【絵本の紹介】「かぼちゃひこうせんぷっくらこ」【344冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

ハロウィン近しということで、かぼちゃの登場する絵本を持ってきました。

北欧の児童文学作家と童画家による「かぼちゃひこうせんぷっくらこ」です。

作:レンナート・ヘルシング

絵:スベン・オットー

訳:奥田継夫・木村由利子

出版社:アリス館

発行日:1976年10月10日

 

二匹のかわいいクマが巨大なかぼちゃ型飛行船に乗って遊覧している表紙絵。

楽しそうな作品で、読んでみると実際に楽しいんですけど、くまくんたちの会話に差し込まれる哲学的・詩的な表現がやけに心にひっかかって、咀嚼しきれない不思議な読後感を残します。

派手ではないけど、忘れることのできない、独特な作品。

 

二匹のクマは「おおぐま」「こぐま」というそのまんまなネーミングのキャラクター。

しかし読み進めるうち、そういう呼び名にも意味が込められていることに気づきます。

 

二匹は親子や兄弟ではなく「ともだち」で、一緒に住んでいるルームメイト的関係。

ある時、こぐまくんの食事の中に何かの種が紛れ込みます。

 

うえてみようよ。こぐまくん

あめがふっているのに?

あめも また たのし、かささせば……

おおきなくまは きんのかさ ちいさなくまは ぎんのかさ

 

こんな洒落た会話を交わしつつ、二匹は種を庭に埋めます。

やがて種は芽を出し、どんどん大きくなって、かぼちゃを実らせます。

かぼちゃはさらに巨大化していき、家を圧迫し始めます。

二匹はかぼちゃをくり抜き、窓を開け、かぼちゃの中に引っ越します。

やがて嵐の夜にかぼちゃは海に吹き飛ばされ、船になります。

ぼくたち、うみぐまだ。おおくまくん

こんなときは つりにかぎるぞ。こぐまくん

二匹は魚を釣り、船上生活を楽しみます。

冬が来て雪が降ると、

このままいくと、ぼくら、しろくまになるぞ

ゆき また たのし、ひをたけば……

 

火をくべると、暖まった空気によってかぼちゃは空に浮かびます。

おう。こんどは そらくまだな。こぐまくん

そんなくま、どこにもいないよ。おおくまくん

えほんのなかに いるじゃない?

おおくまくん。ぼくたち、そらをとんでいると、”おもった” から、ぼくたち、ほんとうに いるんだね

おもうこと また たのし、か! こぐまくん

 

かぼちゃひこうせんは「ぷっくらこぉ ゆったりこ」と空を飛んでいきます。

 

★      ★      ★

 

この絵本を特別な印象にしているのは、やっぱり文章の軽妙さ・不思議さでしょう。

幼い子には難解に思われるかもしれない言い回しが多用されますが、子どもにとって重要なのは「意味」以前に「響き」です。

繰り返される「……もまた たのし」という言葉の、本当に楽しくなってくるリズムの良さ。

 

どんどん大きくなって、船や飛行船になるかぼちゃ。

伸びやかな空想の世界は絵本にはよくあるところのものですが、最終シーンにおける二匹の会話は、ちょっと普通の絵本ではありません。

 

このくまたちは「絵本の中」にいるのであり、それゆえに「うみぐま」にも「そらくま」にもなれる自由さを持っているのだということ、そしてその自由さはまさにこの絵本を読んでいる読者の「思考」の中にこそ存在しているのだということを、二匹の会話は示唆しているのです。

 

ぼくたち、そらをとんでいると、”おもった” から、ぼくたち、ほんとうに いるんだね」というデカルト的なこぐまくんのセリフは、「空想絵本」としてあっさり読み込もうとする大人の鈍った思考に鋭い一撃を打ち込みます。

 

この不思議な絵本の舞台は「心」であり、その世界は「詩」と「哲学的思考」によって無限に広がっていくのです。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

二匹の精神的豊かさ度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「かぼちゃひこうせんぷっくらこ

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【絵本の紹介】「まあちゃんのながいかみ」【340冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

