【絵本の紹介】「アルド わたしだけのひみつのともだち」【314冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今年亡くなられたジョン・バーニンガムさんとトミー・アンゲラーさんの絵本を読み返す機会が増えました。

私は絵本作家本人とその作品の関連性を考察したりしますが、別に優れた絵本は優れた人間から生まれるとは思っていません(逆も然り)。

けれど、この二人に関しては作品と人間性が実に一致してると感じています。

二人とも、とてもカッコイイ大人の男なんです。

 

今回はバーニンガムさんの「アルド わたしだけのひみつのともだち」を紹介します。

作・絵:ジョン・バーニンガム

訳:谷川俊太郎

出版社:ほるぷ出版

発行日:1991年12月1日

 

簡単に内容をまとめてしまえば、孤独で内向的な少女が、「アルド」という空想上のともだちを心の支えとするお話です。

表紙で女の子と肩を組んでいるのがアルド。

マフラーをした巨大なうさぎみたいな外見。

 

で、率直に感想を申し上げると「暗い」んですね。

書評なんかを見てますと「心温まる」なんてワードが出てきますが、私はあんまり心温まりませんでした。

暗いもの。

 

大型絵本の体裁で、テキストは少なく、絵の余白が目立ちます。

色彩もどこか暗く儚く、危うい脆さを内包しています。

 

さらにアルドが無表情でセリフがなく、どこか不気味な点もこの作品が暗い要因のひとつです。

この暗さは、例えばぬいぐるみと少女の交流を描いた林明子さんの傑作「こんとあき」と読み比べると一層際立ちます。

 

≫絵本の紹介「こんとあき」

 

他の人の目にも見えて、大いに喋って動いて活躍する「こん」の圧倒的存在感に対し、アルドはあくまでも主人公の心の中にのみ存在し、他者には見えないし物理世界に影響を及ぼすこともできません。

この明確な陰陽はなかなか興味深いところです。

 

テキストは少女の独白で語られ、のっけから「わたしはひとりきりで すきなように ときをすごすことがおおい」と内向的。

この少女はあまり外へ出かけたり他の子と遊んだりするのが得意ではないのです。

彼女は自分のことを「とてもとてもうんがいい」と思っています。

それは特別な友だちのアルドがいてくれるから。

学校でいじめられた時、夜中に怖い夢を見て目を覚ました時、アルドが来てくれて安心させてくれるのです。

アルドのことは誰にも話せません。

言っても信じてもらえないことは少女にもわかっています。

けれど、本当にアルドはいるのだということを少女は知っています。

時にはアルドのことをすっかり忘れている日もあるけれど、本当に辛いことがあれば、アルドは必ず来てくれるのです。

 

★      ★      ★

 

少女の内面世界や、精神分析的な考察はいくらでもできますが、それは於いておきましょう。

ここではバーニンガムさんがどうしてあえてこの物語をここまで「暗く」描いたのかについて考えてみます。

アルドと少女の「遊び」のシーンは幻想的というよりも怪奇的で、はっきり言って私には怖いくらいです。

 

そして、ここには私のような大人が内心望むところの「少女の精神的成長」が描かれません。

少女は最初から最後まで内気で孤独であり(最後に他の友達と遊ぶ姿もあるけど)、アルドだけが心の支えである、という認識のまま物語は終わります。

 

そこがこの絵本が「暗い」最大の理由です。

 

大人としては、子どもが想像上の友だちを持つことは理解するけれど、いつかはそこから現実世界へ踏み出して「強く」生きて欲しいと思うことは避けがたいことです。

つまり、アルドの助けを得て、最終的には少女はアルドなしで世界に立ち向かう強さを手に入れるという物語ならば、こう暗くはならないと思うのです。

 

以前紹介した「ラチとらいおん」なんか、まさにそういう絵本です。

らいおん」はアルド同様他者にはおそらく見えませんが、この作品とは比べようもないほど明るい絵本です。

 

≫絵本の紹介「ラチとらいおん」

 

それを承知の上でバーニンガムさんはこういう描き方をしたのでしょう。

それは彼の子どもへの「無条件の承認」という限りない優しさから来ているのです。

 

