倫理と想像力【自由な子どもを育てるということ・2】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

新年度が始まり、一気に暖かくなりましたね。

新しい生活に入って忙しく過ごされている方も多いと思います。

 

我が家では息子の小学校就学を考えて、そろそろ準備を始めています(まだ2年あるけど)。

当人は相変わらず好き勝手に遊び暮らしておりますが。

以前にも書いた通り、今のところ幼稚園には通っていません。

 

幼稚園にも保育園にも通わなかった子どもは、集団生活の経験がないので、小学校に入学してから協調性のなさやマナー面で苦労するなどと聞くと(そんなもん人それぞれだとは思いますが)、せめて1年でも通わせた方がいいのかしらと迷ったりもします。

しかし、マナーや協調性は大事なことですが、それをそんなに早くからしつけることが、本当に子どものために良いことなのかどうか、いまだに疑問なのです。

このブログを始めたばかりの頃に、「自由な子ども」を育てるということという記事を書きました。

当時3歳だった息子は4歳半になりましたが、子育てに関する基本的な考えは、この時に書いた内容とほぼ変わっていません。

その一方、「自由に育てる」というと聞こえはいいけれど、子どもがわがままになってしまうのでは……という葛藤も、まだ完全に払拭できたわけではありません。

 

生後半年から続けている読み聞かせによって、息子の言語・読書能力はずいぶん高くなったと思いますが、情緒面の発達は緩やかなもので、むしろ普段から幼稚園で保育士さんや友達と触れ合っている同年代の子どもたちに比べたら幼いようにも見えます。

兄弟もいないので、考えてみればこれで協調性が育つはずがないかもしれません。

 

家では「しつけ」と言われるようなことは特にやってません。

好き嫌いは多いし、片付けは滅多にしないし、服を着変えるのに何十分もかけたりするし(絶対に手伝いませんが)、夜更かしはするし、眠いから不機嫌になって悪さするし、でも謝らないし(私は「謝りなさい」とは言いません)。

 

これらを「わがまま」と言われればその通りかもしれません。

でも、これくらい子どもとしては普通、と言われればそんなものかもしれません。

 

けど、いずれにしても私は子どもに振り回されているわけではありません。

たとえどれほど迂遠な方法であるとしても、本当に倫理的な人間を育てるには、「力による強制」は可能な限り避けるべきだと考えているからです。

 

「自由な人間」は「わがままな人間」とは違います。

「自由な精神」を持った人間は倫理的に振る舞うことができるはずです。

今回はこの点について少し思うところを述べてみます。

 

「自由」が「わがまま」を連想させるのは、「自由」とは「個人」に近づくことだからです。

その反対が「集団」です。

 

「道徳」とは、「集団」の存続のために「個人」的な振る舞いを控え、「集団」の利益を優先させることです。

「集団」に属することはその人間の生存率を高めますが、同時に「不自由さ」がついて回ります。

日本では特にこの点が顕著です。

 

旧来的な「道徳」とは、親や教師など、「権威」から与えられる外的な概念です。

つまり「他人の判断」を基準に自らの行動を決めるということです。

これが「天国と地獄」のような神的な権威に替わっても、事情は同じ事です。

 

それが悪いと言っているのではありません。

国家や集団の存続を優先させることが、結果的に個人の生きる確率を高めるのですから、それは極めて合理的な振る舞いです。

ただ歴史的に見れば、人間は徐々に「集団」から「個人」へ、つまり「不自由」から「自由」を志向しているのは明らかです。

 

そこに様々な運動や反発が起こるにせよ、人間の精神は本質的には「自由」を求めているのでしょう。

 

そこで、これまで何らかの権威から与えられていた道徳の「不自由さ」に、人の本性は抵抗を始めます。

現代的人間はもはや、それが神であっても、道徳的に強制されたいとは思わないでしょう。

自らの自由な精神に基づいて行動したいと願うはずです。

 

しかしここで、最初の葛藤に行き着きます。

「自由」とは「わがまま」ではないのか。

 

確かに、すべての人間が動物的な本能や衝動のみに従って行動するのなら、暴力や犯罪がはびこる社会が生まれてしまうでしょう。

人間の魂は善良であるから、放っておいても倫理的な人間に成長する、というのはあまり科学的な見方ではありません。

野生の獣に育てられた子どもが、社会的な倫理観や道徳的概念を持つことは期待できません。

 

倫理や道徳というものは、人間の生体に自然発生するものではなく、後天的に得る概念です。

つまりは虚構なわけですが、人間が他のあらゆる動物と異なっているのは、この「虚構=物語」を取り込んで生きる生き物である点です。

 

そして、その「物語」を生み出すことができるのは他ならぬ人間の「想像力」だけです。

 

何らかの権威に依らず、外から強制されることもなく、人間は倫理的に振る舞うことができるのか。

この問いに私は「できる」と答えたい。

「想像力」を伸ばし育てることによってのみ、それは可能だと思います。

 

数えきれないほどの「おはなし」を子どもに聞かせるのが有効なのは、そこに「道徳的な教訓」があるからではありません。

もちろん多くの昔話がそうした教訓を盛り込んでいることは事実ですが、それよりも「物語を聞かせる」ことを通じて、子どもの奥深くに眠っている想像力に火をつけることのほうが遥かに重要なのです。

 

世の中の悲惨や犯罪行為のほとんどは、想像力の欠如から生まれます。

豊かな想像力を持った人間は、自らがどう振る舞えば幸福に生きることができるかを知っています。

そして彼は個人だけの幸福にとどまらず、人類全体の幸福を志向します。

それが自らの幸福につながっていることを想像できるからです。

 

誰かが強制したからではなく、自らの想像力によって、自らの心に従って生きること。

それが真に「自由な人間」だと思います。

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