【絵本の紹介】「風が吹くとき」【369冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

東日本大震災から9年が経ちました。

今も傷は癒えず、復興は見通せません。

それは原発事故が重く影響を及ぼしているからですが、汚染水問題やがれきの処理など、一体今現在現場はどうなっているのか、そして今後はどうなっていくのか、この9年ずっとモヤモヤした霞がかかっているように感じます。

 

今回はあえて震災そのものではなく原発事故の面を、レイモンド・ブリッグズさんのベストセラー「風が吹くとき」と共に考えてみます。

作・絵:レイモンド・ブリッグズ

訳:小林忠夫

出版社:篠崎書林

発行日:1982年7月5日

 

アニメ化もされた作品で、「核戦争の恐怖」を描いた問題作です。

これは旧版で、現在はさくまゆみこさんの訳によりあすなろ書房から再刊されています。

 

細かいコマ割りを用いたコミック・スタイルは同作者の「さむがりやのサンタ」や「ゆきだるま」と同様ですが、その内容はあまりにも重く、怖気を震うようなブラックユーモアで、淡々と物語が進みます。

 

≫絵本の紹介「さむがりやのサンタ」

≫絵本の紹介「ゆきだるま」

 

退職し、イギリスの片田舎で年金暮らしをしているジムと、妻のヒルダ。

ロンドンで暮らすロンという息子がいます。

ジムは国際情勢に興味を持ち、昨今のきな臭い空気に懸念を示していますが、ヒルダはまるでそんなことには興味がなく、大衆新聞しか読みません。

ジムがいっぱしに展開する戦争論にも、頓珍漢な返事ばかり。

まあ、どこにでもいそうな熟年夫婦です。

ところがラジオで本当に戦争が始まったことが告げられ、ジムは動転します。

それでもヒルダは楽観的に「どうせすぐ終わる」などと言います。

 

ジムは政府が発行しているパンフレットに従って、核爆弾に備えた家庭用シェルターを作りにかかります。

壁にドアを立てかけ、窓に白いペンキを塗り……正直お粗末極まりない「シェルター」ですが、ジムは政府を信じ、大真面目に作業。

ここのヒルダとのやり取りがなんとも可笑しいのですが、笑っていいのやらなんやらわからなくなります。

 

そしてどうしても「北朝鮮のミサイルに備えて頭を抱えて地面に臥せる人々」の写真を連想してしまいます。

あの人たち、本当に怖がっていたのかしら。

 

一方、どこか遠くでひたひたと迫る実際の戦争は見開きの大ゴマで不気味に描かれます。

突然ラジオの臨時ニュースが敵(ロシア?)から核ミサイルが発射されたことを知らせます。

ジムは仰天し、ヒルダを引っ張ってシェルターに逃げ込みますが、こんな時でもヒルダは「ケーキがこげちゃう」ことを心配。

 

真っ白な光に包まれ、爆風と熱が過ぎ去ります。

家の中はめちゃめちゃになるものの、シェルターのおかげか、ジムたちはとりあえず無事です。

こんな状況になってもまだ、どこか呑気さが漂う夫婦の会話。

放射能を心配しながらも外に出て、ひどい有様を目にしてもまだ、すぐに政府が救援に来てくれることを信じきっているのです。

 

しかし徐々に核爆弾の影響で蝕まれていく二人。

画面は不気味に白っぽくなっていき、二人の皮膚には紫色の斑点が出てきます。

 

不安になりつつ、あくまでも日常を維持しようと振る舞うジムとヒルダ。

口から血を流しながら歌うジムの姿にはぞっとさせられます。

 

助けは来ないまま、二人は横になり、歌いながら……。

 

★      ★      ★

 

子どもの頃に本で核戦争というものを知ったとき、私はあまりの恐ろしさに気が狂いそうでした。

昨今も核の恐怖を描いた様々なメディア作品は発表されています。

ところが、私の印象としては、それらはさほど怖くないのです。

 

それは表現力の問題というより、作り手側に本当の恐怖心がないからかもしれません。

原爆投下当時の広島の惨状を目にした経験を持つ丸木俊さんの「ひろしまのピカ」などは、大人になった今読んでも生々しい恐怖を覚えます。

 