「果てしなく自由な空想は子どもの特権」と言われると、特に抵抗なく首肯してしまいそうですが、実際のところは少し違うと思います。

全ての子どもが柔軟で伸びやかな空想力を発揮できるかというと、そうでもありません。

空想力は適切に育てないと伸びない種類の能力です。

そのための最適な時期が子ども時代であるということです。

 

普通に考えて、人生経験も知識も不足している子どもには、空想に用いる「手持ち材料」が大人に比べて足りないわけです。

その限定的な「枠」から一歩外へ出してやるには、大人の導きが必要です。

 

私もよく息子と「空想ごっこ」をやります。

そんな時、私の方から目先を変えてやると、それをきっかけにして息子がどんどん先へ進んでいくことがあります。

「こんなのもある、こんなやり方もある」……「枠の外」へ飛び出し、走り出した子どもの表情は輝いて見えます。

もうそうなれば、大人の出る幕はありません。

 

今回紹介するのはどこまでも伸びる空想(と髪の毛)が楽しすぎる絵本「まあちゃんのながいかみ」です。

作・絵:たかどのほうこ

出版社:福音館書店

発行日:1989年9月1日(こどものとも年中向き)

 

庭らしきところでテーブルと椅子を出し、クッキーとジュースを並べ、女の子3人が語らっています。

優雅な女子会。

主人公「まあちゃん」は、タイトルに反して短いおかっぱ頭。

友人の「はあちゃん」「みいちゃん」はロングヘアを自慢します。

 

それに対抗して、まあちゃんは「あたしなんかね、もっと ずっと のばすんだから」と言い出します。

ずっとずっとずっとずっと、ずうーっとよ!

その長いことといったら……。

はしのうえから おさげを たらして さかなが つれるくらいなのよ

ギネスブックもびっくり。

 

さらにおさげはロープにもなり、牛を捕まえることもできます。

髪の毛にくるまって寝袋のように眠ることもできます。

家じゅうの洗濯ものを一度に干すことだってできるのです。

この時まあちゃんが読んでいるのは名作「どろんこハリー」。

 

友達二人はまあちゃんの空想に対し、否定するわけではなく、「そんなに ながかったら あらうのが たいへんじゃない?」「どうやって とかすのよ、そんなかみ」と、リアルな疑問を投げかけます。

 

しかし、乗ってるまあちゃんは嬉し気に疑問に答えて行きます。

最後に「ひきずっちゃって こまらない?」というもっともな質問に、まあちゃんは「パーマにしとくの」。

すると、まあちゃんの髪は巨大な森になって、小鳥やりすや虫たちが集まってくるのです。

 

このとんでもない空想に、はあちゃんとみいちゃんはそろって「それって たしかに とってもいい……」と納得し、「まあちゃんの かみ、 はやく のびるといいね」と応援するのでした。

 

★      ★      ★

 

この絵本では、現実のまあちゃんたちのやり取りがモノクロで描かれ、空想世界が鮮やかな色彩で彩られています。

子どもにとっての空想世界が、現実以上に活き活きとした実感を持って存在していることが伝わります。

 

負けん気の強いまあちゃんも可愛らしいですが、私ははあちゃんとみいちゃんの態度が素敵に感じます。

子どもは意外と冷静なツッコミをするものですが、空想そのものを否定することはしません。

まあちゃんの突き抜けた空想が「いいな」と感じたら、素直に共感することができるのです。

 

3人のやり取りに示されているように、空想とは何でもありのカオスではありません。

自分自身を含めて、ちゃんと「納得感」を与えなければならないのです。

「納得感」と「実現可能性」は必ずしもイコールではないのです。

 

私の息子も、最近になっていよいよ私の予想の範疇を超えた想像力を垣間見せることが出てきました。

たぶん、あと少ししたら私の方がついて行くのに必死になり、そしてあっという間に置いて行かれるのでしょう。

その時を楽しみにしています。

 

推奨年齢:3歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

いい友達度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「アルド わたしだけのひみつのともだち」【314冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今年亡くなられたジョン・バーニンガムさんとトミー・アンゲラーさんの絵本を読み返す機会が増えました。

