2017.04.21 Friday
【絵本の紹介】「ながいかみのラプンツェル」【111冊目】
こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。
今回はグリム童話原作・「ながいかみのラプンツェル」を取り上げます。
原作:グリム童話
絵:フェリクス・ホフマン
訳:瀬田貞二
出版社:福音館書店
発行日:1970年4月30日
今ではディズニー版の方が遥かに有名になってしまいましたが、映画は原作とはかなり違いがあります。
原作そのものも、時代の要請に従って、何度も改編されている問題作です(性的描写が露骨だという、例の事情です)。
さらに、この絵本も、作者のホフマンさんが細部に変更を加えています。
ですので、「ラプンツェル」を知ってる人は数多くとも、どのヴァージョンを読んだかによって、それぞれの思い描くお話は様々だと思われます。
まずは、絵本の内容とポイントをざっと追ってみましょう。
あるところに、子どものいない夫婦が住んでいて、一人でも子どもが欲しいと願い暮らしていました。
隣の家には人から恐れられている魔女のゴーテルが住んでいて、その庭には立派な畑がありました。
ある時、おかみさんは、ゴーテルの庭のラプンツェル(レタスのような野菜)を食べたくてたまらなくなり、旦那さんに取ってきてくれるよう懇願します。
旦那は庭に忍び込んでラプンツェルを盗みますが、魔女に見つかってしまいます。
旦那さんが訳を話して謝ると、ゴーテルは好きなだけラプンツェルを持って行っていいが、もし次にまた来たら、これから生まれる子どもをよこすことを約束させます。
しかし、結局おかみさんはまたすぐにラプンツェルが欲しくて我慢できなくなり、再び旦那さんは魔女の庭に侵入。
もちろん見つかって、その後生まれた娘を連れ去られてしまいます。
ゴーテルは娘を人目につかない森の奥の塔で育てます。
ラプンツェルと名付けられた娘は「てんかいちの きりょうよし」に成長します。
けれども、ラプンツェルは塔から一歩も外へ出ることを許されません。
塔には階段もなく、ゴーテルが塔に入る時は、ラプンツェルの長い髪を梯子替わりに使うのでした。
そんなある時、森へ来た王子が、ラプンツェルの歌声を耳にし、心を奪われます。
王子は塔に近づき、ゴーテルが窓から垂らされた髪の毛を掴んで出入りするのを見て、同じように窓に向かって呼びかけ、侵入します。
初めて見る男性に、ラプンツェルは驚きますが、王子が若くて美しいのを見て、「このひとなら、ゴーテルばあさんよりも わたしを かわいがって くれるだろう」と考え、王子の愛を受け入れます。
何度か魔女の目を盗んで逢瀬を重ねるうちに、ラプンツェルはうっかりと、ゴーテルに
「あなたを ひきあげるほうが、おうじさまを ひきあげるより おもいのですもの」
と口を滑らせてしまいます。
ゴーテルは怒り、ラプンツェルの長い髪をばっさり切り取ってしまいます。
そして、やってきた王子を塔の下へ落とします。
王子は「いばらで りょうめを さしつぶしました」。
これを見たラプンツェルは塔から飛び降りますが、怪我一つ負わず、王子を見つけて抱きしめます。
ラプンツェルの涙が王子の目を治し、ふたりは王子の国へ帰って結婚します。
残された魔女は塔から降りることもできず、小さくしぼんでしまい、最後は大きな鳥にさらわれてしまうのでした。
★ ★ ★
一読しただけでは、釈然としないお話です。
登場人物はそれぞれ業が深く、単純に「いい人」「悪い人」が存在せず、勧善懲悪のストーリーでもありません。
・娘が奪われるのを知った上で、よそ様の畑の野菜を盗み食らう夫婦。
・何の目的かわからないけどラプンツェルをさらって、でも結構大事に育ててる魔女。
・でも、あっさりと初めて会った男になびいてしまう、チョロいラプンツェル。
・なんか情けない王子。
ディズニー映画は、上記の点をすべて納得のいく物語になるよう、変更しています。
なお、原作と絵本との違いで最も顕著なのは、「ラプンツェルが妊娠しないこと」「魔女の最後が描かれていること」の2点です。
原作では、ラプンツェルは王子と性行為を繰り返し、妊娠することによって密会を魔女に知られます。
絵本ではここを改編していますが、p24〜25のカットは、わりと如実に性的なものを暗示しています。
つまり、これは基本的に「性的な物語」なのです。
そのつもりで読み解くと、ラプンツェルの長い髪は「処女性」を示し、王子の失明は「去勢」を示していると推測できます。
そして物語のテーマは、「娘を支配する母親」です(これは「核」ですので、ディズニー映画においても継承されています)。
魔女ゴーテルがラプンツェルを幽閉し、人目に触れさせないのは、娘の若さと美しさへの嫉妬からです。
こういう感情は、現代でもないとは言えないでしょう。
老人は、常に若者に嫉妬を抱くものです。
ことに、若者同士の自由な性交を、老人は危惧します。
なぜなら、それは自分が若いころに欲しても手に入れられなかった自由であり、悦びであるからです。
妊娠の恐れとか、勉学の妨げとか、世間体とか、様々なもっともらしい理由の奥底には、そうした嫉妬の念があります。
グリム童話にたびたび「継母」という形で登場する母親たちは、実の母親の心のどこかに潜む、娘への嫉妬と支配欲を象徴していると考えられます。
それが「母親と娘」であるのは、単に女性の方がより性的に抑圧されているからです。
これだけ時代が流れても、いまだにその抑圧の連鎖は断ち切れていません。
しかし本当に、老人の世代が言うように、若者に自由な性交を許したら、人間は堕落するのでしょうか。
世間に蔓延る様々な病は、性的奔放ではなく、性的抑圧の結果ではないでしょうか。
青春を謳歌できなかった魂は、かつての自分である子ども世代に、呪いをかけ続けます。
「ラプンツェル」は、そうした母親の呪縛から逃れる娘の物語なのです。
そう読まないと、
「この魔女、別にそんなに悪いことしてないんじゃないの」
と思ってしまいがちです。
だからこそ、ホフマンさんが、わざわざ原作にない魔女の末路を描いて、
「いんがおうほう、とうぜんのむくい」
とまで書いているのではないでしょうか。
推奨年齢:4歳〜
読み聞かせ難易度:☆☆☆☆☆
構成力と画力度:☆☆☆☆☆
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