彼は子どもに「成長しろ」と決して言いません。

内気な子もそうでない子も、そのありのままを受け入れ、認めます。

 

大人たちは子どもが一人遊びをしているとすぐに心配します。

「友だちと遊ぶことは無条件に良いこと」だと言わんばかりに、一人遊びをやめさせ、大勢の中に放り込もうとします。

大きなお世話です。

 

でも、たいていの子どもは素直なので、一応他の子と遊んでみます。

しかし、やっぱりそれは自分の正直な欲求とはずれているわけで、辛いわけです。

放っておいたって、友だちと遊びたくなれば遊ぶものを、周りの大人がそういう余計な手出しをするから、子どもは一人でいること・一人でいたいと思うことがまるで悪いことのように思ってしまいます。

で、余計に内向的になって、隅っこで一人になるわけです。

 

もっと堂々と一人でいたっていいじゃないですか。

一人遊びはちっとも悪いことでも恥ずかしいことでもないんですから。

 

バーニンガムさんはその懐の深さと本物の優しさから、ある種の子どもたちの救いとも言うべきこの絵本を描いたのだと思います。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

空空寂寂度:☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「アルド わたしだけのひみつのともだち

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【絵本の紹介】「まどのそとのそのまたむこう」【300冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

絵本紹介の300冊目を飾るのは、20世紀を代表する絵本作家、モーリス・センダックさんによる異色作「まどのそとのそのまたむこう」(原題:OUTSIDE OVER THERE)です。

作・絵:モーリス・センダック

訳:脇明子

出版社:福音館書店

発行日:1983年4月20日

 

センダックさんと言えば傑作「かいじゅうたちのいるところ」が真っ先に思い浮かぶでしょう。

この「まどのそとのそのまたむこう」は、「かいじゅうたちのいるところ」そして「まよなかのだいどころ」と併せてセンダックさんの3部作と呼ばれています。

 

この3部作はすべて「行きて帰りし物語」であり、子どもの「内面世界への旅」を描いているのです。

 

「かいじゅうたち」では心温まるメルヘンとしての空想ではなく、生身の人間としての、衝動的で不安定な子どもの内面を掬い上げたことで、既存の絵本表現の射程範囲を大きく上回り、世界に衝撃を与えました。

子どもの心魂・精神を絵本芸術において表現するという点で、センダックさんは他のどの絵本作家よりも突き抜けた才能を持ち、その孤高の独自性を保持しています。

 

続く「まよなかのだいどころ」では、「真夜中」という子どもにとって不思議で魅力的な時間の秘密に対する好奇心を原動力として、一種奇怪な空想世界の旅が描かれています。

しかし、全世界で爆発的に売れ、「20世紀最高の絵本」とまで激賞された「かいじゅうたち」に比べると、どこか不気味な雰囲気や難解さが敬遠されたのか、「まよなか」はやや賛否の分かれる作品になりました。

 

≫絵本の紹介「かいじゅうたちのいるところ」

≫絵本の紹介「まよなかのだいどころ」

 

私自身は「まよなか」の難解さは、作者自身の精神世界へより深く下ったことによるものだと感じています。

作品が作者の個人的な領域に近づいたことで、読者はどこか置いてきぼりにされた感を抱かざるを得なかったのでしょう。

 

しかしそれでもセンダックさんはさらに自己の精神の深層へ沈潜することを止められませんでした。

そして5年間閉じこもった末に、ついに3部作の「完結編」である「まどのそとのそのまたむこう」を完成させたのです。

 

その内容は前2作とは比べ物にならないくらい個人的で精神的です。

それだけに象徴的で謎めいており、非常に難解です。

 

絵柄は緻密で宗教画的美しさがありますが、不気味で陰鬱でもあり、子どもが「可愛いもの」として描かれていません。

センダックさんは音楽的な作家で、「かいじゅうたち」も「まよなか」も、ミュージカル的な作品ですが、「まどのそとのそのまたむこう」ではその傾向はさらに強まり、オペラ絵本とでも呼びたくなるような構成になっています。

 

