【絵本の紹介】「いもうとのにゅういん」【267冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回はあの名作「はじめてのおつかい」を生み出した名タッグ、筒井頼子さんと林明子による絵本を紹介します。

いもうとのにゅういん」。

作:筒井頼子

絵:林明子

出版社:福音館書店

発行日:1987年2月25日

 

小さな女の子のほっぺと髪の毛を描かせたら日本一。

個人的にも大好きな林さんの作品、このブログで取り上げるのはかなり久々です。

 

筒井さん&林さんの絵本は、隠し要素的に他作品との関連が描き込まれていて、それらを探すのも楽しみのひとつですが、この「いもうとのにゅういん」は、はっきりと「あさえとちいさいいもうと」の続編という位置づけになっています。

 

≫絵本の紹介「あさえとちいさいいもうと」

 

前作からの時間経過はおそらく1年くらいでしょうか。

あさえ6歳、あやちゃん4歳くらいかな。

 

ストーリーの方も彼女たちの成長に合わせるようにやや長めになり、より複雑な心情を描いたドラマになっています。

 

幼稚園から帰ってきたあさえと友達のひろちゃん(筒井さんと林さんの別作品「とんことり」に登場する女の子です!)。

あさえの人形「ほっぺこちゃん」で遊ぶ約束だったのに、ほっぺこちゃんが見えません。

また、あやちゃんの いたずらだ

あさえが怒ってあやちゃんを呼ぶと、お母さんがぐったりしたあやちゃんをおんぶして出てきます。

お母さんはあやちゃんを病院に連れて行きますが、入院することになって、パジャマやタオルを取りに帰ってきて、また出かけて行きます。

盲腸の手術と聞き、動揺するあさえ。

 

その不安を反映するように空が暗くなり、雨が降り出しそうになり、ひろちゃんは帰ってしまいます。

稲妻が光り、激しい雨が降り出します。

 

あさえはほっぺこちゃんを抱きしめて、一人でお父さんの帰りを待ちます。

ほっぺこちゃん ほっぺこちゃん あやちゃんは だいじょうぶよね……

 

やがてお父さんが帰ってきて、あさえと二人だけで夕ご飯を食べます。

病院からお母さんの電話で、あやちゃんの手術は無事に終わったことが告げられます。

明日のお見舞いに何を持っていこうかと思案するあさえ。

折り紙を折り、手紙を書きます。

あやちゃんが、もっとよろこぶものって、なにかしら……

考え続け、あさえはついに答えを見つけます。

そして次の日。

あさえがあやちゃんのお見舞いに持って行った紙包みの中には、大切な人形のほっぺこちゃんが入っていました。

 

おねえちゃん、ほっぺこちゃんを くれるの? あたしに? ほんとう?

喜ぶ妹に、あさえは「ちからをいれて うなずきました」。

 

お母さんはあさえの肩を抱いて、

あさえちゃん、たったひとばんで ほんとうに おおきな おねえさんに なったのね

 

★      ★      ★

 

今さら言うまでもないことですが、林さんの画力、特に小さな子の微細な表情を捉える筆の見事さには恐れ入るばかりです。

お母さんの指摘したとおり、あさえはたった一晩のうちに大きく成長します。

 

その内面の変化が、表情や佇まいにも表れています。

あやちゃんへのお見舞いを考えるあさえの横顔のカットは、幼さを残しながらも情緒的な成長を遂げようとしている少女を的確に捉えています。

これはとても難しい絵だと思うのです。

 

年の近い兄弟や姉妹は、どうしても上の子が我慢を強いられることが多いかもしれません。

あさえも、普段はあやちゃんを可愛がりつつも、自分の人形を使われることを嫌がっていたのだと思います。

いくらお姉ちゃんだって子どもですから、自分のものは自分のものとして、妹に渡したくはない気持ちは当然でしょう。

 

それを乗り越えて、あさえは大切なほっぺこちゃんを妹に贈るのです。

誰に強制されたわけでもなく、自分の考えで。

 