私は絵本作家本人とその作品の関連性を考察したりしますが、別に優れた絵本は優れた人間から生まれるとは思っていません(逆も然り)。

けれど、この二人に関しては作品と人間性が実に一致してると感じています。

二人とも、とてもカッコイイ大人の男なんです。

 

今回はバーニンガムさんの「アルド わたしだけのひみつのともだち」を紹介します。

作・絵:ジョン・バーニンガム

訳:谷川俊太郎

出版社:ほるぷ出版

発行日:1991年12月1日

 

簡単に内容をまとめてしまえば、孤独で内向的な少女が、「アルド」という空想上のともだちを心の支えとするお話です。

表紙で女の子と肩を組んでいるのがアルド。

マフラーをした巨大なうさぎみたいな外見。

 

で、率直に感想を申し上げると「暗い」んですね。

書評なんかを見てますと「心温まる」なんてワードが出てきますが、私はあんまり心温まりませんでした。

暗いもの。

 

大型絵本の体裁で、テキストは少なく、絵の余白が目立ちます。

色彩もどこか暗く儚く、危うい脆さを内包しています。

 

さらにアルドが無表情でセリフがなく、どこか不気味な点もこの作品が暗い要因のひとつです。

この暗さは、例えばぬいぐるみと少女の交流を描いた林明子さんの傑作「こんとあき」と読み比べると一層際立ちます。

 

≫絵本の紹介「こんとあき」

 

他の人の目にも見えて、大いに喋って動いて活躍する「こん」の圧倒的存在感に対し、アルドはあくまでも主人公の心の中にのみ存在し、他者には見えないし物理世界に影響を及ぼすこともできません。

この明確な陰陽はなかなか興味深いところです。

 

テキストは少女の独白で語られ、のっけから「わたしはひとりきりで すきなように ときをすごすことがおおい」と内向的。

この少女はあまり外へ出かけたり他の子と遊んだりするのが得意ではないのです。

彼女は自分のことを「とてもとてもうんがいい」と思っています。

それは特別な友だちのアルドがいてくれるから。

学校でいじめられた時、夜中に怖い夢を見て目を覚ました時、アルドが来てくれて安心させてくれるのです。

アルドのことは誰にも話せません。

言っても信じてもらえないことは少女にもわかっています。

けれど、本当にアルドはいるのだということを少女は知っています。

時にはアルドのことをすっかり忘れている日もあるけれど、本当に辛いことがあれば、アルドは必ず来てくれるのです。

 

★      ★      ★

 

少女の内面世界や、精神分析的な考察はいくらでもできますが、それは於いておきましょう。

ここではバーニンガムさんがどうしてあえてこの物語をここまで「暗く」描いたのかについて考えてみます。

アルドと少女の「遊び」のシーンは幻想的というよりも怪奇的で、はっきり言って私には怖いくらいです。

 

そして、ここには私のような大人が内心望むところの「少女の精神的成長」が描かれません。

少女は最初から最後まで内気で孤独であり(最後に他の友達と遊ぶ姿もあるけど)、アルドだけが心の支えである、という認識のまま物語は終わります。

 

そこがこの絵本が「暗い」最大の理由です。

 

大人としては、子どもが想像上の友だちを持つことは理解するけれど、いつかはそこから現実世界へ踏み出して「強く」生きて欲しいと思うことは避けがたいことです。

つまり、アルドの助けを得て、最終的には少女はアルドなしで世界に立ち向かう強さを手に入れるという物語ならば、こう暗くはならないと思うのです。

 

以前紹介した「ラチとらいおん」なんか、まさにそういう絵本です。

らいおん」はアルド同様他者にはおそらく見えませんが、この作品とは比べようもないほど明るい絵本です。

 

≫絵本の紹介「ラチとらいおん」

 

それを承知の上でバーニンガムさんはこういう描き方をしたのでしょう。

それは彼の子どもへの「無条件の承認」という限りない優しさから来ているのです。

 