表紙から扉、本編に入るまでに主人公の少女アイダが妹のお守りをしているカットが何枚も描かれます。

そして彼女の周囲にはすっぽりとマントをかぶった小人たち(ゴブリン)が蠢いています。

パパは うみへ おでかけ

ママは おにわの あずまや

母親は虚ろな表情で座り込み、少女アイダはまだ赤ちゃんの妹を抱いています。

アイダは妹に「まほうのホルン」を吹いてあげますが、何故か妹に背中を向けています。

窓から侵入したゴブリンたちが妹をさらい、身代わりに「こおりの にんぎょう」を置いて行きます。

何も気がつかないアイダは、人形を抱きしめ「だいすきよ」。

しかし氷が溶けだし、アイダは気がついて「かんかんに おこりました」。

この二枚のカットでのアイダの豹変は印象的なものです。

アイダの怒りに反応して窓の外の船は嵐に呑み込まれています。

このことからわかるように、「まどのそと」は、アイダの心魂世界です。

 

ゴブリンたちが ぬすんだんだわ! およめさんにしようと おもってるのね!

アイダは急いで妹を取り返すための準備を整えます。

ママの きいろいレインコート」にくるまり、「まほうのホルン」をポケットに突っ込みます。

ところが そのあとが しっぱいでした

アイダは うしろむきになって まどわくをこえ、まどのそとの そのまたむこうへ でていったのです

アイダは なにもみないで ふわふわとんで、どろぼうたちの どうくつのそばを とおりすぎてしまいました

 

しかしそこへ遠い海から船乗りの父親の声が届きます。

うしろむきでは なんにもならぬ くるり まわって ホルンをおふき

 

アイダはその声に従って前を向いてホルンを吹き、ゴブリンたちの洞窟へ飛び込みます。

ところがゴブリンたちのマントの中身は妹みたいな赤ちゃんばかりで、見分けがつきません。

アイダはホルンを吹き、ゴブリンたちは「じぶんでも しらないうちに おどりだしてしまい」、どんどん早くなる踊りについていけなくなり、「ぐるぐるまわって おどりながら、とうとう みんな かわにはいり、うずまくみずと いっしょになって」消えてしまいます。

一人だけ残った赤ちゃんこそが、アイダの妹でした。

アイダは大喜びで妹を抱き上げ、「おがわにそって、のはらを あるいて」家に帰ります。

 

母親のもとには父親からの手紙が届いています。

母親は今度はアイダをいたわるように肩に手を置いて、夫からの手紙を読みます。

 

★      ★      ★

 

一読しただけでは、ほとんどの読者はあまりにも不可思議な内容に戸惑うのではないでしょうか。

何か胸がざわつくような不安を覚えつつ、何度も読み返してしまう魔力のこもった作品です。

 

夢の中のような幻想的な風景、「まほうのホルン」「きいろい レインコート」といったキーワードは何を意味しているのでしょうか。

センダックさんの自著「センダックの絵本論」(岩波書店出版 脇明子・島多代訳)によれば、これは作者自身の子どもの頃の恐怖をもとにした絵本だと語られています。

 

恐怖を与えたものは小さい頃に読んだ「大きい黄色いレインコートを着た少女の本」であり、「リンドバーグ愛児誘拐事件」であり、そして9歳年上の姉ナタリーです。

 

ナタリーは、忙しい両親から弟(センダックさん)の世話を押し付けられていました。

彼女自身はまだ幼く、そうした状況に不満もあり、時折「悪魔的な怒り」を見せたり、弟を置き去りにしたりしたこともあったそうです。

 

子どもたちは皆、大人の庇護下でしか生きられないというストレスに晒されています。

母親、もしくは母親役の人間が自分のことを愛していないかもしれない、いつか捨てられてしまうかもしれない、「こおりの にんぎょう」と取り換えられても気づいてもらえないかもしれない。

そんな不安と心配を全く持たない子どもはいないのです。

 

大人たちは自分の子ども時代の記憶をなくし、子どもたちが平和で牧歌的な世界に住んでいると思いたがりますが、実際には子どもたちは大人よりも遥かにシビアでストレスフルな「現実」を常に突きつけられているのです。

 

幼いセンダックさんを怯えさせた姉のナタリーは、しかし同時に心から弟を愛してもいました。

 

