【絵本の紹介】「11ぴきのねこふくろのなか」【348冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

絵本と他の本との違いは色々ありますけど、特徴のひとつとして、ロングセラーの多さが挙げられます。

通常、一般的な書籍だと、いくらベストセラーだと騒がれても1年(それでも長いかな)もすれば新しいものに取って代わられるのが定めです。

ことに近年は消費サイクルも早まっているので、作者も出版社も次から次へと手を変え品を変え、何とか新しいヒットを生み出そうとしています。

 

これが絵本になると、いまだに何十年も前の作品が本屋の店頭に並んでいたりします。

いかに時代が変わろうとも、子どもが喜ぶものはそう変わらないのでしょう。

 

もちろん、それだけ支持されるロングセラー絵本を描くことは大変に難しい作業です。

大人相手なら宣伝効果によって本が売れることもあるけど、子どもにその手は通じないからです。

なんかわかんないけど、話題になってるから

広告で見たから

読んでおかないと恥をかくから

という理由で本を読む子どもはいません。

 

彼らの価値判断は恐ろしく単純で、作り手にとっては冷徹でさえあります。

「おもしろいか、おもしろくないか」それだけです。

 

ただ、実際に絵本を購入するのは大人たちですから、宣伝が無駄というわけではありません。

絵本を選ぶのって難しいですからね。

作る側もついつい、購買者である親たちに媚びた内容の作品に傾いてしまうこともあるでしょう。

 

しかしながら長い目で見た場合、そうした作品が生き残り続けるということはありません。

読者の大多数が子どもである以上、いずれはおもしろくない作品は淘汰されます。

 

そういう厳しい業界で、誕生から50年以上も変わらず読まれ続けているロングセラー「11ぴきのねこ」シリーズ

今回は4作目「11ぴきのねこふくろのなか」を紹介しましょう。

作・絵:馬場のぼる

出版社:こぐま社

発行日:1982年12月5日

 

このブログでも発行順に取り上げていますので、過去記事もぜひ読んでいただければと思います。

 

≫絵本の紹介「11ぴきのねこ」

≫絵本の紹介「11ぴきのねことあほうどり」

≫絵本の紹介「11ぴきのねことぶた」

 

「11ぴきのねこ」シリーズが真に凄いのは、全6作品すべてが違うおもしろさを持っている点。

1冊のロングセラーを生み出すことも大変なのに、そのクオリティを維持したまま作品をシリーズ化することがいかに困難か、想像を絶するものがあります。

 

前作「11ぴきのねことぶた」から6年。

今作のゲストキャラはこれまでと違い、明確な「敵」として登場します。

その名も「ウヒアハ」。

なんで馬場さんがこんなけったいな名前を付けたのかは後述しましょう。

 

11ぴきのねこはリュックを背負って遠足に行きます。

色々あったけど、相変わらず楽しくやってるようです。

 

道中、様々なことを禁止した立札に遭遇しますが、ねこたちはそれらをことごとく無視します。

「花をとるな」「橋を渡るな」「木に登るな」。

禁止されるとやりたくなるのが業というもの。

シリーズ通してのテーマになっている人間心理はここでも見事に描かれています。

リーダーであるとらねこたいしょうも、形だけみんなを制止するけど、ちゃっかりおんなじ行動をしてるところがまた深い。

 

ねこたちはお弁当を食べた後、また妙な禁止書きを見つけます。

ふくろにはいるな」。

その脇には11ぴき全員が入れるくらい大きな袋が。

 

もはや禁を破ることに躊躇を覚えなくなっている11ぴきは袋の中に潜り込みます。

ウヒヒ、アハハ……

笑い声と共に袋の口が縛られ、11ぴきはまんまと生け捕られてしまいます。

罠を仕掛けたのは「ウヒアハ」という「ばけもの」。

巨大で毛むくじゃらで頭には角、尻尾にはリボン、肩からはポシェットという、何とも言い難い造形。

11ぴきは山の上のウヒアハの城に強制連行され、そこで奴隷のように労働させられます。

重たいローラーを引いて運動場を作らされる11ぴき。

割と怖い図です。

 

夜は地下牢に入れられ、昼は労働。

一度は絶望しかかる11ぴきですが、知恵と勇気で逆境に立ち向かいます。

 

彼らが立てた作戦は、そもそも自分たちを陥穽に落とした例の人間心理を利用したもの。

わざと楽しそうに歌いながら元気よくローラーを引いて見せます。

ウヒアハは自分もやってみたくなって、ねこたちからローラーを取り上げます。

 

その隙に11ぴきは姿をくらまします。

気付いたウヒアハが追いかけてくると、大きな樽に「たるにはいるな」の文字。

わかったぞ、なかにかくれてるな?

