絵本・ことば・精神

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

寒くなってきましたね。

今年も終わりが見えてきて、そして年が明ければ我が家の息子もいよいよ小学生です。

 

相も変わらず徹夜するし、何だか最近乱暴だし、衝動を抑制できないし、心配事は尽きません。

担任教師はちょっとやりにくいでしょうね。

行ってみないとわかんないけど。

 

私もこれまでは「まあ、小学校に行くまでには色々成長して変わるだろう」と楽観していたのが、どうもそうでもなさそうなところもあって、焦ったり、いや別に問題ないだろうと考えなおしたり、落ち着きません。

初心に帰るつもりで、これまで続けてきた「読み聞かせ」というものをもう一度考えてみたいと思います。

息子と共に6年間、実にたくさんの絵本や児童書を読みました。

 

≫3歳までに絵本を1000冊読み聞かせたら

≫絵本の海を泳ぐように。【4歳までの読み聞かせ育児レポート】

≫読み聞かせ育児・5歳まで

≫絵本の森で6年間。【絵本と育児・6歳まで】

 

けど、息子が生まれた頃に考えていたよりは、これでもまだまだ読んだ本の数や回数は少ないのです。

もっともっと読めたはずなのに……という思いは常にあります。

大人でも集中的な読書経験によってある種の脳内変化が起こることがありますが、大人とは比べ物にならないほどの吸収力を持つ子ども時代に集中的読書を体験することによって、その後の人生に大きな影響を及ぼすことが近年の実例として知られています。

 

≫クシュラの奇跡

≫読み聞かせという英才教育

 

「早教育」は日本でもよく耳にする言葉ですが、その方法は様々です。

気を付けなければならないのは単なる知識の詰め込みや無理な記憶が、場合によっては子どもの健全な成長を阻害しかねないことです。

目指すべきなのは子どもの健康で円満な成長であり、「幸せに、愉快に暮らしていける」能力の涵養です。

現代の受験に偏った教育(幼児教育も大部分はその傾向があります)は、端的に言えば「年収やステータス」が人間的幸福に直結しているという「信仰」が元になっています。

 

絵本を読む、読んでもらうというのは、まったく自然な子どもの欲求です。

子どもの際限なき「もう一回」に寄り添い、子どもが手を伸ばせる位置にいつでもたくさんの絵本を置いておくことで、子どもの依存心を満たし、知的好奇心を刺激し、美的審美眼を育てる。

あらゆる知育教材よりも、絵本は優れて子どもの発達に寄与すると今でも私は確信しています。

 

もちろん保育所にも幼稚園にも行かなかった息子は、集団での作法や世間知という点では、他の子に遅れているでしょう。

しかし、それはこれからでも十分に学べるし、学ぶ時期もこれからの方が良いと思うのです。

 

大量の絵本や図鑑と共に幼児期を送った息子の中には、まだ表面に出てきていない無数の「ことば」がマグマのようにたぎっているはずです。

彼は就学前の幼児にしては相当な語彙力を持ってはいますが、それらは未だ血肉とはならず、単に「知ってるだけ」という語句もたくさんあります。

何かを言おうとする時、息子はよく言い淀みます。

腹の中に言葉は溢れていても「言いたいこと」にぴたりと適応する言葉が見つからないのかもしれません。

それは人生経験の少ない子どもには仕方のないことです。

 

今はまだ「ことば」の「種」を撒いているのです。

どうしてそれほど「ことば」が大事なのでしょう。

 

ヨハネによる福音書の有名な冒頭の一節に、「はじめにロゴスがあった。ロゴスは神とともにあり、神はロゴスであった」とあります。

ロゴス」は汲みつくせないような意味の単語ですが、端的に言えば「ことば」を現わしています。

ここでの「ことば」は単に発話や文字に限定されない、もっと根源的なものです。

 

生まれたての赤ちゃんでも、いや、母親のおなかにいる胎児でさえも、「ことば」を持っており、「ことば」を読もうとします。

字を知らない子どもでも絵本を読みます。

絵に込められた「ことば」を読むのです。

胎児は母親の感情や感覚を「ことば」として読み、母親は胎児の発する「ことば」をメッセージとして受け取ろうとします。

 

言語を学習し、覚えて行く過程で、私たちは「ことば」を「所有している」ように感じますが、見方を変えればそうではない。

「ことば」はもともと万物の中に「核」として備わっており、万物は「ことば」を核として形成されているのです。

唯物論的に考えると理解しにくいんですけどね。

 

その「ことば」の広がりはとても人間の言語などでは捕捉しきれません。

しかしそれでも、人間だけが万物から「ことば」を取り出す能力を与えられているのです。

世界を観察し、感じ取り、それを思考するとき、それは「ことば」を探す行為に他なりません。

 

そのために人間に与えられた能力は感覚器官と思考力だけではありません。

想像力によって、人間は「ことば」を取り出すのです。

 

しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本に、子どもたちに異常なまでに人気のある「ホットケーキを焼くシーン」があります。

「ぽたあん」「どろどろ」「ぴちぴちぴち」「ぷつぷつ」「やけたかな」「まあだまだ」「しゅっ」「ぺたん」「ふくふく」「くんくん」「ぽいっ」「はい できあがり」。

たったこれだけのテキストと、平面的でシンプルな絵で、子どもたちは目の前に実際にホットケーキを顕現させるほどの想像力を発動します。

匂いや熱に至るまで、ありありと思い描きます。

それは子ども自身の力によるところもありますが、絵本の持つ力でもあります。

 

想像力を刺激し、引き出してくれる物語を求め続け、それに出会った時、子どもは何度でも同じ話を繰り返し聞きたがります。

彼らは無意識にでも、「見えないものを見る力」が今後の人生にとってどれほど重要であるかを知っているのです。

 

世界は「ことば」でできている。

人間だけが想像力によって世界から「ことば」を取り出せる。

 

このことをよく考えてみてほしいのです。

 

想像力の衰退は「実際に」世界を荒廃させます。

「ことば」を正しく取り出せないと、そこにある本当の生命に気づくことができません。

すると「実際に」生命は衰微していきます。

 

赤ちゃんを前にしたとき、そこにある奇跡的な生命力や圧倒的な存在感や未来の可能性を感じ取れないとしたらどうでしょう。

ただ見える情報として、「未熟で弱い生き物」としてしか認識できなかったとしたらどうでしょう。

 

けれども、逆も真です。

 

想像力を育てるという行為は、目まぐるしい現代社会の中では迂遠な作業に映るかもしれません。

「そんなことより、現実に生きて行くための能力を」と親たちは切羽詰まった思いで子どもを育てているように思えます。

その気持ちはとてもよくわかりますし、私もしょっちゅう焦りを覚えています。

 

しかし、育児において大切なのは「信じて待つ」態度だと思っています。

子ども自身に内蔵されている豊かな人間的能力と成長力を「信じて」、余計な心配や横やりを入れずに、今するべきサポートをしながらそれらの開花を「待つ」ということです。

 

正直言ってイライラさせられることが多いのも事実ですけど、もう一度腹を据えて、息子を信じて、そして待ってみようと思うのです。

 

 

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