絵本の主人公アイダは、まさにこの幼くして引き裂かれた自我そのものです。

アイダは妹を愛し、かつ憎んでいます。

その分裂と矛盾に耐えるために、アイダは「妹への怒りと憎しみ」を妹そっくりな「ゴブリンたち」に転嫁させるのです。

 

これは子どもを世話する立場の人間なら共感できる感情だと思います。

この絵本にはほぼ全カットに「水」が描かれますが、精神分析的には「水」は「出産」のシンボルです。

アイダは姉であると同時に母でもあります。

子どもを愛しつつも、ふとした瞬間に怪物になってしまう存在です。

 

私たちは愛すべき対象を憎んでいるという自己矛盾に耐えることができません。

だからアイダも私たちも、空想世界に入り込み、そこで「物語」を一つ作り上げ、その矛盾を克服しようとします。

空想にふけることは病的なことではなく、極めて健全な人間能力によるのです。

精神の健全さは、必ず世界を正しい姿に戻そうと働きます。

アイダは一時の怒りや放心から目覚めて、妹を奪還して平和で秩序ある世界に連れ戻します。

 

子どものファンタジー、イメージ、想像力を正しく涵養する仕事を、現代の人間はかなり軽んじています。

しかしそれは極めて、ほとんど死活的に重要な人間能力なのです。

 

我々はいまだに無意識に支配され、不自由で不完全な精神で生きています。

まどのそとのそのまたむこう」にある自己の無意識世界を「まえをむいて」認識し、健全な想像力でそれを克服しなければ、人間は永遠に無意識の奴隷のままでしょう。

 

センダックさん自身はこの絵本を描くことによって、幼児期のトラウマから救われたと語ります。

恐怖についての「物語を作る」ことは恐怖を再構築し、そしてあるべき姿に戻すことなのです。

 

芸術は本来、自らの無意識領域に上れない人間を、その吸引力でもって引き上げてくれる働きをします。

その意味で、絵本という分野において、最も芸術家的な作家といえば、私は一番にセンダックさんを挙げたいと思います。

 

推奨年齢:5歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

オペラ度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「羊男のクリスマス」【290冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

12月になりましたね。

色々と忙しい時期ですが、健康には気を付けて、気分良く新年を迎える準備をしましょう。

 

さて、今回もクリスマス絵本を取り上げます。

村上春樹さんと佐々木マキさんによる共作絵本「羊男のクリスマス」です。

作:村上春樹

絵:佐々木マキ

出版社:講談社

発行日:1985年11月25日

 

村上さんについては、今さらここで説明するまでもないでしょう。

毎回ノーベル文学賞の候補に挙げられる世界的人気作家で、絵本の翻訳の仕事もされています。

その独自の作風と文体、不思議な世界は多くの読者を魅了する一方、「難解」「意味不明」という批評の的にもされがちです。

 

私自身は村上作品にさほど通暁しているわけではないので、彼の作家性について語るのは自信がありません。

ただ、個人的には小説であれ、絵本であれ、映画や音楽であれ、「難解なもの」は嫌いではありません。

 

一見すると単純だけど読みかたによっては複雑な構造の絵本というものは実は結構たくさんあります。

そうした作品を読むとき、読者一人一人の「読み」が試されることになります。

そのスリリングさがひとつの楽しみだし、作品について誰かと語りたくなる要素でもあります。

 

村上さんの作品の人気の理由は、そうした点にもあるのではないでしょうか。

もちろん、いわゆるミステリーと違い、村上作品の多くは結末がはっきりしない「オープンエンド」で、「謎」についての「答え合わせ」ができないというフラストレーションは残ります。

 

けれども、単一の読解に落とし込めないからこそ、その作品は多くの読者に対して開かれているとも言えます。

絵本の読み方だって、解釈に正解も不正解もないし、どう読んだってそれは読者の自由な権利なのです(面白い読み方とつまらない読み方はありますけど)。

 

さて、そんな一筋縄では行かない村上さんをして、「ぼくにとっての永遠の天才少年」と言わしめたのが、我らが(?)佐々木マキさんです。

以前の記事でも触れましたが、佐々木さんの前身は漫画家で、それもとびきりヘンテコで実験的な漫画を描いていました。

一種の狂気すら感じるその前衛的作品に、1960年代の若者たちから熱烈な支持者が続出しました。

 