自分よりも小さな者、弱い者に対して「譲り、贈る」行為ができた時、あさえはこれまでにない喜びを感じたことでしょう。

 

……それにしても立派な子です。

ついつい自分の息子と比べてしまいますね。

兄弟がいないせいかなあ。

 

さて、例によって林さんの「遊び」として、病院には、他作品の登場人物がいます。

探してみてください。

よくよく見ると、彼女たちも大きくなっているような……。

 

推奨年齢:3歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

あさえの美少女度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「おとなになれなかった弟たちに……」【263冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

お盆が近づくと、戦争や原爆について考えることが増えます。

そしてあれほどの悲惨と慟哭が、月日を追うごとに記号化され、その深刻さを忘れ去られていくことに、大人として、親として、責任を感じずにはいられません。

 

私たちには、次の世代にも平和への祈りや想いを正しくバトンタッチする義務があります。

その手段として、戦争を直接には知らない私たちの言葉よりも、遥かに重さと深みのある芸術作品によるほうが、よりまっすぐに子どもたちの胸に突き刺さると思います。

 

今回は「おとなになれなかった弟たちに……」を紹介します。

作・絵:米倉斉加年

出版社:偕成社

発行日:1983年11月

 

2014年に亡くなった俳優の米倉斉加年さんが、自身の悲しい戦争体験を綴った絵本です。

絵も、米倉さんが描かれています。

 

教科書でこの作品に出会った人も多いでしょう。

かくいう私もその一人です。

このお話は強烈に心に残っており、大人になっても細部まで覚えていました。

 

印象的なのは、その語り口です。

作者は小学生の頃の経験を、小学生だった当時のままの目線で、余計な感情表現を一切用いずに、淡々と独白します。

 

それがかえって、少年の哀しみの深さを際立たせています。

「一生わすれません」という最後の一文。

戦争を、弟の死を、本当に一生忘れないで心に留め続けた米倉さんだからこそ、子どもの頃に感じたことをそのまま作品に成し得たのだと思います。

ひもじいひもじい少年時代。

食べるものがない辛さを体験した者は、そのことを生涯忘れないと言います。

 

産まれたばかりの作者の弟のヒロユキにとっては、母親のお乳が出ないので、ときどき配給される一缶のミルクだけが、大切な食べ物でした。

けれども、作者は弟の大切なミルクを盗み飲みしてしまいます。

ぼくにはそれがどんなに悪いことか、よくわかっていたのです

でもぼくは飲んでしまったのです

ぼくは弟がかわいくてかわいくてしかたがなかったのですが……それなのに飲んでしまいました

 

やがて空襲が激しくなってくると、母は疎開しようと考え、親戚に相談に行きます。

しかしそこで何も言わないうちから、うちには食べ物はない、と言われます。

母はすぐさま帰ろう、と言って、後ろを向きます。

そのときの顔を、ぼくはいまでもわすれません

強い顔でした。でも悲しい悲しい顔でした。ぼくはあんなに美しい顔を見たことはありません

 

疎開先で、作者はヒロユキをおんぶして、川へ遊びに行きますが、栄養失調のためヒロユキは死んでしまいます。

息子が死んでもずっと泣かなかった母は、ヒロユキをお棺に入れるとき、少し大きくなっていることに気づいて、初めて涙を流すのでした。

 

★      ★      ★

 

俳優としての米倉さんは、それこそ何百もの映画やドラマに出演していますが、無教養な私はそちらの方面には疎く、全然知りません。

ただ、夢野久作の小説などで見る米倉さんの挿絵には、強い印象を持っていました(それが教科書で見たこのお話の作者であるとは全然気が付きませんでした)。

 

本当に多才な人物だったと思います。

 

米倉さんは、弟が死んだのは自分のせいではないかと悩み続けたのでしょう。

あの時、ミルクを盗み飲みしなければ、あるいはヒロユキは死ななかったのではないか。

 

