【絵本の紹介】「おにたのぼうし」【301冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は節分に読みたい一冊を持ってきました。

小学校の国語の授業で取り上げられることもある作品なので、一度は読んだ方も多いでしょう。

おにたのぼうし」です。

作:あまんきみこ

絵:いわさきちひろ

出版社:ポプラ社

発行日:1969年7月

 

この作品に限らず、あまんきみこさんと言えば国語の教科書を思い出してしまう私。

その上品で抒情的な美しい文章は、児童文学の理想形とも言えます。

いわさきちひろさんの透き通るような淡い水彩画が、あまんさんの心地よい鈴の音のような文章と非常に良く合います。

 

≫生誕100年「いわさきちひろ、絵描きです。」に行ってきました。

 

この「おにたのぼうし」が何年生の教科書に出てくるのかは忘れてしまいましたが、大人になって読み返してみると、これはかなりディープな内容です。

果たしてこれを小学校の授業で読み切れるのか。

指導する先生に相当な技量が求められる気がします。

 

あまんさんのテキストを丸々引用したいところですが、簡単にあらすじを追います。

おにた」は「まことくん」の家の物置小屋の天井に住んでいる小さな「くろおに」の子ども。

 

おにたは優しい鬼で、陰でまことくん一家にささやかな良いことをしているのです。

が、まことくんはおにたの存在に気づいていません。

恥ずかしがりのおにたは決して人前に姿を現さないからです。

 

さて、節分の夜、まことくんは豆まきを始めます。

ふくはー うち。おにはー そと

 

おにたは小屋にいることができなくなって、「ふるい むぎわらぼうし」をかぶって角を隠し、出て行きます。

鬼は悪いものと決めてかかる人間に疑問を抱きながら。

 

粉雪の降る中、おにたは入れそうな家を探して彷徨いますが、どこの家も鬼除けのヒイラギを飾っていて入れません。

しかしやがてヒイラギもないし豆の匂いもしない一軒の家を見つけます。

女の子が出てきて雪をすくっている隙に、おにたはこっそり入り込みます。

女の子は病気の母親の看病をしているのでした。

 

何も食べていないであろう娘を案じる母親に、女の子は健気に嘘をつきます。

知らない男の子が、節分で余ったごちそうを持ってきてくれたのだと。

 

何もない台所を覗いたおにたは、「あのちび、なにも たべちゃいないんだ」と悟ります。

じっとしていられなくなったおにたは外へ飛び出し、どこで手に入れたのか、女の子のついた嘘を踏襲する形で、ごちそうを持って戻ってきます。

初めて人間の前に姿を現すのです。

女の子は驚きながらも喜んでくれます。

 

しかし、心が通じ合えたと思ったのは束の間。

女の子は「あたしも まめまき、したいなあ」と呟いておにたを驚愕させます。

 

だって、おにが くれば、きっと おかあさんの びょうきが わるくなるわ

おにたは深い哀しみと寂しさに打ち震え、「こおりが とけたように」いなくなってしまいます。

後に残ったのは麦わら帽子だけ。

不思議に思った女の子が帽子を持ち上げてみると、まだ温かい黒い豆が入っています。

 

女の子はその豆で豆まきを始めます。

さっきの こは、きっと かみさまだわ」と考えながら。

 

★      ★      ★

 

おにたの最後を巡っては、色々と解釈が分かれているようです。

死んだのか、姿を消したのか、あの黒い豆はおにた自身なのか、違うのか……など。

単に「おにたが 可哀そう」で終わってしまっては教材としての意味はありません。

この切ない絵本には何が描かれているのでしょうか。

 

この物語には、悪人が登場しません。

まことくんも、女の子も、女の子の母親も、決して悪くは描かれていません。

それどころか、女の子は非常に健気で母親想いであり、母親もまた自分が病気でありながら娘のことを心配する優しい人間です。

 

「善意の人」が「善意の人」を深く傷つけるという、何ともやりきれないお話なのです。

 

おにたは人前に姿を見せることさえはばかりながら、社会の隅で暮らすマイノリティです。

ここには社会的弱者に対する差別と偏見が描かれているのです。

おにたが「黒」鬼であることはおそらく意図的でしょう。

 

差別とは不自由な人間観が生み出す最悪の害悪です。

そうした差別を撲滅しようと世界中で運動が広がっていますが、わかりやすい目に見える形での差別や偏見ばかりがあるわけではないことを、作者はそっと示しています。

 

「無知であること」「想像力が不足していること」は、もちろんその人間だけに責任を問えることではありません。

けれどもそうした人間的未熟さが、時に人を致命的に損なうことがあるのだとして、我々はそれをいかにして回避すべきなのでしょう。

 

この女の子は悪くないのだ、おにたが堂々と鬼であることを隠さずに姿を見せれば、きっと女の子はわかってくれたはずだ、という意見は、まさに「他者に対する想像力の欠如」からくるマジョリティ立場からの暴力的見解です。

 

差別され、傷つけられ、虐げられてきた弱者に「こう振る舞え」と要求することがどういうことなのか、それを考えようともしない態度こそが「善意の人」が陥りやすい危険です。

 

昨今、差別問題はさらに複雑化し、重大化しつつあるように思えます。

差別する人とされる人、という単純な形式で語れなくなってきているのです。

 

たとえ迂遠な手段に見えたとしても、子どものうちから本質を見極める自由な精神を育む以外に、この地獄を変える手立てはないと私は思うのです。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

よく考えたら節分に読んだら豆まきしにくくなる度:☆☆☆☆☆

 

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