【絵本の紹介】「ひげのサムエルのおはなし」【345冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

そろそろまた大好きなあのシリーズを取り上げたくなりました。

ご存知「ピーターラビットの絵本」より「ひげのサムエルのおはなし」を紹介します。

作・絵:ビアトリクス・ポター

訳:石井桃子

出版社:福音館書店

発行日:1974年2月28日

 

美しい自然と精緻な動物たちの水彩画。

ユーモラスでファンタジックでありながら少しも甘くない厳然たるリアリティに貫かれた世界。

 

世界中の子どもたち(そして私のような大人たち)を虜にし続けるウルトラロングセラー「ピーターラビット」。

後進の絵本作家たちに多大な影響を与えたビアトリクス・ポターさんの描き出した物語です。

 

一体何人の作家が「こんな絵本を描きたい」と筆をとったことでしょう。

しかしながら、いまだに「こんな絵本」を再現できたと言える作家は現れていません。

 

ポターさんの突出した想像力はもはや「才能」という言葉では追いつかない、異次元の能力と言っていいでしょう。

それは実際に動物と会話ができるほどの力であったと考えられます。

そうでなければ、こんな絵本が描けるでしょうか。

 

≫絵本の紹介「ピーターラビットのおはなし」

≫絵本の紹介「パイがふたつあったおはなし」

≫絵本の紹介「ベンジャミン・バニーのおはなし」

 

さて、シリーズ通して度々登場する「食べられエピソード」ですが、この「ひげのサムエルのおはなし」ではそれが特に強烈に描かれています。

この世界の動物たちは人間と同じように立って、話して、服を着て、商売をして生活しているのですが、一方では常に捕食される(あるいは皮を剥がれるといった)危険に晒されており、その一定の緊張感こそが、この作品を極上のファンタジーたらしめています。

 

考えてみればこれは子どもの目から見る世界そのものであると言えます。

子どもは大人たちと同様に人間でありながら、決して大人とは同列に扱われない無力な存在です。

彼らは本能的に大人に蹂躙される恐怖を抱いています。

だからこそ、子どもたちは「ピーターラビット」の世界に全身で共感することができるのです。

 

前置きが長くなりました(というか、ほとんど言いたいことは語ってしまいました)が、手早く本編を読みましょう。

何しろ74pもある長編です。

 

今回の主人公は「こねこのトム」。

シリーズ通して何度か登場する「タビタ・トウィチット」というねこの奥さんの息子です。

タビタさんには他に「モペット」「ミトン」という可愛らしい名前の娘もいますが、三人そろってわんぱく盛りで、まるっきり言うことを聞かないもので、タビタさんはいつも振り回されています。

今日も今日とて、パンを焼く間子どもたちを押入れに閉じ込めておこうとするのですが、そろって姿を隠してしまいます。

 

タビタさん家はずいぶんと古くて広いお屋敷のようで、探すのも大変です。

そこへ現れたのは、「パイがふたつあったおはなし」で登場した「リビー」さん。

相変わらずおしゃれさん。

タビタさんとはいとこ同士です。

 

リビーさんはタビタさんに協力して、広い屋敷内をくまなく捜索します。

モペットとミトンは見つかりましたが、トムが見つかりません。

おまけに、モペットとミトンの証言から、この家のどこかに棲みついているらしい巨大なねずみが不穏な動きを見せていることが判明します。

「麺棒」「バター」「ねり粉」……ざわざわするワードの数々。

タビタさんとリビーさんは屋根裏の床下から妙な音がするのを確認し、「だいくのジョン」(犬)に救援を求めることにします。

 

さて、こねこのトムに何が起こっていたかと言いますと、彼は煙突を上って外へ行こうとして脇道に入り、屋根裏の床下に出てしまったのでした。

そこにいたのは巨大なねずみの「ひげのサムエル」と彼の細君「アナ・マライア」。

トムはあっという間に凶暴な二匹の手にかかり、縛り上げられてしまいます。

 

サムエルはマライアに「わしに、ねこまきだんごをつくってくれや」と恐ろしいセリフを吐きます。

なんとこのねずみたちは子猫を食べるのです。

一体どんな本に「ねずみに食べられる猫」の物語が登場するでしょう。

泣いて抵抗するトムを完全に無視して「ねこまきだんご」の準備を進めるサムエル夫妻。

ねり粉の量やひものことで口喧嘩をしつつ、着々とトムをだんごにしていきます。

トムを「食用」としてしか見ていない態度に寒気がします。

 

もはや絶体絶命というところで、大工のジョンさんが駆けつけ、のこぎりで天井の床を切り開きます。

サムエルたちは仕方なくトムを諦め、屋敷から脱出します。

 

九死に一生を得たトムですが、成長してからもこの体験はトラウマとして残り、ねずみを怖がるようになってしまいます。

無理もありませんね。

 

★      ★      ★

 

前述の通りかなり長いお話で、なおかつちょっと難しい表現も多く、小さな子には理解が追い付かない部分もあるでしょう。

例えばねずみたちの暗躍を知って驚愕するタビタたちとか、ひげのサムエルとアナ・マライアの会話とか、そうしたシーンに詳細な説明的テキストはありません。

これはポターさんの特質のひとつでもありますが、彼女の文章は丁寧でありながらある部分では非常に寡黙で抑制的なのです。

 

ゆえに、単純に絵と文だけから物語の全容が知れるわけではなく、読者は想像力を働かせなければなりません。

だから幼い子ども向けとは言えないのですが、個人的な経験を挙げれば、私は息子が4歳ごろにこれを読み聞かせました。

これまでも他の「ピーターラビット」シリーズの長いお話を聞いていたので、これも行けるかなと思ったのです。

 

やっぱり息子は最後まで集中して聞いていました。

内容をすべて理解したわけではないでしょうが、ここに描かれている物語がある意味で自分に近しい世界であることを、どこかで感じ取ったのかもしれません。

爾来、「ひげのサムエルのおはなし」は定期的にリクエストされる一冊になりました。

 

このシリーズが独特な点のひとつに、語り手であるポターさんの存在があります。

彼女は第三者的視点で物語を語りますが、同時にこのファンタジー世界の住人でもあります。

私などはつい作者の存在を忘れて朗読していたりするのですが、ふとした瞬間にポターさんはその存在感を露わにします。

 

この「ひげのサムエルのおはなし」では、大工のジョンが「ポターさんの手おしぐるま」を作り、クライマックスではサムエル夫妻がその手押し車を勝手に使って引っ越しをし、それをポターさん自身が目撃するという、なんとも不思議な描写がなされています。

 

その影響か、息子の描く絵の中には稀に「ポターさん」というキャラクターが登場します。

時代も国も越えて、子どもにそんな親近感と信頼感を抱かせることのできる絵本作家はポターさんを除いて存在せず、それもまたこのシリーズを唯一無二の作品にしている点だと思います。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆☆

食べ物を粗末にしない度:☆☆☆☆☆

 

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