彼は子どもに「成長しろ」と決して言いません。

内気な子もそうでない子も、そのありのままを受け入れ、認めます。

 

大人たちは子どもが一人遊びをしているとすぐに心配します。

「友だちと遊ぶことは無条件に良いこと」だと言わんばかりに、一人遊びをやめさせ、大勢の中に放り込もうとします。

大きなお世話です。

 

でも、たいていの子どもは素直なので、一応他の子と遊んでみます。

しかし、やっぱりそれは自分の正直な欲求とはずれているわけで、辛いわけです。

放っておいたって、友だちと遊びたくなれば遊ぶものを、周りの大人がそういう余計な手出しをするから、子どもは一人でいること・一人でいたいと思うことがまるで悪いことのように思ってしまいます。

で、余計に内向的になって、隅っこで一人になるわけです。

 

もっと堂々と一人でいたっていいじゃないですか。

一人遊びはちっとも悪いことでも恥ずかしいことでもないんですから。

 

バーニンガムさんはその懐の深さと本物の優しさから、ある種の子どもたちの救いとも言うべきこの絵本を描いたのだと思います。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

空空寂寂度:☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「まどのそとのそのまたむこう」【300冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

絵本紹介の300冊目を飾るのは、20世紀を代表する絵本作家、モーリス・センダックさんによる異色作「まどのそとのそのまたむこう」(原題:OUTSIDE OVER THERE)です。

作・絵:モーリス・センダック

訳:脇明子

出版社:福音館書店

発行日:1983年4月20日

 

センダックさんと言えば傑作「かいじゅうたちのいるところ」が真っ先に思い浮かぶでしょう。

この「まどのそとのそのまたむこう」は、「かいじゅうたちのいるところ」そして「まよなかのだいどころ」と併せてセンダックさんの3部作と呼ばれています。

 

この3部作はすべて「行きて帰りし物語」であり、子どもの「内面世界への旅」を描いているのです。

 

「かいじゅうたち」では心温まるメルヘンとしての空想ではなく、生身の人間としての、衝動的で不安定な子どもの内面を掬い上げたことで、既存の絵本表現の射程範囲を大きく上回り、世界に衝撃を与えました。

子どもの心魂・精神を絵本芸術において表現するという点で、センダックさんは他のどの絵本作家よりも突き抜けた才能を持ち、その孤高の独自性を保持しています。

 

続く「まよなかのだいどころ」では、「真夜中」という子どもにとって不思議で魅力的な時間の秘密に対する好奇心を原動力として、一種奇怪な空想世界の旅が描かれています。

しかし、全世界で爆発的に売れ、「20世紀最高の絵本」とまで激賞された「かいじゅうたち」に比べると、どこか不気味な雰囲気や難解さが敬遠されたのか、「まよなか」はやや賛否の分かれる作品になりました。

 

≫絵本の紹介「かいじゅうたちのいるところ」

≫絵本の紹介「まよなかのだいどころ」

 

私自身は「まよなか」の難解さは、作者自身の精神世界へより深く下ったことによるものだと感じています。

作品が作者の個人的な領域に近づいたことで、読者はどこか置いてきぼりにされた感を抱かざるを得なかったのでしょう。

 

しかしそれでもセンダックさんはさらに自己の精神の深層へ沈潜することを止められませんでした。

そして5年間閉じこもった末に、ついに3部作の「完結編」である「まどのそとのそのまたむこう」を完成させたのです。

 

その内容は前2作とは比べ物にならないくらい個人的で精神的です。

それだけに象徴的で謎めいており、非常に難解です。

 

絵柄は緻密で宗教画的美しさがありますが、不気味で陰鬱でもあり、子どもが「可愛いもの」として描かれていません。

センダックさんは音楽的な作家で、「かいじゅうたち」も「まよなか」も、ミュージカル的な作品ですが、「まどのそとのそのまたむこう」ではその傾向はさらに強まり、オペラ絵本とでも呼びたくなるような構成になっています。

 

