【絵本の紹介】「マイク・マリガンとスチーム・ショベル」【233冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は巨匠バージニア・リー・バートンさんによる「マイク・マリガンとスチーム・ショベル」を紹介します。

作・絵:バージニア・リー・バートン

訳:石井桃子

出版社:童話館

発行日:1995年2月1日

 

バートンさんの描く乗り物絵本では、これまでに「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」「はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー」「ちいさいケーブルカーのメーベル」を取り上げました。

 

≫絵本の紹介「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」

≫絵本の紹介「はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー」

≫絵本の紹介「ちいさいケーブルカーのメーベル」

 

乗り物絵本と言い条、どの作品もドラマ性が強く、話も長めです。

しかし、図鑑的な細密性、精緻性も持ち合わせており、子どもの好奇心を存分に満たす内容にもなっているところがポイント。

 

この「マイク・マリガンとスチーム・ショベル」もその例にもれず、重厚なストーリーに加えて、スチーム・ショベルの働きや各パーツを詳細に解説しています。

特に、見返しの説明図は我が家の息子にも大好評でした。

 

毎回手法を変えるバートンさん。

今回は色彩鮮やかな石版画です。

 

マイク・マリガンは「メアリ・アン」という名前の赤い綺麗なスチーム・ショベルを持っていました。

二人は何年も一緒に働いてきた良きパートナーです。

マイクは「100にんのにんげんが 1しゅうかんかかって ほるくらい」メアリなら1日で掘ってしまう、と自慢していました(もっとも、本当にそんなことをしたことはありませんでした)。

メアリとマイクは観客が多いほど仕事が早くなるタイプ。

今までにたくさんの仕事をこなしてきました。

 

ところが時代の流れとともに新式のガソリンショベルや電気ショベル、ディーゼルショベルが発明され、二人の仕事を取り上げてしまいます。

落ち込む二人でしたが、新聞に、ある町で新しい市役所を建てるという記事を見つけ、自分たちでその地下室を掘りに行こうと出発します。

ポッパビルというその町に着くと、マイクは役人のところへ行き、新しい市役所の地下室を自分たちなら1日で掘って見せると持ち掛けます。

地下室の穴は100人が1週間かかって掘るような仕事です。

役人のスワップさんは信じませんでしたが、

もし、ほれなかったら、かねは はらってもらわなくても かまいません

というマイクの言葉に、とにかくやらせてみることにします。

 

さあ、次の朝早く、マイクとメアリは仕事に取り掛かります。

町の人々が次々と見物に来ます。

観客が増えるほど、二人は早く上手に掘っていきます。

 

時間との戦いの中でも、メアリはきっちりと四角に地下室の穴を仕上げていきます。

日が沈み、立ち込めていた蒸気が消えると、地下室の穴はすっかり完成されていました。

ところがここで問題発生。

なんと、マイクたちはあんまり急いだので、メアリが出る出口を残すのを忘れてしまったのです。

 

途方に暮れる二人と町の人々。

そこで、最初からずっとメアリたちを応援していた小さな男の子が妙案を出します。

それは……。

 

★      ★      ★

 

バートンさんの最初の絵本「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」は彼女の長男のアリスへ、そしてこの「マイク・マリガンとスチーム・ショベル」は次男のマイケルへ捧げた作品です。

ポッパビルの男の子はどうやらマイケルがモデルのようですね。

 

バートンさんの乗り物シリーズにはもう一つ共通項があって、主人公である乗り物「ちゅうちゅう」「けいてぃー」「メーベル」「メアリ・アン」はどれも女性なんですね。

力強い機関車やショベルカーなどは男性的イメージで捉えがちですし、実際に世の絵本のほとんどがそれらを男性キャラクターとして登場させているのに対し、古典の部類に入るバートンさんの絵本ではその逆を突いているところが面白いと思います。

 

彼女が何を考えてそうした設定にしたのかは私は知りませんけれど、結果として女の子が読む場合でも感情移入しやすくなっているかもしれません。

もっとも、乗り物好きの子どもは、そんな点はさほど気にもせず、ごく自然に受け入れるでしょうけど。

 

バートンさんの絵本には蒸気機関に代表される「古き時代」が「新しい時代」に取って代わられるという話型が多く見られます。

確かに煙を吐き出す蒸気機関は環境にも悪いし、技術の発展と共に淘汰されていくのが定めです。

しかし、その一方で、その黒い煤にまみれた機械と人の間には、現代には失われたつながりのようなものがあったのかもしれません。

 

そう言えば、バートンさんは大変なチェーン・スモーカーで、そのために59歳で肺がんで亡くなっていますが、最近では喫煙家も段々と肩身が狭くなっているようです。

それもまた時代の流れでしょうけど、バートンさんが生きていらしたら、どんな風に感じるのでしょうか。

彼女の絵本に頻繁に描かれる「煙の絵」を見ると、ふとそんなことを考えたりします。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

転職の意外性度:☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「マイク・マリガンとスチーム・ショベル

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

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【絵本の紹介】「ぼくにげちゃうよ」【232冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回紹介するのは1942年に出版された古典名作「ぼくにげちゃうよ」です。