弟の死は、幼い少年の心に、一生消えることのない罪悪感を刻み付ける出来事だったのでしょう。

 

しかし、それでは少年の作者は本当に罪を犯したと言えるのか。

彼にひもじい思いをさせ、本来背負わなくてよかったはずの罪の意識を背負わせたものはなんだったのか。

 

米倉さんは「あとがき」にこう書きます。

私の弟が死んだ太平洋戦争は、日本がはじめた戦争なのです。そして朝鮮、韓国、中国、東南アジアの国々、南方諸島の人たちをどんなに苦しめたことでしょう。そのことを私たちは忘れてはならないと思います

 

昨今では、こうした言葉は軽んじられ、侮蔑の対象にすらなるかもしれません。

様々なところで「日本は悪くなかった」と主張する人たちが増えたからです。

 

しかしそれでは、ミルクを盗み飲みした少年は悪かったと言えるのでしょうか。

けれども、米倉さんはその「罪」を引き受け、一生罪とともに生きることを自らに課します。

その上で、戦争そのものの責任をも引き受けているのです。

 

平和へ至るための道は、「被害者」の立場を超えて、背負わなくていいかもしれない「責任」を、自ら引き受ける者によってしか拓かれない。

米倉さんが残したメッセージを、私たちは次の世代に伝えることができるでしょうか。

 

次第に、それは困難な作業になっていきつつあるような予感がするのです。

 

推奨年齢:小学校中級〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

作者の知性と優しさとマルチな才能度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「さっちゃんのまほうのて」【253冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回紹介するのは先天性四肢欠損という障害を抱えて生まれた少女を描いた感動作「さっちゃんのまほうのて」です。

作:田畑精一・先天性四肢障害児父母の会

絵:田畑精一

出版社:偕成社

発行日:1985年10月

 

生まれつき右手の指が無いという障害を抱える少女・さっちゃん。

絵本として非常に重く難しいテーマを、田畑さんが先天性四肢障害児父母の会の方々の協力を得て、渾身の筆で描き切った名作です。

 

さっちゃんのお母さんとお父さんの言葉は涙なくしては読めませんが、決して暗くはならず、元気なさっちゃんの明るい未来が想像できるラストは読者の胸にまっすぐ響くでしょう。

 

幼稚園のままごと遊びで、お母さん役を巡って喧嘩になってしまうさっちゃん。

怒った友達の一人が放った一言が、さっちゃんの胸をえぐります。

 

さっちゃんは おかあさんには なれないよ! だって、てのないおかあさんなんて へんだもん

怒ったさっちゃんは友達と大喧嘩の末、幼稚園を飛び出して家に帰ります。

そして、戸惑うお母さんに問いかけます。

 

おかあさん、さちこのては どうして みんなと ちがうの? どうして みんなみたいに ゆびが ないの? どうしてなの?

 

突き刺すような辛い質問に、お母さんは胸がいっぱいになりながらも、さっちゃんを抱きしめ、ごまかさずに真摯に答えます。

さっちゃんは「おなかのなかで けがをしてしまって」指だけがどうしてもできなかったこと。

その原因については、「まだ だれにも わからない」こと。

 

するとさっちゃんは、お母さんにとってはさらに辛い質問を放ちます。

しょうがくせいに なったら、さっちゃんのゆび、みんなみたいに はえてくる?