≫絵本の紹介「ひろしまのピカ」

 

イギリス人であるブリッグズさんは実際に核戦争を体験したわけではありませんが、この絵本が発表された1982年は冷戦のさなかで、「核戦争の恐怖」は現代よりずっと色濃く人々の頭上にのしかかっていたと想像されます。

 

日本は唯一の被爆国ですが、同時に原子力発電所に大幅に頼ることで文明を享受してもいます。

「恐るべき核爆弾の力を平和利用した素晴らしい発明」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、本気でそう思っている人はどのくらいいるのでしょう。

 

原子力そのものは善でも悪でもない、ただのエネルギーです。

ただし、それは世界を滅ぼすほどの爆発的エネルギーです。

そんなものを扱うことが、怖くないのでしょうか。

 

私は怖い。

子どもの頃に感じた、気の狂いそうな恐怖を、私は忘れていません。

誰だって本当は怖くて怖くてたまらなかったのではないでしょうか。

 

その本能的恐怖を、「科学」と「金」という「信仰」によって人々は抑え込んだのです。

 

私を含め、現代の人間は「科学的に」話をされると納得します。

「原発は安全である」という話を、どこかの科学者が色々と難しい数字を挙げて説明すると、なんとなく安心します。

 

しかし考えてみれば、私はその内容についてさほど理解していません。

たとえばこうしてこの文章を書いているパソコン機器やインターネットの仕組みについても、私は無知です。

普段利用する様々な機械についても、ほとんど何もわからないまま使っています。

 

何故専門的な話が本当には理解できなくても「納得」することができるかと言えば、それは「科学」というものを「信じて」いるからです。

絶対不変の数字という「神」を信じているからです。

 

自分が完全に理解できないものを信じるという態度において、それは宗教と変わりません。

宗教にしても、本当に霊的世界を体験し、なおかつそれを理解し、伝える能力がある人間はごく一部でしょう。

それ以外の人間は「信じている」だけです。

 

だから宗教が広まる過程において必ず誤謬と嘘が発生します。

真理は、拡散されていく時に誤謬と嘘をまといます。

 

奇妙な話をしているように思われるかもしれませんが、「原発」もその点では同じように思うのです。

 

そこにある嘘や誤謬や欲を取り払った時、必ず「恐怖」が残るはずです。

それはこの「風が吹くとき」を読んだ時に感じる「恐怖」と同類です。

「科学の話」「カネの話」「政治の話」を取っ払ったら、「原子エネルギー」に人が感じる素直な印象は「恐怖」であるのが当然ではないでしょうか。

 

原発に関わった多くの科学者や政治家だって、本当は怖かったはずです。

怖くて当たり前なのです。

 

その恐怖を直視せず、「信仰」によって抑え込もうとした計画は、すでに失敗しました。

事故は現実に起きたのです。

 

どうして東日本大震災からの復興が進まないのかと言えば、それは責任ある立場の人間がいまだに恐怖を直視していないからです。

「正しく怖がる」ことを忌避し、「これまでと同じ感覚」で処理しようとしているからです。

それは哀れなジムとヒルダが最期まで「これまで通りの日常」を生きようとし、虚しく死んでいく姿に似ています。

 

想像力とは、現実を直視する力です。

想像力を働かせるとは、真理を理解することを諦めない態度です。

科学も宗教も、想像力を欠く限り、誤謬と嘘に絡めとられることは避けられません。

 

ちなみに「風が吹くとき」というタイトルは、マザーグースの子守唄から。

「風が吹いたら(中略)坊やも、揺りかごも、みな落ちる」といういささかぎょっとするような詩に由来するもの。

 

もうひとつちなみに、ジムとヒルダは、ブリッグズさんの別作品「ジェントルマンジム」にも登場します。

そちらは別に悲惨さはありませんが、やっぱりブラックなユーモアが効いています。

ブリッグズさんは実は相当にブラックな作風の作家です。

そうするとむしろ「ゆきだるま」は彼の作品群の中では「異色作」と呼べるのかもしれませんね。

 

推奨年齢:小学校高学年〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆☆

救いのなさ度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「風が吹くとき

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:https://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com

コメント