作:マーガレット・ワイズ・ブラウン

絵:クレメント・ハード

訳:いわたみみ

出版社:ほるぷ出版

発行日:1976年9月20日

 

伝説的絵本原作者マーガレット・ワイズ・ブラウンさんとクレメント・ハードさんの共作。

以前このブログで取り上げた「おやすみなさいおつきさま」を生み出した名コンビです。

 

≫絵本の紹介「おやすみなさいおつきさま」

 

「おやすみなさいおつきさま」「ぼくのせかいをひとまわり」、そしてこの「ぼくにげちゃうよ」は、同じうさぎの男の子を主人公とした3部作です。

物語的に続いているわけではありませんが、よく見ると色んな所に各作品とリンクするような描写がちらほらとあり、それらを見つけるのも楽しみのひとつになっています。

発表された順としては、「ぼくにげちゃうよ」が最初の作品となります。

 

ブラウンさんはわずか42歳で早逝されましたが、それまでに100冊以上もの絵本を作っていました。

ちなみに、とても綺麗な女性です(若い頃の写真を見た時、女優かと思いました)。

 

ある日、急に「いえをでて、どこかへ いってみたく」なったうさぎくん。

ぼく にげちゃうよ」と、お母さんに宣言します。

「お出かけ」ではなく、一人で家を出て、どこかへ逃げてしまいたいのです。

するとお母さんは落ち着いたもので、

おまえが にげたら、かあさんは おいかけますよ

だって、おまえは とってもかわいい わたしのぼうやだもの

と(うさぎくんが内心望んでいるであろう)返事をします。

 

ここから、母と息子のユーモラスな、一種の言葉遊びのようなやり取りが繰り返されます。

 

ぼくは、おがわの さかなになって、およいでいっちゃうよ

かあさんは りょうしになって、おまえを つりあげますよ

 

うさぎくんは「やまのうえの いわ」や「にわの クロッカス」や「ことり」「ヨット」などになって逃げちゃうよ、と言い、お母さんはその度に「とざんか」「うえきや」「」「かぜ」になって追いかけます。

実際にはただ親子が会話をするだけなのですが、これらの空想は楽しい絵として表現されます。

最後にはうさぎくんは「だったら、うちにいて、かあさんのこどもで いるのと おんなじだね」と、逃げ出すのをやめます。

お母さんは一言、「さあ、ぼうや にんじんを おあがり

 

★      ★      ★

 

絶対的な親の愛情を求める気持ちと、その庇護のもとから逃げ出して自立したい気持ち。

目まぐるしい速度で成長変化する子どもという生き物は、日常的にそうした葛藤に晒されています。

 

我が家の息子も、普段散々母親に逆らって怒らせておいて、次の瞬間にはケロッとして「ねえ、お母さん」などと甘えています。

で、気がすんだら一人で遊びだしたり。

 

親の気持ちなんて関係ありません。

妻は気分の切り替えが遅い方なので、なかなか息子に合わせるのが難しい様子です。

 

この絵本に登場する母さんうさぎを、「自立したがる子どもに干渉しまくる親」のように見て、その「愛情の押しつけ」を不快に思う方もいるかもしれません。

でも、このお母さんは別に過干渉なわけでも、子離れできないわけでもなく、愛情を試すうさぎくんに適切に対応しているだけです。

 

だから、最後のうさぎくんの「だったら、うちにいて、かあさんのこどもで いるのと おんなじだね」は、「諦め」ではなく、「満足」なのです。

子どもはこの手の「愛情の確認作業」をしばしば行います。

「自分が愛されているかどうか」は、子どもにとって最重要事項なのです。

 

それはいずれ自分が世界へ跳躍するための「土台」です。

土台がしっかりしていなければ、思い切って跳べません。

 

そして、この親子のやり取りは、子どもにとっては純粋に面白い遊びです。

うさぎくんが次々と繰り出す変身に、間髪入れず対応するお母さんの見事さ。

いわば「空想上の鬼ごっこ」です。

 

息子もこの遊びが気に入っており、時々母親に「ぼくが〇〇になっちゃったら、お母さんはどうする?」と持ち掛けています。

傍で聞いてて、「何をイチャイチャしてんだか」という気にもなりますが。

 

推奨年齢:2歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

イチャイチャ度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「ぼくにげちゃうよ

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

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倫理と想像力【自由な子どもを育てるということ・2】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

新年度が始まり、一気に暖かくなりましたね。

新しい生活に入って忙しく過ごされている方も多いと思います。

 

我が家では息子の小学校就学を考えて、そろそろ準備を始めています(まだ2年あるけど)。

当人は相変わらず好き勝手に遊び暮らしておりますが。

以前にも書いた通り、今のところ幼稚園には通っていません。

 

幼稚園にも保育園にも通わなかった子どもは、集団生活の経験がないので、小学校に入学してから協調性のなさやマナー面で苦労するなどと聞くと(そんなもん人それぞれだとは思いますが)、せめて1年でも通わせた方がいいのかしらと迷ったりもします。