 

そうだったら、どれほどいいでしょう。

お母さんはどれほど「そうよ」と答えたいでしょう。

 

でも、それは言ってはならないことです。

お母さんははっきりと答えます。

さちこのてはね、しょうがくせいに なっても いまのままよ

でもね、さっちゃん。これが さちこの だいじな だいじなて なんだから。おかあさんのだいすきな さちこの かわいい かわいいて なんだから……

さっちゃんは泣き出します。

いやだ、いやだ、こんなて いやだ

 

それからしばらく、さっちゃんは幼稚園にも行かず、さみしそうに過ごします。

しかし、妊娠していたお母さんが弟を産んだ日、病院からの帰り道に、さっちゃんはお父さんと手をつないで言います。

さっちゃん、ゆびが なくても おかあさんに なれるかな

そこでお父さんは最高に素敵な返事。

 

さっちゃんは元気を取り戻し、友だちとも仲直りします。

そして、明日を夢見ながら眠りにつくのでした。

 

★      ★      ★

 

私は小学生の頃、授業でこの作品に出会いました。

もちろん心に残りましたが、しかし一方、先生からの「道徳観の押しつけ」に少々辟易した記憶も残っています。

 

障害や差別を取り扱うことは非常に難しいことです。

歪んだ優越感や差別意識は、子どもの世界の方がより容赦なく現れているように見えます。

 

しかし、だからといって子どもが差別的であるとは言えないと思います。

彼らは私たちが思う以上に大人の態度や行動を観察しており、それを無意識に模倣します。

 

子どもの世界は大人社会の縮図なのです。

つまり、こうした問題を扱う大人の側の欺瞞を、子どもは鋭く見抜いているのです。

 

ですから、本当の意味での教育は、完全に自由な精神を持った大人が行動で示すことでしか行えません。

もっともそれは遥かな遠い未来の理想でしょう。

 

この作品を読んで、子どもがそれぞれに何を思うかは各自の自由であり、いつそれが芽を吹くかも各自の資質によります。

私たち大人ができることは、想像力の種となる物語を、できる限り多くの良質な物語を与えることです。

 

さっちゃんを他人だと思わない心、それはあるいは自分だったかもしれないという想像力。

まずはその想像力を養うことが肝要です。

 

大人になってから改めてこの絵本を読み返した時、私は自然と息子が生まれる時のことを思い出しました。

何もいらない、とにかく健康な身体で生まれて欲しい。

それしか願わなかった時のことを思い返し、さっちゃんの両親の痛みが、強さが、初めて理解できました。

 

あの時私の心に撒かれた物語は、何十年を経て、やっと芽を吹いたのでしょう。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

ラストの清々しさ度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「ロバのシルベスターとまほうの小石」【250冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は1970年度のコールデコット賞(アメリカ絵本界最高賞)に選ばれた「ロバのシルベスターとまほうの小石」を紹介します。

作・絵:ウィリアム・スタイグ

訳:瀬田貞二

出版社:評論社

発行日:1975年10月30日

 

壮大な冒険ファンタジーを予想させるタイトルですが、別に怪物との戦いがあるわけではなく、ごく平凡な日常を送っていた主人公の、「まほうの小石」を偶然手に入れたことによる受難の物語です。

 

「まほうの小石」はどんな願いも瞬時に(しかも何の代価もなく、簡単に)叶えてしまうという反則級のアイテムですが、物語中盤においては、それが恐るべき呪いとして主人公を不幸に陥れます。

 

そこからの長い壮絶な孤独の描写は、大人が読んでもぞっとするほどに怖いものですが、それだけに、ラストに起こる奇跡は感動的です。

 

小石集めが趣味のロバの子どもシルベスターは、夏休みに河原で素敵な赤い丸い小石を拾います。

実はこれが、手に持って願いを言うだけで、どんな願いも即座に叶えてくれる「まほうの小石」だったのです。

 

それに気づいたシルベスターは、ワクワクしながら帰路につきます。

両親や友達に好きなことをさせてやろうと考えつつ歩いていると、腹を空かせたライオンにばったり遭遇してしまいます。

動転したシルベスターはあろうことか、「ぼくは岩になりたい」と口走ってしまい、その通りに岩に変わります。

 

さあ、ライオンに食べられる危機は逃れたものの、岩であるシルベスターはもはや身動きもできません。

まほうの小石の力で元の姿に戻ろうにも、小石に触ることすらできないのです。

 