しかしこれが11ぴきの罠。

隠れていた11ぴきが飛び出し、樽ごとウヒアハを谷底に突き落とし、大勝利。

 

晴れて自由の身になったねこたちは帰り道、道路に「わたるな」の立札を見つけてドッキリ。

今度はちゃんと歩道橋を渡るのでした。

 

★      ★      ★

 

大変な経験をすることで、珍しく、というか初めて「学習」する11ぴき。

1作目からほとんど変わらないようでいてちゃんと成長しているところを見せます。

 

このお話を「ルールを守らないと因果応報、ひどい目に遭うよ」という教訓として読むこともできるし、それも間違いではないのですが、私はそれよりも11ぴきの「成長」そのものに目を向けたいと思います。

 

彼らが何を学び、どういう成長を遂げたのかと考えると、単純に「規則を守りましょう」という道徳を身に付けたという話ではないように思うのです。

ウヒアハとの対決なんか、なかなかの頭脳戦ですが、そこにこそ11ぴきの成長の中身が描かれています。

 

何度も触れていることですが、11ぴきはとらねこたいしょうを除き、個体識別ができません。

彼らの自我は「集団」に属しており、「個」としての自我は(まだ)芽生えていません。

「みんなでわたれば、こわくない」。それが11ぴきの幼児的無責任さの理由です。

 

彼らにとって重要なのは自分の属する狭い集団内での判断基準なのであって、「外なる世界」にはさして興味がありません。

だから立札や紙に書かれた文字を自分の属する世界での読み方に従ってしか読みません。

 

それが11ぴきを窮地に陥れるのですが、一方、そういう心理を逆手に取った罠を仕掛けたウヒアハも、自分がまさか同じ手を食うとは思いもしなかったのです。

ウヒアハもまた、「たるにはいるな」という文字を「自分の世界内での読み方」に従って読みます。

「自分に理解の及ぶ狭隘な世界」でのみ生きる者は、それゆえに敗北の道を辿るのです。

 

彼らの明暗を分けたのは「自分の属する世界」から「外なる世界」へと「橋を架ける」ことができたかどうかです。

11ぴきは「想像力」によってその架橋に成功します。

実に暗示的な物語です。

 

だから、ラストシーンで歩道橋を渡る11ぴきは、「規則に従わないとひどい目に遭う」ことを学習したというよりも、道路に掲げられている「わたるな」の立札に、「自分たちが理解しえない意味があるのかもしれない」という想像力を働かせたのだと読む方が適切だと思います。

 

その想像力を「知性」と呼ぶのです。

11ぴきは知的成熟への階梯の、最初の一歩を踏み出したのです。

 

画集「馬場のぼる ねこの世界」で、馬場さんが「ウヒアハ」の由来について語っています。

もとは馬場さんが自分の娘さんたちを脅かすときに作り出したキャラクターなのだとか。

ただ、小さい子に後々まで恐怖が残ってはいけないと考えた馬場さんは、成長すれば馬鹿馬鹿しく思えるよう「ウヒアハ」という滑稽な名前を付けたそうです。

 

子どもの成長、絵本の制作、それらに細かな気配りをする作者が、定型的「教訓」絵本など描くわけがないと私は思っているのです。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

ウヒアハの怖さ度:☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「11ぴきのねこふくろのなか

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:http://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com

 

 

 

 

 

 

【絵本の紹介】「みみずのオッサン」【347冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回紹介するのは「ナンセンスの神様」の異名を取る長新太さんによる「みみずのオッサン」です。

作・絵:長新太

出版社:童心社

発行日:2003年9月10日

 

ピンク色(ミミズ色?)を基調としたド派手でサイケな色彩。

タイトルのインパクトも長さん一流。

 

みみずのおじさん、なら絵本らしいのですが、そこを「オッサン」。

ちょっと乱暴で馴れ馴れしい呼び方……ではなく、このみみずの名前が「オッサン」なのですね。

もうこの時点で読者は長さんワールドに足を踏み入れているのです。

武道的に言えば「先を取られている」わけです。

あとはもう、長さんの掌の上。

 

長さん絵本は常に人を食ったような、悪ふざけのような作品が多いのですが、深読みしようと思えばどこまでも深読みを許してくれる懐の深さ・読者の認識の在り方を根本から問いかけるような哲学的側面を有してもいます。

この絵本も、ハチャメチャな展開の後に主人公の活躍があり、大団円へ向かうのかしら……と思いきや、予想を裏切るクライマックスが。

 

オッサン」が散歩に出かけると、「こんなもの」が「ドシーン!」と落ちてきます。

こんなもの」は「ヌルヌル ベトベト ベタベタベタ〜」の色の塊。

ペンキ工場が爆発したのです。

さらには絵の具とクレヨンの工場も爆発して、町はベトベトに固まって車も生き物も動かなくなります。

一体どうなるのかと思っていると、オッサンが「もぐもぐもぐもぐ」「ムシャムシャムシャ」と絵の具やペンキを食べ始めます。

凄い勢いで食べて行き、食べたものは「きれいなどろになって」排泄されていきます。

その泥はどこまでも広がって行き、(長さんの大好きな)地平線を描きます。

 

