【絵本の紹介】「おちゃのじかんにきたとら」【182冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は個人的に興味深いロングセラー「おちゃのじかんにきたとら」を取り上げます。

作・絵:ジュディス・カー

訳:晴海耕平

出版社:童話館

発行日:1994年9月15日(改訂新版)


定番にして人気の絵本です。

確かに楽しくて、可愛くて、ユーモラスなお話です。

 

しかし、私はこの作品を咀嚼するのにずいぶん時間がかかりました。

一読したとき、どこか難解な印象を受けたのです。

 

この作品に対する他の人の感想や評論などを読んでも、わりとバラバラな読解をされているようです。

広く支持されながらも解釈が分かれるということは、その作品の懐の深さを示しているとも言えます。

 

では、問題の内容をざっと読んでみましょう。

 

主人公はソフィーという名前の小さな女の子。

その日、ソフィーはおかあさんと台所で「おちゃのじかん」にしようとしていました。

そこに、玄関のベルが鳴ります。

 

この時間に訪ねてくる人物に心当たりがないおかあさん。

ともかくソフィーはドアを開けてみます。

すると、なんとそこには「おおきくて 毛むくじゃらの、しまもようの とら」が立っていたのです。

とらは礼儀正しく、

おちゃのじかんに、ごいっしょさせて いただけませんか

と言います。

 

おかあさんは驚きもせず、「もちろん いいですよ」ととらを招き入れます。

とらは行儀よくテーブルにつきますが、その食欲は野生そのもの。

サンドイッチも、パンも、ビスケットも、ケーキも、そして飲み物も、テーブルにあるものを何から何まで全部平らげてしまいます。

それでもとらは満足せず、台所を眺め回し、冷蔵庫や戸棚にある食べ物まで、何もかも食べてしまい、さらには水道の水まで全部飲み干してしまいます。

やがてとらは丁寧にお礼を言って、帰ってしまいます。

 

さて、家じゅうのすべてのものを食べられてしまい、夕ご飯の支度ができないばかりか、水道の水まで飲み尽くされてお風呂にも入れないソフィーとおかあさん。

そこにお父さんが帰ってきます。

 

事情を聞いたおとうさんは慌てず騒がず、レストランへ行こうと提案。

そこで家族は幸せな時間を過ごし、次の日、ソフィーとおかあさんは「とらが、いつ また おちゃのじかんに きても いいように」と、たくさんの食べ物と「タイガーフード」の缶詰まで買い込みます。

 

しかし、その後、とらが現れることはありませんでした。

 

★      ★      ★

 

この絵本の面白さは、とらが家にやってくるという非日常の事件に対し、ソフィーと母親がまったく動揺せず、当たり前のように受け入れるところにあります。

とらの豪快な食べっぷりも楽しいですが、その後帰宅した父親が少しも驚きも怒りもしないところも可笑しい。

 

これらを、「馬鹿馬鹿しいナンセンスな笑い」として楽しむこともできるでしょう。

しかし、絵をとっくりと見てみると、また違った「読み」も可能です。

 

このお話において、主人公であるソフィーのセリフは一言も出てきません。

文章も淡々としたもので、人物の心情を説明する部分はありません。

ですから、ソフィーが何を思い、何を感じているのかは、絵から読み取るほかありません。

 

玄関でとらに遭遇したソフィーは後ろ姿で、その表情は見えませんが、その後とらに対するソフィーの目線は常に優しく、慈愛に満ちています。

慇懃な言葉遣いとは裏腹の、傍若無人でさえあるとらの食事の最中にも、ソフィーは毛皮に顔をくっつけたり、尻尾を撫でたりして、愛おしむ仕草を見せています。

 

ですから、ソフィーは「とら」の訪問を内心で待ち望んでいたとも考えられます。

そこからこれを「ソフィーの内面的な物語」として読むこともでき、年頃の子どもの「外界への好奇心や期待や憧憬」を描いた作品なのだと解釈することもできます。

 

そしてまた別の視座から読んでみると、「他者への寛容性」がこの物語の核であると捉えることもできます。

 

ここに登場するのは犬でも猫でもなく、大きな「とら」という、とびっきりの「他者」です。

可愛いと言えば可愛いけど、やっぱり怖さも持っている猛獣です。

 

丁寧な言葉遣いをしていても食欲は旺盛であり、それを満たすためには遠慮はなく、いつソフィーたちに牙を向けるかしれないと、読者は心のどこかでハラハラせずにはいられません。

食べ物を探すとらの目つきは鋭く、油断なく、獰猛さを内に秘めています。

 

他者に対し恐怖心から疑いの目を向けること、防衛本能から拒絶すること、非寛容になることは、現実世界においても起こることです。

それが差別を生み、暴力を生みます。

 

しかし、この腹を空かせたとらを、ソフィーの母親は温かく迎え入れ、家じゅうの食べ物を食べ尽くされた後でもなお、困惑はしても批難はしません。

父親の対応も非常に理性的です。

 

何故なら、とらは最後まで礼儀正しく振る舞おうとする誠意を見せていたからです。

おそらく、とらにとって品のいい「おちゃのじかん」は苦痛であったでしょう。

しかし、彼は自分のテリトリー外での「マナーと作法」を守ろうと努力し、丁寧な言葉を使って挨拶することを心がけました。

 

たとえ相手が理解できない異邦人であっても、敬意と誠意に対しては敬意と誠意で応えることが人間として成すべき態度なのだと、ソフィーの両親は示して見せたのだと考えられないでしょうか。

 

私がそう考えるのは、作者のジュディス・カーさんが、1930年代、ナチスの圧迫から逃れ、父親とともにドイツを離れた経験を持つ方だからです。

その頃の経験は、カーさんの小説「ヒットラーにぬすまれたももいろうさぎ」にまとめられています。

「他者への非寛容」性の増幅によって最悪の人種差別と虐殺を生んだナチスの存在が、彼女の作品(それはとても明るいものばかりですが)に何の影響も投げかけていないことは想像しにくいのです。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

タイガーフードの需要性に疑問度:☆☆☆☆☆

 

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