助かる可能性としては、誰かが小石を拾い、岩をロバに戻してほしいと願うことくらいしかない、とシルベスターは考えますが、それはなんとあり得ない確率の話でしょうか。

さて、突然帰ってこなくなったシルベスターを心配する両親は、息子を探して近所じゅうを訊き回り、警察にも届けます。

大掛かりな捜索が開始されますが、まさか岩がシルベスターだとはわかるはずもなく、手掛かりは得られません。

 

落胆し、悲しみに暮れる両親。

一方のシルベスターは、虚しい願いを抱き続けることに疲れ、目を閉じ、考えるのを放棄し、本当に岩となったように過ごしていました。

 

月日が流れ、5月のある日(実に1年近く経っている計算になります)、シルベスターの父親のダンカンさんは、奥さんを励ますつもりでピクニックに誘います。

 

二人はイチゴ山の、あのシルベスターの岩に腰を下ろし、お弁当を食べようとします。

ダンカンさんは岩の傍に落ちているまほうの小石を拾い、

シルベスターが見たら、よろこぶだろうに

と、岩に乗せます。

母親の体温に、久しぶりにシルベスターは目を覚まします。

そして、声の出ないもどかしさの中、両親に思いを伝えようと渇望します。

 

母親は妙な胸騒ぎを覚え、

シルベスターが生きていて、近くにいるような気がするんですけど

と言います。

でも、それを聞いたダンカンさんは悲しい気持ちになってしまいます。

 

両親の悲愁を知ったシルベスターは、

ああ、もとのぼくになりたい

と心の中で叫びます。

 

すると、まほうの小石の力で、その願いは叶えられます。

驚喜する両親と息子。

 

その後、シルベスターはまほうの小石を鉄の金庫にしまいます。

みんなののぞみが、すっかりたりたのですから

 

★      ★      ★

 

この絵本の鮮やかな点は、「まほうの小石」というキーアイテムの意味を、物語の進行とともに次々と変化させていくところです。

 

序盤においては幸運・希望の象徴だった小石は、中盤においてはその万能性が恐怖に変わります。

そこからシルベスターと読者は、あてどもない欲求の充足への夢から引きずり降ろされ、受難の中で「本当に心から望むものは何か」と自問することを要請されます。

 

そしてそれを見出した瞬間、小石は呪縛を解きます。

「どんな望みも叶えてくれる」道具によって、主人公と読者は「すでに与えられている幸せ」に気づくのです。

 

実に見事な演出ですが、それを効果的に生かすには、若いシルベスターには過酷すぎると言ってもいいあの受難をしっかりと描く必要があったのです。

 

主人公があらゆる自由を奪われた鉱物に変わってしまうというのは、子ども心にも大変な恐怖でしょう。

こうなってしまうと、唯一「思考」が残されていることが、却って絶望感や孤独感を増すばかりで、大げさでなく死ぬより辛い地獄と言えるかもしれません。

 

一方、親の目線で読むと、「残されたもの」の辛さの方により感情移入してしまいます。

突然我が子を失い、しかも何の手掛かりも得られない両親の悲嘆がいかに深いか。

 

もし自分の身にそんなことが起こったら、とても耐えられないし、母親はもっとそうでしょう。

つらい毎日でした

もう、くらすはりあいが、ありませんでした

というシルベスターの両親には心から同情します。

 

作者のスタイグさんは「ピノッキオ」からこの物語が生み出されたと語っています。

「にんげんになりたい」というピノッキオの渇望と、「元の姿に戻りたい」というシルベスターの渇望、そして両者に共通するのは「愛されていることに気づく」という物語の核です。

 

私たちは「今あるものに感謝する」という気持ちが大切なことは理解していても、毎日の暮らしの中では驚くほどすぐにそれを忘れてしまいます。

だから、本当に自らを感謝の気持ちで満たしていくには、ぼーっと生きているのではなく、意識的にそういう感情を養う必要があります。

 