表紙から扉、本編に入るまでに主人公の少女アイダが妹のお守りをしているカットが何枚も描かれます。

そして彼女の周囲にはすっぽりとマントをかぶった小人たち(ゴブリン)が蠢いています。

パパは うみへ おでかけ

ママは おにわの あずまや

母親は虚ろな表情で座り込み、少女アイダはまだ赤ちゃんの妹を抱いています。

アイダは妹に「まほうのホルン」を吹いてあげますが、何故か妹に背中を向けています。

窓から侵入したゴブリンたちが妹をさらい、身代わりに「こおりの にんぎょう」を置いて行きます。

何も気がつかないアイダは、人形を抱きしめ「だいすきよ」。

しかし氷が溶けだし、アイダは気がついて「かんかんに おこりました」。

この二枚のカットでのアイダの豹変は印象的なものです。

アイダの怒りに反応して窓の外の船は嵐に呑み込まれています。

このことからわかるように、「まどのそと」は、アイダの心魂世界です。

 

ゴブリンたちが ぬすんだんだわ! およめさんにしようと おもってるのね!

アイダは急いで妹を取り返すための準備を整えます。

ママの きいろいレインコート」にくるまり、「まほうのホルン」をポケットに突っ込みます。

ところが そのあとが しっぱいでした

アイダは うしろむきになって まどわくをこえ、まどのそとの そのまたむこうへ でていったのです

アイダは なにもみないで ふわふわとんで、どろぼうたちの どうくつのそばを とおりすぎてしまいました

 

しかしそこへ遠い海から船乗りの父親の声が届きます。

うしろむきでは なんにもならぬ くるり まわって ホルンをおふき

 

アイダはその声に従って前を向いてホルンを吹き、ゴブリンたちの洞窟へ飛び込みます。

ところがゴブリンたちのマントの中身は妹みたいな赤ちゃんばかりで、見分けがつきません。

アイダはホルンを吹き、ゴブリンたちは「じぶんでも しらないうちに おどりだしてしまい」、どんどん早くなる踊りについていけなくなり、「ぐるぐるまわって おどりながら、とうとう みんな かわにはいり、うずまくみずと いっしょになって」消えてしまいます。

一人だけ残った赤ちゃんこそが、アイダの妹でした。

アイダは大喜びで妹を抱き上げ、「おがわにそって、のはらを あるいて」家に帰ります。

 

母親のもとには父親からの手紙が届いています。

母親は今度はアイダをいたわるように肩に手を置いて、夫からの手紙を読みます。

 

★      ★      ★

 

一読しただけでは、ほとんどの読者はあまりにも不可思議な内容に戸惑うのではないでしょうか。

何か胸がざわつくような不安を覚えつつ、何度も読み返してしまう魔力のこもった作品です。

 

夢の中のような幻想的な風景、「まほうのホルン」「きいろい レインコート」といったキーワードは何を意味しているのでしょうか。

センダックさんの自著「センダックの絵本論」(岩波書店出版 脇明子・島多代訳)によれば、これは作者自身の子どもの頃の恐怖をもとにした絵本だと語られています。

 

恐怖を与えたものは小さい頃に読んだ「大きい黄色いレインコートを着た少女の本」であり、「リンドバーグ愛児誘拐事件」であり、そして9歳年上の姉ナタリーです。

 

ナタリーは、忙しい両親から弟(センダックさん)の世話を押し付けられていました。

彼女自身はまだ幼く、そうした状況に不満もあり、時折「悪魔的な怒り」を見せたり、弟を置き去りにしたりしたこともあったそうです。

 

子どもたちは皆、大人の庇護下でしか生きられないというストレスに晒されています。

母親、もしくは母親役の人間が自分のことを愛していないかもしれない、いつか捨てられてしまうかもしれない、「こおりの にんぎょう」と取り換えられても気づいてもらえないかもしれない。

そんな不安と心配を全く持たない子どもはいないのです。

 

大人たちは自分の子ども時代の記憶をなくし、子どもたちが平和で牧歌的な世界に住んでいると思いたがりますが、実際には子どもたちは大人よりも遥かにシビアでストレスフルな「現実」を常に突きつけられているのです。