で、ここで終わらないのが長さん。

なんとオッサンの排泄した泥は「みどりのだいちになり、ずうっとむかしにもどってしまった」のです。

そこで歩き回る恐竜を見て、オッサンは恐竜になりたいなあと思うのですが、お月さんが「みみずのオッサンは、そのままでいいよ」と言います。

 

そしてオッサンは地面の下に戻って行きます。

しずかなよるです」。

 

★      ★      ★

 

「シュール」の一言で片づけるのは簡単ですが、一体ここには何が描かれているのでしょうか。

絵の具やペンキやクレヨンに呑み込まれていく人々は妙に呑気で、「きれいだねえ」などと口にします。

けれど、結局は彼らは絵の具ごとオッサンに取り込まれ、そして土に戻されてしまうわけですから、考えてみると怖いようなお話です。

 

ミミズが豊沃な土壌を作るのは本当で、私が子どもの頃にはまだグラウンドを掘ればミミズが出てくるのも珍しくなかったのですが、最近はどうでしょうね。

土を掘ることがなくなったのでわかりませんが。

ミミズってまじまじ観察すると本当に気持ち悪くて不思議な生き物です。

 

これを文明社会への警鐘・自然の偉大さを謳った絵本と捉えるのは適切でしょうか。

私にはなんとなく、長さんが描きたいものを描いたらこうなっただけ、という気がします。

 

これは色の絵本です。

どぎついほどの色・色・色。

子どもが絵の具遊びを楽しんでいるような、輪郭線すらない色の世界。

 

町も世界も全部塗りつぶしてしまう壮大な「お絵描き」からの「地平線」、そして「緑の大地」。

長さんの「お絵描き欲」を思い切り吐き出したような、「お絵描き創世絵本」です。

 

もし長さんにそんなことを言ったとしたら、何と答えが返ってくるでしょうか。

あのとぼけたような顔で、難しいこと言わないで絵を見てよ、と言うでしょうか。

 

推奨年齢:3歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

「オッサン」のアクセントに悩む度:☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「みみずのオッサン

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:http://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com

絵本・ことば・精神

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

寒くなってきましたね。

今年も終わりが見えてきて、そして年が明ければ我が家の息子もいよいよ小学生です。

 

相も変わらず徹夜するし、何だか最近乱暴だし、衝動を抑制できないし、心配事は尽きません。

担任教師はちょっとやりにくいでしょうね。

行ってみないとわかんないけど。

 

私もこれまでは「まあ、小学校に行くまでには色々成長して変わるだろう」と楽観していたのが、どうもそうでもなさそうなところもあって、焦ったり、いや別に問題ないだろうと考えなおしたり、落ち着きません。

初心に帰るつもりで、これまで続けてきた「読み聞かせ」というものをもう一度考えてみたいと思います。

息子と共に6年間、実にたくさんの絵本や児童書を読みました。

もういちいち数えてませんけど、たぶん種類にして1万冊に近いんじゃないでしょうか。

 

≫3歳までに絵本を1000冊読み聞かせたら

≫絵本の海を泳ぐように。【4歳までの読み聞かせ育児レポート】

≫読み聞かせ育児・5歳まで

≫絵本の森で6年間。【絵本と育児・6歳まで】

 

けど、息子が生まれた頃に考えていたよりは、これでもまだまだ読んだ本の数や回数は少ないのです。

もっともっと読めたはずなのに……という思いは常にあります。

大人でも集中的な読書経験によってある種の脳内変化が起こることがありますが、大人とは比べ物にならないほどの吸収力を持つ子ども時代に集中的読書を体験することによって、その後の人生に大きな影響を及ぼすことが近年の実例として知られています。

 

≫クシュラの奇跡

≫読み聞かせという英才教育

 

「早教育」は日本でもよく耳にする言葉ですが、その方法は様々です。

気を付けなければならないのは単なる知識の詰め込みや無理な記憶が、場合によっては子どもの健全な成長を阻害しかねないことです。

目指すべきなのは子どもの健康で円満な成長であり、「幸せに、愉快に暮らしていける」能力の涵養です。

現代の受験に偏った教育(幼児教育も大部分はその傾向があります)は、端的に言えば「年収やステータス」が人間的幸福に直結しているという「信仰」が元になっています。

 

絵本を読む、読んでもらうというのは、まったく自然な子どもの欲求です。

子どもの際限なき「もう一回」に寄り添い、子どもが手を伸ばせる位置にいつでもたくさんの絵本を置いておくことで、子どもの依存心を満たし、知的好奇心を刺激し、美的審美眼を育てる。