この絵本のような良質な物語に触れることは、上のような感情を養う意味も大きいと思うのです。

 

推奨年齢:7歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

シルベスターのうっかり度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「アンジュール ある犬の物語」【211冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今日から本格的にお仕事という方も多いと思います。

休みボケしそうですが、気持ちを新たに、新年最初の絵本紹介といきましょう。

 

ここはやっぱり戌年にちなんで、犬の絵本を持ってきました。

アンジュール ある犬の物語」です。

作・絵:ガブリエル・バンサン

出版社:BL出版

発行日:1986年5月1日

 

しかし、張り切ってタイトル紹介したはいいけど、考えてみればあんまり新年一発目に読むような景気のいいお話でもないんですね、これ。

地味だし、暗いし、悲しいし。

見てください、表紙の犬の寂しげな姿。

 

でも、まごうことなき傑作絵本です。

それに、絵本というものの原点とも言うべき要素を持つ作品でもあるので、あえて選びました。

 

まず、このお話にはテキストがありません。

完全に絵のみの、まさに「絵本」です。

 

さらにその絵も、黒鉛筆一本で描かれたモノクロデッサン風カット。

たったそれだけで、文の力も借りず、迫真の物語世界を構築している点に驚嘆します。

冒頭、一匹の犬が車から道端に投げ捨てられるという、衝撃のカットから始まります。

犬は突然の仕打ちに驚き、走り去る車を必死に追いかけます。

 

しかし、無情にも車は見えなくなってしまいます。

 

犬は匂いを辿り、追跡を続けますが、夢中になって道路へ飛び出したせいで、避けようとした車同士がぶつかり合い、炎上事故に。

犬はおののくように現場から離れ、長いさすらいを始めます。

もはや飼い主の車は完全に見失い、途方に暮れて遠吠えし、がっくりと肩を落として道を歩きます。

 

やがて日は暮れ、犬は町に流れ着きますが、ここでも邪険にあしらわれます。

居場所のない犬の前に、これも独りぼっちのように見える男の子が現れます。

近づいてくる男の子に、疲れ切った犬は顔を摺り寄せます。

 

★      ★      ★

 

一見荒々しいデッサンですが、犬の表情、肢体、構図、実に計算されていて、胸に迫るものがあります。

読み進めていくうち、見ているのが辛いほどの犬の絶望と慟哭が伝わってきて、しかしそれでも目を離せない。

 

車から突き落とされる犬の衝撃と困惑と悲嘆。

そして、恐ろしい大事故を引き起こしたことにより、読者はこの犬が社会的にも居場所がなくなったことを知らされるのです。

 

徹底した拒絶と孤独。

作者の筆は、容赦なく冷酷な現実を突きつけます。

 

最後の少年との出会いだけが救いなのですが、それすらも、何もかもが一瞬で転換するハッピーエンドではありません。

 

この少年は荷物を抱え、独りぼっちのようです。

彼がこの犬に引き寄せられたのは、同じ孤独な魂を感じたからでしょうが、寄る辺ない二人がこれからどんな暮らしを送るのか、果たして救いはあるのか、そうしたことは読者の想像に委ねられます。

 

そういう無限の解釈可能性を残す点も、この絵本が名作たるゆえんだと思います。

見る人一人ひとりの心に、深い何かを残さずにはおかない作品なのです。

 

「アンジュール」とは、フランス語で「ある一日」という意味で、タイトル通り、これはある犬の長い一日を描いた絵本ということになるのでしょう。

読み聞かせるには、字がないので、ただ黙ってページをめくるだけになってしまい、少々難しいです。

 

もちろん、子どもと内容について語らいながら読んでもいいのですが、この凄絶な静寂世界にふさわしい言葉を見つけるのは至難です。

ある程度の年齢の子どもに読むか、あるいは一人で読むのがいいかもしれませんね。

 

推奨年齢:小学生高学年〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆☆

飼い主非道度:☆☆☆☆☆

 

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