 

幼いセンダックさんを怯えさせた姉のナタリーは、しかし同時に心から弟を愛してもいました。

 

絵本の主人公アイダは、まさにこの幼くして引き裂かれた自我そのものです。

アイダは妹を愛し、かつ憎んでいます。

その分裂と矛盾に耐えるために、アイダは「妹への怒りと憎しみ」を妹そっくりな「ゴブリンたち」に転嫁させるのです。

 

これは子どもを世話する立場の人間なら共感できる感情だと思います。

この絵本にはほぼ全カットに「水」が描かれますが、精神分析的には「水」は「出産」のシンボルです。

アイダは姉であると同時に母でもあります。

子どもを愛しつつも、ふとした瞬間に怪物になってしまう存在です。

 

私たちは愛すべき対象を憎んでいるという自己矛盾に耐えることができません。

だからアイダも私たちも、空想世界に入り込み、そこで「物語」を一つ作り上げ、その矛盾を克服しようとします。

空想にふけることは病的なことではなく、極めて健全な人間能力によるのです。

精神の健全さは、必ず世界を正しい姿に戻そうと働きます。

アイダは一時の怒りや放心から目覚めて、妹を奪還して平和で秩序ある世界に連れ戻します。

 

子どものファンタジー、イメージ、想像力を正しく涵養する仕事を、現代の人間はかなり軽んじています。

しかしそれは極めて、ほとんど死活的に重要な人間能力なのです。

 

我々はいまだに無意識に支配され、不自由で不完全な精神で生きています。

まどのそとのそのまたむこう」にある自己の無意識世界を「まえをむいて」認識し、健全な想像力でそれを克服しなければ、人間は永遠に無意識の奴隷のままでしょう。

 

センダックさん自身はこの絵本を描くことによって、幼児期のトラウマから救われたと語ります。

恐怖についての「物語を作る」ことは恐怖を再構築し、そしてあるべき姿に戻すことなのです。

 

芸術は本来、自らの無意識領域に上れない人間を、その吸引力でもって引き上げてくれる働きをします。

その意味で、絵本という分野において、最も芸術家的な作家といえば、私は一番にセンダックさんを挙げたいと思います。

 

推奨年齢:5歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

オペラ度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「羊男のクリスマス」【290冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

12月になりましたね。

色々と忙しい時期ですが、健康には気を付けて、気分良く新年を迎える準備をしましょう。

 

さて、今回もクリスマス絵本を取り上げます。

村上春樹さんと佐々木マキさんによる共作絵本「羊男のクリスマス」です。

作:村上春樹

絵:佐々木マキ

出版社:講談社

発行日:1985年11月25日

 

村上さんについては、今さらここで説明するまでもないでしょう。

毎回ノーベル文学賞の候補に挙げられる世界的人気作家で、絵本の翻訳の仕事もされています。

その独自の作風と文体、不思議な世界は多くの読者を魅了する一方、「難解」「意味不明」という批評の的にもされがちです。

 

私自身は村上作品にさほど通暁しているわけではないので、彼の作家性について語るのは自信がありません。

ただ、個人的には小説であれ、絵本であれ、映画や音楽であれ、「難解なもの」は嫌いではありません。

 

一見すると単純だけど読みかたによっては複雑な構造の絵本というものは実は結構たくさんあります。

そうした作品を読むとき、読者一人一人の「読み」が試されることになります。

そのスリリングさがひとつの楽しみだし、作品について誰かと語りたくなる要素でもあります。

 

村上さんの作品の人気の理由は、そうした点にもあるのではないでしょうか。

もちろん、いわゆるミステリーと違い、村上作品の多くは結末がはっきりしない「オープンエンド」で、「謎」についての「答え合わせ」ができないというフラストレーションは残ります。

 

けれども、単一の読解に落とし込めないからこそ、その作品は多くの読者に対して開かれているとも言えます。

絵本の読み方だって、解釈に正解も不正解もないし、どう読んだってそれは読者の自由な権利なのです(面白い読み方とつまらない読み方はありますけど)。

 