≫絵本の紹介「やっぱりおおかみ」

 

村上さんもそんな若者の一人で、大学時代に佐々木さんのデザインしたビートルズのポスターを街角から盗んでしまったほど。

そして自身が作家となった時、「風の歌を聴け」という最初の小説の挿絵を是非にと佐々木さんに依頼したのでした。

 

そんな村上さんですから、佐々木さんと共作で絵本を作ることになった時、まずは「何でもいいから絵を描いてください」「その絵を見て話を考えます」と佐々木さんに言ったそうです。

そこで佐々木さんが描いたのは「灯台の近くで眠っているクジラ」と「等身大のテディベアが女の子とたわむれている」絵。

そこから村上さんが作り出した物語が「羊男のクリスマス」というわけです(クジラもテディベアも出てこないけど)。

 

ちょっと前置きが長くなり過ぎたので、手早く内容に入りましょう。

絵本と言っても漢字は普通に出てくるし、文章も長いです。

 

クリスマスのための音楽の作曲を依頼された「羊男」。

しかし、家主に妨害され、クリスマスまであと四日となっても曲はできません。

 

そこへ「羊博士」が現れ、羊男が作曲できないのは、クリスマス・イブに穴の開いたドーナツを食べたことによる呪いのせいだと教えます。

そこで羊男は羊博士の指示に従い、呪いを解くための穴を掘り、そこに定められた時刻に落ちます。

 

落ちた先で、羊男は次々に奇妙な人物に遭遇します。

顔がねじれた「ねじけ」、双子の姉妹、「海ガラス」、「なんでもなし」……。

ちょっと意地悪だったり不条理だったりする彼らとのやり取りを経て、羊男は呪いを解くための旅を続けます。

 

辿り着いた先に待っていたのは「聖羊上人」。

そして今まで出会った人々が一堂に会し、羊男に「クリスマスおめでとう!」と叫びます。

 

なんとこれまでの冒険はすべて仕組まれたもの。

羊男はクリスマスパーティーに招待されていたのです。

彼はそこでピアノを弾き、とても幸せな時間を過ごします。

 

目が覚めると、羊男は自分の部屋のベッドにいました。

そしてクリスマス・カードが届きます。

 

羊男世界がいつまでも平和で幸せでありますように

 

★      ★      ★

 

羊男」というキャラクターは村上さんの他作品にも登場しますが、その正体はいまいち不明です。

この世界には「羊男協会」なるものがあり、「羊男」たちはある種の義務のように羊の毛皮の衣装を着ているようです。

 

「なんで?」というところの説明はありません。

その不条理さが村上ワールド。

 

これは羊男が「穴に落ちる」話ですが、人生において我々は度々「穴に落ち」ます。

神ならぬ我々には、どういう因果で自分が「穴に落ちた」のかを知ることはできません。

表面上の理由は色々と考え付くでしょう。

しかし、本当のところはわからないのです。

 

ですから、聖羊上人がどうして穴に落ちたのか、という羊男の質問に答えは返ってこないのです。

自分では「何も悪いことしてないのに」呪われてしまうこともあるのです。

 

人生の不幸や不条理に「なんで自分だけが……」と嘆きたくなることは仕方のないことです。

けれど、理由を求め続けるのをいったん諦め、とにかく自分の状況を観察し、行動し、異質に思える他者と触れ合ってみると、「穴の中」にも意外な優しさや親切や幸せが発見できるかもしれません。

 

羊男の旅が私たちに教えてくれるのは、そんなささやかな幸せに至るためのヒントのように思います。

 

推奨年齢:小学校高学年〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

主食がドーナツ度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「ハリス・バーディックの謎」【284冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

絵本は大人が読んでも面白いもの。

ただし漫然とテキストを読み飛ばすような仕方では絵本は楽しめません。

子どもの頃のように、目と耳を澄まし、想像力を鋭敏にして、そこにある絵と短い文から物語を読み取るのです。

 