しかし、マナーや協調性は大事なことですが、それをそんなに早くからしつけることが、本当に子どものために良いことなのかどうか、いまだに疑問なのです。

このブログを始めたばかりの頃に、「自由な子ども」を育てるということという記事を書きました。

当時3歳だった息子は4歳半になりましたが、子育てに関する基本的な考えは、この時に書いた内容とほぼ変わっていません。

その一方、「自由に育てる」というと聞こえはいいけれど、子どもがわがままになってしまうのでは……という葛藤も、まだ完全に払拭できたわけではありません。

 

生後半年から続けている読み聞かせによって、息子の言語・読書能力はずいぶん高くなったと思いますが、情緒面の発達は緩やかなもので、むしろ普段から幼稚園で保育士さんや友達と触れ合っている同年代の子どもたちに比べたら幼いようにも見えます。

兄弟もいないので、考えてみればこれで協調性が育つはずがないかもしれません。

 

家では「しつけ」と言われるようなことは特にやってません。

好き嫌いは多いし、片付けは滅多にしないし、服を着変えるのに何十分もかけたりするし(絶対に手伝いませんが)、夜更かしはするし、眠いから不機嫌になって悪さするし、でも謝らないし(私は「謝りなさい」とは言いません)。

 

これらを「わがまま」と言われればその通りかもしれません。

でも、これくらい子どもとしては普通、と言われればそんなものかもしれません。

 

けど、いずれにしても私は子どもに振り回されているわけではありません。

たとえどれほど迂遠な方法であるとしても、本当に倫理的な人間を育てるには、「力による強制」は可能な限り避けるべきだと考えているからです。

 

「自由な人間」は「わがままな人間」とは違います。

「自由な精神」を持った人間は倫理的に振る舞うことができるはずです。

今回はこの点について少し思うところを述べてみます。

 

「自由」が「わがまま」を連想させるのは、「自由」とは「個人」に近づくことだからです。

その反対が「集団」です。

 

「道徳」とは、「集団」の存続のために「個人」的な振る舞いを控え、「集団」の利益を優先させることです。

「集団」に属することはその人間の生存率を高めますが、同時に「不自由さ」がついて回ります。

日本では特にこの点が顕著です。

 

旧来的な「道徳」とは、親や教師など、「権威」から与えられる外的な概念です。

つまり「他人の判断」を基準に自らの行動を決めるということです。

これが「天国と地獄」のような神的な権威に替わっても、事情は同じ事です。

 

それが悪いと言っているのではありません。

国家や集団の存続を優先させることが、結果的に個人の生きる確率を高めるのですから、それは極めて合理的な振る舞いです。

ただ歴史的に見れば、人間は徐々に「集団」から「個人」へ、つまり「不自由」から「自由」を志向しているのは明らかです。

 

そこに様々な運動や反発が起こるにせよ、人間の精神は本質的には「自由」を求めているのでしょう。

 

そこで、これまで何らかの権威から与えられていた道徳の「不自由さ」に、人の本性は抵抗を始めます。

現代的人間はもはや、それが神であっても、道徳的に強制されたいとは思わないでしょう。

自らの自由な精神に基づいて行動したいと願うはずです。

 

しかしここで、最初の葛藤に行き着きます。

「自由」とは「わがまま」ではないのか。

 

確かに、すべての人間が動物的な本能や衝動のみに従って行動するのなら、暴力や犯罪がはびこる社会が生まれてしまうでしょう。

人間の魂は善良であるから、放っておいても倫理的な人間に成長する、というのはあまり科学的な見方ではありません。

野生の獣に育てられた子どもが、社会的な倫理観や道徳的概念を持つことは期待できません。

 

倫理や道徳というものは、人間の生体に自然発生するものではなく、後天的に得る概念です。

つまりは虚構なわけですが、人間が他のあらゆる動物と異なっているのは、この「虚構=物語」を取り込んで生きる生き物である点です。

 

そして、その「物語」を生み出すことができるのは他ならぬ人間の「想像力」だけです。

 

何らかの権威に依らず、外から強制されることもなく、人間は倫理的に振る舞うことができるのか。

この問いに私は「できる」と答えたい。

「想像力」を伸ばし育てることによってのみ、それは可能だと思います。

 

数えきれないほどの「おはなし」を子どもに聞かせるのが有効なのは、そこに「道徳的な教訓」があるからではありません。

もちろん多くの昔話がそうした教訓を盛り込んでいることは事実ですが、それよりも「物語を聞かせる」ことを通じて、子どもの奥深くに眠っている想像力に火をつけることのほうが遥かに重要なのです。

 

世の中の悲惨や犯罪行為のほとんどは、想像力の欠如から生まれます。

豊かな想像力を持った人間は、自らがどう振る舞えば幸福に生きることができるかを知っています。

そして彼は個人だけの幸福にとどまらず、人類全体の幸福を志向します。

それが自らの幸福につながっていることを想像できるからです。

 

誰かが強制したからではなく、自らの想像力によって、自らの心に従って生きること。

それが真に「自由な人間」だと思います。

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