さて、そんな一筋縄では行かない村上さんをして、「ぼくにとっての永遠の天才少年」と言わしめたのが、我らが(?)佐々木マキさんです。

以前の記事でも触れましたが、佐々木さんの前身は漫画家で、それもとびきりヘンテコで実験的な漫画を描いていました。

一種の狂気すら感じるその前衛的作品に、1960年代の若者たちから熱烈な支持者が続出しました。

 

≫絵本の紹介「やっぱりおおかみ」

 

村上さんもそんな若者の一人で、大学時代に佐々木さんのデザインしたビートルズのポスターを街角から盗んでしまったほど。

そして自身が作家となった時、「風の歌を聴け」という最初の小説の挿絵を是非にと佐々木さんに依頼したのでした。

 

そんな村上さんですから、佐々木さんと共作で絵本を作ることになった時、まずは「何でもいいから絵を描いてください」「その絵を見て話を考えます」と佐々木さんに言ったそうです。

そこで佐々木さんが描いたのは「灯台の近くで眠っているクジラ」と「等身大のテディベアが女の子とたわむれている」絵。

そこから村上さんが作り出した物語が「羊男のクリスマス」というわけです(クジラもテディベアも出てこないけど)。

 

ちょっと前置きが長くなり過ぎたので、手早く内容に入りましょう。

絵本と言っても漢字は普通に出てくるし、文章も長いです。

 

クリスマスのための音楽の作曲を依頼された「羊男」。

しかし、家主に妨害され、クリスマスまであと四日となっても曲はできません。

 

そこへ「羊博士」が現れ、羊男が作曲できないのは、クリスマス・イブに穴の開いたドーナツを食べたことによる呪いのせいだと教えます。

そこで羊男は羊博士の指示に従い、呪いを解くための穴を掘り、そこに定められた時刻に落ちます。

 

落ちた先で、羊男は次々に奇妙な人物に遭遇します。

顔がねじれた「ねじけ」、双子の姉妹、「海ガラス」、「なんでもなし」……。

ちょっと意地悪だったり不条理だったりする彼らとのやり取りを経て、羊男は呪いを解くための旅を続けます。

 

辿り着いた先に待っていたのは「聖羊上人」。

そして今まで出会った人々が一堂に会し、羊男に「クリスマスおめでとう!」と叫びます。

 

なんとこれまでの冒険はすべて仕組まれたもの。

羊男はクリスマスパーティーに招待されていたのです。

彼はそこでピアノを弾き、とても幸せな時間を過ごします。

 

目が覚めると、羊男は自分の部屋のベッドにいました。

そしてクリスマス・カードが届きます。

 

羊男世界がいつまでも平和で幸せでありますように

 

★      ★      ★

 

羊男」というキャラクターは村上さんの他作品にも登場しますが、その正体はいまいち不明です。

この世界には「羊男協会」なるものがあり、「羊男」たちはある種の義務のように羊の毛皮の衣装を着ているようです。

 

「なんで?」というところの説明はありません。

その不条理さが村上ワールド。

 

これは羊男が「穴に落ちる」話ですが、人生において我々は度々「穴に落ち」ます。

神ならぬ我々には、どういう因果で自分が「穴に落ちた」のかを知ることはできません。

表面上の理由は色々と考え付くでしょう。

しかし、本当のところはわからないのです。

 

ですから、聖羊上人がどうして穴に落ちたのか、という羊男の質問に答えは返ってこないのです。

自分では「何も悪いことしてないのに」呪われてしまうこともあるのです。

 

人生の不幸や不条理に「なんで自分だけが……」と嘆きたくなることは仕方のないことです。

けれど、理由を求め続けるのをいったん諦め、とにかく自分の状況を観察し、行動し、異質に思える他者と触れ合ってみると、「穴の中」にも意外な優しさや親切や幸せが発見できるかもしれません。

 

羊男の旅が私たちに教えてくれるのは、そんなささやかな幸せに至るためのヒントのように思います。

 

推奨年齢:小学校高学年〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

主食がドーナツ度:☆☆☆☆☆

 

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