今回は非常に変わった構成ながら、大人もワクワクさせられてしまう不思議な絵本を紹介します。

クリス・ヴァン・オールズバーグさんの「ハリス・バーディックの謎」。

文・絵:クリス・ヴァン・オールズバーグ

訳:村上春樹

出版社:河出書房新社

発行日:1990年11月30日

 

オールズバーグさん作品はこれまで「魔術師ガザージ氏の庭で」「ジュマンジ」「急行『北極号』」を取り上げています。

 

≫絵本の紹介「魔術師ガザージ氏の庭で」

≫絵本の紹介「ジュマンジ」

≫絵本の紹介「急行『北極号』」

 

毎回幻想的で想像力を刺激されるオールズバーグさんの絵本。

今回は、絵本にしては少し長めの「はじめに」という文があって、これを読んでおかないと内容が意味不明になります。

実際、私は初めてこの絵本を読んだ時、「はじめに」を飛ばしたのでさっぱりわけがわかりませんでした。

 

出版社勤めのピーターという人物のもとへ、自分の書いた物語を売り込みに来たらしい「ハリス・バーディック」なる男が訪れます。

その14の物語にはそれぞれハリス・バーディックが自分で描いた絵があり、この時、見本として各物語に一枚ずつその絵を持ってきていました。

その絵にすっかり魅了されたピーター氏は、その物語を早く読みたいと催促します。

 

ところが、明日物語を持参すると約束したハリス・バーディックは、次の日になっても現れず、それどころかそのまま姿を消してしまいます。

残されたのは14の絵と、それぞれに付けられたタイトルと短い説明文のみ。

作者はその絵を「複製」し、この「ハリス・バーディックの謎」を作った……というのが「はじめに」の要約。

 

もちろんフィクションでしょうけど、物凄いリアリティのある設定です。

そしてこの絵本は、ハリス・バーディックが残した14の絵とそのタイトルと短い説明文を並べた構成になっています。

例えば、「ヴェニスに消えた」という絵。

説明文は「その強力なエンジンを逆進に入れたというのに、旅客船はどんどん運河の奥の方にひきずられていった

 

招かれなかった客」という絵には「彼の心臓はどきどきしていた。ドアの把手はたしかに回ったのだ

 

リンデン氏の書棚」という絵には「彼はその本について、女の子にちゃんと注意を与えたのだ。でももう遅い

七つの椅子

五つめは結局フランスでみつかった

 

オスカーとアルフォンス

それらを返さなくてはならない時が来たことは彼女にもわかっていた。毛虫たちは彼女の手の中でもぞもぞとうごめき、「さよなら」という字を描いた

メイプル・ストリートの家

それは文句のつけようのない離陸だった

 

★      ★      ★

 

まさに謎。

こんな調子で物語の断片だけが示され、各ページに関連性はありません。

後は読者の想像力のみに委ねられているのです。

 

イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」の展示作品を見ている時もこんな感じだった気がします。

絵を読む、という絵本の特性を抽出して濃縮したような作品です。

各カットは美しく、怪しく、どこかSFチックで、いくらでも自分の物語を想像させてくれます。

絵本作家のヨシタケシンスケさんも、この絵本に大いに刺激を受けたそうです。

 

小学生のころ、図書室で借りたい本を選ぶために適当にページをめくり、挿し絵のある部分だけを見て面白そうかどうかを判断していたことを思い出します。

結局借りられなかった本の中の、そのワンシーンの絵と文だけが何故か長く記憶に残るのです。

あれはいったい、どんなお話だったのだろう……と、何かの折に想像してみたりするのですが、もはやタイトルすら忘れてしまい、読むことは叶いません。

 

ちなみに、この絵本にインスピレーションを受けた作家さんたちがそれぞれの絵から物語を書いた「ハリス・バーディック年代記」という本があります。

この絵本の影響力がいかに大きいかがわかりますが、私は読んでいません。

「謎を謎のまま楽しむ」というのもいいものですから。

 

推奨年齢:小学校高学年〜

読み聞かせ難易度:☆☆(読み聞かせ向きとは言えませんが、読み聞かせるのは楽しそうです)