あらゆる知育教材よりも、絵本は優れて子どもの発達に寄与すると今でも私は確信しています。

 

もちろん保育所にも幼稚園にも行かなかった息子は、集団での作法や世間知という点では、他の子に遅れているでしょう。

しかし、それはこれからでも十分に学べるし、学ぶ時期もこれからの方が良いと思うのです。

 

大量の絵本や図鑑と共に幼児期を送った息子の中には、まだ表面に出てきていない無数の「ことば」がマグマのようにたぎっているはずです。

彼は就学前の幼児にしては相当な語彙力を持ってはいますが、それらは未だ血肉とはならず、単に「知ってるだけ」という語句もたくさんあります。

何かを言おうとする時、息子はよく言い淀みます。

腹の中に言葉は溢れていても「言いたいこと」にぴたりと適応する言葉が見つからないのかもしれません。

それは人生経験の少ない子どもには仕方のないことです。

 

今はまだ「ことば」の「種」を撒いているのです。

どうしてそれほど「ことば」が大事なのでしょう。

 

ヨハネによる福音書の有名な冒頭の一節に、「はじめにロゴスがあった。ロゴスは神とともにあり、神はロゴスであった」とあります。

ロゴス」は汲みつくせないような意味の単語ですが、端的に言えば「ことば」を現わしています。

ここでの「ことば」は単に発話や文字に限定されない、もっと根源的なものです。

 

生まれたての赤ちゃんでも、いや、母親のおなかにいる胎児でさえも、「ことば」を持っており、「ことば」を読もうとします。

字を知らない子どもでも絵本を読みます。

絵に込められた「ことば」を読むのです。

胎児は母親の感情や感覚を「ことば」として読み、母親は胎児の発する「ことば」をメッセージとして受け取ろうとします。

 

言語を学習し、覚えて行く過程で、私たちは「ことば」を「所有している」ように感じますが、見方を変えればそうではない。

「ことば」はもともと万物の中に「核」として備わっており、万物は「ことば」を核として形成されているのです。

唯物論的に考えると理解しにくいんですけどね。

 

その「ことば」の広がりはとても人間の言語などでは捕捉しきれません。

しかしそれでも、人間だけが万物から「ことば」を取り出す能力を与えられているのです。

世界を観察し、感じ取り、それを思考するとき、それは「ことば」を探す行為に他なりません。

 

そのために人間に与えられた能力は感覚器官と思考力だけではありません。

想像力によって、人間は「ことば」を取り出すのです。

 

しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本に、子どもたちに異常なまでに人気のある「ホットケーキを焼くシーン」があります。

「ぽたあん」「どろどろ」「ぴちぴちぴち」「ぷつぷつ」「やけたかな」「まあだまだ」「しゅっ」「ぺたん」「ふくふく」「くんくん」「ぽいっ」「はい できあがり」。

たったこれだけのテキストと、平面的でシンプルな絵で、子どもたちは目の前に実際にホットケーキを顕現させるほどの想像力を発動します。

匂いや熱に至るまで、ありありと思い描きます。

それは子ども自身の力によるところもありますが、絵本の持つ力でもあります。

 

想像力を刺激し、引き出してくれる物語を求め続け、それに出会った時、子どもは何度でも同じ話を繰り返し聞きたがります。

彼らは無意識にでも、「見えないものを見る力」が今後の人生にとってどれほど重要であるかを知っているのです。

 

世界は「ことば」でできている。

人間だけが想像力によって世界から「ことば」を取り出せる。

 

このことをよく考えてみてほしいのです。

 

想像力の衰退は「実際に」世界を荒廃させます。

「ことば」を正しく取り出せないと、そこにある本当の生命に気づくことができません。

すると「実際に」生命は衰微していきます。

 

赤ちゃんを前にしたとき、そこにある奇跡的な生命力や圧倒的な存在感や未来の可能性を感じ取れないとしたらどうでしょう。

ただ見える情報として、「未熟で弱い生き物」としてしか認識できなかったとしたらどうでしょう。

 

けれども、逆も真です。

 

想像力を育てるという行為は、目まぐるしい現代社会の中では迂遠な作業に映るかもしれません。

「そんなことより、現実に生きて行くための能力を」と親たちは切羽詰まった思いで子どもを育てているように思えます。

その気持ちはとてもよくわかりますし、私もしょっちゅう焦りを覚えています。

 

しかし、育児において大切なのは「信じて待つ」態度だと思っています。

子ども自身に内蔵されている豊かな人間的能力と成長力を「信じて」、余計な心配や横やりを入れずに、今するべきサポートをしながらそれらの開花を「待つ」ということです。

 

正直言ってイライラさせられることが多いのも事実ですけど、もう一度腹を据えて、息子を信じて、そして待ってみようと思うのです。

 

 

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:http://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com