興味を持ってくれる人もいます。

しかし、

でも、私自身はあんまり本が好きじゃないし、読み聞かせも下手だし……。正しい発音の朗読CDをかけっ放しにしておいた方がいいんじゃない? 楽だし

という考えは、本末転倒です。

 

私も、初めは読み聞かせが下手でした。

今も下手です。

でも、3年間毎日読み聞かせているうちに、子どもの反応を感じ取る力はついたように思います。

初めのころはただただ一方通行だった読み聞かせが、子どもを観察しながら、退屈そうにしてたら声音を変えてみたり、絵に見入っていると思ったら長めに間を取ったり……といったことができるようになりました。

 

子どもの発する微細なシグナルを、ちゃんと聴いてあげること。

聴こうとしてあげること。

そうすれば、子どもは必ず自らを表現しようと、扉を開けて出てきます。

その時に、これまで耳から取り入れたことばを、今度は外に向かって解き放つのです。

 

絵本による親子の交流とは、こういうことだと思います。

コミュニケーションを学ぶのは子どもだけではなく、親も同じなのです。

 

いくら「正しい」朗読であっても、CDや動画から子どもがコミュニケーションを学ぶことはありません。

たとえつたない読み聞かせであったとしても、子どもはあなたの肉声を求めているのです。

他ならぬ自分に向けられたメッセージを聴き取ろうとしているのです。

 

この読書週間、「読む」以外にも、「読んであげる」「読んでもらう」楽しさにも触れてみませんか?

 

 

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

絵本専門の古本屋 えほにずむ

〒578-0981

大阪府東大阪市島之内2-12-43

URL:http://ehonizm.com

E-Mail:book@ehonizm.com