想像力触発度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「くじらの歌ごえ」【254冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回紹介するのは「くじらの歌ごえ」という絵本です。

作:ダイアン・シェルダン

絵:ゲイリー・ブライズ

訳:角野栄子

出版社:ブックローン出版

発行日:1991年6月25日

 

ケイト・グリーナウェイ賞を受賞した作品ですが、日本での知名度はあまり高くないかもしれません。

まず、写真絵本と見紛うほど精緻で美しい絵に目を奪われます。

キャンバス地の凹凸やざらざらした手触りまで伝わってくる味わいの深さがあります。

 

この超美麗な絵を手掛けているのはゲイリー・ブライズさんというイギリス出身の画家で、これは彼の初めての絵本だそうです。

物語も、彼の幻想的な絵にマッチしています。

主人公のリリーという少女に、おばあさんがくじらの話を聞かせます。

昔、桟橋の上でくじらの歌を聴かせてもらったお話です。

おばあさんは、リリーもくじらに見つけてもらいたかったら、何か贈り物をするとよいと言います。

 

そこへフェデリックおじさんが入ってきて、

くじらがだいじにされてきたのは 肉や骨や脂をとるためだ。リリーにおしえるんだったら もっとやくにたつことを きかせてやってくれ

と不機嫌な様子でおばあさんに言います。

 

おじさんは、普段からおばあさんがリリーに夢のような物語を聞かせるのを、苦々しく思っていたのです。

その後、リリーはくじらの夢を見るようになります。

夢の中のくじらは歌をうたい、跳びあがってリリーの名を呼ぶのでした。

 

リリーは桟橋に行って、黄色い花をそっと海に落とします。

くじらさん、どうぞ これ、あたしのおくりものよ

 

そして一日中桟橋に座ってくじらを待ちました。

夕日が沈むころ、フェデリックおじさんが来て、

そんなばかなまねは もうやめて、うちにおかえり。わたしはおまえに夢ばかりみているような人間になってほしくないのだよ

と諭します。

 

その夜、リリーは月明かりでいっぱいの部屋で、ふと目を覚まします。

家を抜け出し、浜辺へ向かって走ると、海には「おどろくほどたくさんのくじらが 月にとどくほどたかくとびはね とびあがっています」。

リリーは気が付くと裸足で浜辺に立っていました。

もうくじらの姿はなく、いつもの穏やかな海に戻っていました。

 

夢を見ていたのだと思い、家へ帰ろうとするリリーに、風に乗ってくじらの呼び声が聞こえてきます。

 

★      ★      ★

 

夢のような不思議な時間。

でも、本当に体験したこととして、記憶に刻まれている時間。

誰しもが子どもの頃に、そんな幻想と現実の境界に足を踏み入れたことがあるのではないでしょうか。

 

「目に見え、触れることができるものだけが現実である」と頑なに信じる大人たちは、そうした空想を否定し、そればかりかそんな話に腹を立てたりします。

でも、実際にはこの世界には人間の感覚器官によっては感知できないような微細な物質が存在するように、「目に見えるものだけが現実だ」という認識は「妄想」なのです。

 

五感では捉えられないような存在に対しても、実は人間はそれに近づき、認識する手段を有しています。

それが想像力という能力です。

 

もちろん、それは多くの誤謬の可能性を含んだ未熟な能力かもしれませんが、逆にそれがなければ、この世界に対しても人間に対しても、血の通った理解を示すことは不可能です。

 

そしてこの能力は、子どもの間に大切に育んでやらなければ、大人になってからでは取り返すのは絶望的に難しいものです。

 

想像力なんて、そんなに個体差はないだろうと思ったら大間違いです。

二人の人間が、同じ視力で同じものを見たとしても、まったく違う姿を見い出していることは不思議でもなんでもありません。

そこに想像力が介入しているからです。

それが豊かであるか、貧困であるかは、実は人生に関わるほどに重大な問題なのです。

 

私たちには、子どもの想像力の芽を摘み取ろうとする哀れな大人たちから子どもを守り、たくさんの物語を聞かせ続ける使命があると思います。

 

ちなみに、くじらは実際に歌をうたうようです。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

絵の印象的度:☆☆☆☆☆

 

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