体罰について

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は子どもに対する親の「体罰」というものについて少し考えてみます。

これは複雑で根深い問題ですから、簡単な話にまとめるべきではないのかもしれませんが。

 

肯定派・否定派さまざまな意見が飛び交ってますが、究極的な論点は、

「体罰」は「子どもの成長」にプラスなのか、マイナスなのか。

これだけです。

 

肯定派は「プラスである」(もしくは「プラスになる場合もある」)と言い、否定派は「マイナスである」(もしくは「トータルでマイナス影響が大きい」)と言います。

 

「子どもの成長なんか知ったことではない。スカッとするから殴るんだ」という意見は(堂々と口にする人もいないでしょうが)、この際無視します。

さすがに(表立っては)支持する人もいないでしょうから。

 

さて、次に「体罰」のパターンをおおまかに

 

1・怒りが爆発して

2・「してはいけないこと」を覚えさせるため

3・心身を鍛えるため

 

の3点に分けて、上記の観点から見てみましょう。

 

まずは

1・怒りが爆発して

の体罰について。

 

誤解のないように先に言っておきますが、私は息子に手を上げたことは一度もありません。

これからもないでしょう。

 

とはいえ、今は少々収まっていますが、反抗期全盛の頃には「こいつ・・・」と、イラッとさせられたこともあります。

しかし幸いにして、私は(自分で言うのもなんですが)非常に穏やかな人間ですので、怒りで我を忘れるようなことはありませんでした。

 

けれど、言うこと聞かずの子どもを相手に、思わずカッとなって手を上げてしまう親の気持ちは理解できます。

この場合は、ほとんどの親が後で反省すると思います(してください)。

 

このケースは単に親の感情コントロールの問題であって、子どもの成長には何のプラスにもなりません。

心理的な傷は暴力のひどさに比例すると思いますが、意外と反面教師的に学ぶ子どもも多いような気がします。

いい友人に恵まれれば、その後の人生に立ち直れないほどの傷を与えることも少ないでしょう。

大人になってから、ケロリとした様子で過去の家庭内暴力の話を持ち出す人は、たいていこのケースです。

 

次に

2・「してはいけないこと」を覚えさせるため

の体罰。

 

これも多いと思います。

特に幼い子どもは理屈が通じないため、体で覚えさせるしかないという説には一面の理があるために、説得力を感じてしまいがちです。

 

しかし、これはこのブログで何度も書いていることですが、「叩かれるから悪いことをしない」というレベルの倫理観は、「人間的成長」という観点から見ればむしろマイナスです。

それは裏を返せば「見つからなければ悪いことをしてもいい」ということです。

 

私の考えは、「理屈が通じるまでは、叱らなければならない状況を極力作らない」というものです。

 

家の中では何をしたっていいんです。

物を壊そうが、泣きわめこうが、イヤイヤを連発しようが、子どもにとってはすべて成長の糧です。

必要だからしているんです。

 

壊されて困るものは隠しておき、危険なことをしているときは傍で見守り、本当に危ない目に遭いそうなときだけ黙って助けてやり、泣いて言うことを聞かないときは、気分が変わるまで待つ。

もちろん簡単ではないですけど。

 

しかし、外ではそうはいきませんね。

だったら、なるべく公共の場へ連れて行かないほうがいいです。

3〜4歳までの外遊びは公園で十分じゃないですか?

デパートや遊園地なんか、百害あって一利なしだと思うのですが。

 

「子どもには好きなことをさせてあげるべき」と言うと、

「そんな風に育てて、小学校に入るころには手が付けられないわがままになるんじゃ・・・」という心配が必ず出てきます。

でも、誰か一人でも、「そんな風に育てて、手が付けられないわがまま」になった子どもを見たことがあるんでしょうか。

むしろ、素直な欲求を満たされなかった結果のわがままのほうが多いのではないでしょうか。

 

重要なのは「子どもに振り回されない」ことです。

親が自ら積極的に「甘えさせる」ことができれば、それは「甘やかし」にはなりません。

おんなじようでも、全然違います。

第一、親の精神状態が違います。

「やらされてる感」がなくなりますし、「つけ込まれるような甘さ」にもなりません。

そういう親を見て育った子どもは、人の愛情を利用しようとは思わなくなるでしょう。

 

最後に

3・心身を鍛えるため

には、多少の体罰も効果的だという考えについて。

 

体罰を容認する大人のほとんどが、「子どもは少しくらい痛い目に遭わなければ、強くなれない」と考えているのではないでしょうか。

確かに、今の子どもたちが「打たれ弱い」とか「覇気がない」という声はよく耳にします。

 

「親や教師が甘やかして、殴られた経験もないせいで、精神的に弱い子どもになるのだ」という論には、抗いにくい力があります。

というのは、ほとんどの親は我が子の「弱さ」を不安に思っているからです。

 

我が子が弱いと、学校でいじめられるかもしれない。

何かの壁にぶつかって、すぐに挫折してしまうかもしれない。

結果的に、社会的にも弱者として生きなければならないかもしれない。

 

これはある種、普遍的な親の心配でしょう。

しかし、これはそういう親心につけ込むような脅迫だと思います。

 

確かに、ビシバシ叩いて、「シャキッとしなさい」とハッパをかけて、厳しく突き放して育てた結果、タフな人間に成長することはあるかもしれません。

あるいはそういう子どもは、「殴られもしたけど、あの愛のムチのおかげで、今の自分があるのだ」と、体罰に感謝さえするかもしれません。

 

しかし、だからと言ってそれが単純に「体罰のおかげ」とは言えません。

その子自身の性質や、親の性質、親子の関係性、家庭や学校環境、タイミングなどの条件がそろわなければならないのは当然です。

ただ叩けばいいってものじゃない。

 

「体罰成功例」の陰にははるかに多くの「損なわれた子どもたち」がいることを忘れてはなりません。

 

上記のような条件をすべてクリアして、「ここしかない」機会を逃さず、効果的に体罰を与えられるような大人は、一体どれくらいいるのでしょう。

少なくとも、私にはそんな超絶的な芸当はできません。

 

第一、そんな卓越した人間力があるのなら、わざわざ手を上げなくとも、日常の振る舞いの中で十分に子どもの教育は可能なのではないでしょうか。

 

そしてもう一つ付け加えておきたいのは、前述した「体罰に感謝する」人間が、本当に心の底からそう思っているとは限らないということです。

人間とは、「愛しているから殴るのだ」という思い込みができる生き物です。

この思い込みがいかに危険なものかは、DVなどの例を挙げればすぐにわかるでしょう。

 

さらに言うなら、「我が子を強く育てるために」体罰を加える親たちが思い描く「強さ」とは、現代社会的な価値観の中でのみ通用するような種類の「強さ」である可能性があります。

他人を蹴落とす強さ、上手く立ち回って利益を手にする強さ、少しでも上へ登る強さ。

それらは、真の人間的強さとは全く無関係なものであるかもしれないことを、頭の片隅に入れておいて欲しいのです。

 

結局のところ、拳を振り上げた時、大人が自らを省みることさえできれば、ほとんどの体罰は無くなります。

子どもを教育するのではなく、自分自身を教育するほうが上手くいく。

これが真実ではないでしょうか。

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