倫理と想像力【自由な子どもを育てるということ・2】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

新年度が始まり、一気に暖かくなりましたね。

新しい生活に入って忙しく過ごされている方も多いと思います。

 

我が家では息子の小学校就学を考えて、そろそろ準備を始めています(まだ2年あるけど)。

当人は相変わらず好き勝手に遊び暮らしておりますが。

以前にも書いた通り、今のところ幼稚園には通っていません。

 

幼稚園にも保育園にも通わなかった子どもは、集団生活の経験がないので、小学校に入学してから協調性のなさやマナー面で苦労するなどと聞くと(そんなもん人それぞれだとは思いますが)、せめて1年でも通わせた方がいいのかしらと迷ったりもします。

しかし、マナーや協調性は大事なことですが、それをそんなに早くからしつけることが、本当に子どものために良いことなのかどうか、いまだに疑問なのです。

このブログを始めたばかりの頃に、「自由な子ども」を育てるということという記事を書きました。

当時3歳だった息子は4歳半になりましたが、子育てに関する基本的な考えは、この時に書いた内容とほぼ変わっていません。

その一方、「自由に育てる」というと聞こえはいいけれど、子どもがわがままになってしまうのでは……という葛藤も、まだ完全に払拭できたわけではありません。

 

生後半年から続けている読み聞かせによって、息子の言語・読書能力はずいぶん高くなったと思いますが、情緒面の発達は緩やかなもので、むしろ普段から幼稚園で保育士さんや友達と触れ合っている同年代の子どもたちに比べたら幼いようにも見えます。

兄弟もいないので、考えてみればこれで協調性が育つはずがないかもしれません。

 

家では「しつけ」と言われるようなことは特にやってません。

好き嫌いは多いし、片付けは滅多にしないし、服を着変えるのに何十分もかけたりするし(絶対に手伝いませんが)、夜更かしはするし、眠いから不機嫌になって悪さするし、でも謝らないし(私は「謝りなさい」とは言いません)。

 

これらを「わがまま」と言われればその通りかもしれません。

でも、これくらい子どもとしては普通、と言われればそんなものかもしれません。

 

けど、いずれにしても私は子どもに振り回されているわけではありません。

たとえどれほど迂遠な方法であるとしても、本当に倫理的な人間を育てるには、「力による強制」は可能な限り避けるべきだと考えているからです。

 

「自由な人間」は「わがままな人間」とは違います。

「自由な精神」を持った人間は倫理的に振る舞うことができるはずです。

今回はこの点について少し思うところを述べてみます。

 

「自由」が「わがまま」を連想させるのは、「自由」とは「個人」に近づくことだからです。

その反対が「集団」です。

 

「道徳」とは、「集団」の存続のために「個人」的な振る舞いを控え、「集団」の利益を優先させることです。

「集団」に属することはその人間の生存率を高めますが、同時に「不自由さ」がついて回ります。

日本では特にこの点が顕著です。

 

旧来的な「道徳」とは、親や教師など、「権威」から与えられる外的な概念です。

つまり「他人の判断」を基準に自らの行動を決めるということです。

これが「天国と地獄」のような神的な権威に替わっても、事情は同じ事です。

 

それが悪いと言っているのではありません。

国家や集団の存続を優先させることが、結果的に個人の生きる確率を高めるのですから、それは極めて合理的な振る舞いです。

ただ歴史的に見れば、人間は徐々に「集団」から「個人」へ、つまり「不自由」から「自由」を志向しているのは明らかです。

 

そこに様々な運動や反発が起こるにせよ、人間の精神は本質的には「自由」を求めているのでしょう。

 

そこで、これまで何らかの権威から与えられていた道徳の「不自由さ」に、人の本性は抵抗を始めます。

現代的人間はもはや、それが神であっても、道徳的に強制されたいとは思わないでしょう。

自らの自由な精神に基づいて行動したいと願うはずです。

 

しかしここで、最初の葛藤に行き着きます。

「自由」とは「わがまま」ではないのか。

 

確かに、すべての人間が動物的な本能や衝動のみに従って行動するのなら、暴力や犯罪がはびこる社会が生まれてしまうでしょう。

人間の魂は善良であるから、放っておいても倫理的な人間に成長する、というのはあまり科学的な見方ではありません。

野生の獣に育てられた子どもが、社会的な倫理観や道徳的概念を持つことは期待できません。

 

倫理や道徳というものは、人間の生体に自然発生するものではなく、後天的に得る概念です。

つまりは虚構なわけですが、人間が他のあらゆる動物と異なっているのは、この「虚構=物語」を取り込んで生きる生き物である点です。

 

そして、その「物語」を生み出すことができるのは他ならぬ人間の「想像力」だけです。

 

何らかの権威に依らず、外から強制されることもなく、人間は倫理的に振る舞うことができるのか。

この問いに私は「できる」と答えたい。

「想像力」を伸ばし育てることによってのみ、それは可能だと思います。

 

数えきれないほどの「おはなし」を子どもに聞かせるのが有効なのは、そこに「道徳的な教訓」があるからではありません。

もちろん多くの昔話がそうした教訓を盛り込んでいることは事実ですが、それよりも「物語を聞かせる」ことを通じて、子どもの奥深くに眠っている想像力に火をつけることのほうが遥かに重要なのです。

 

世の中の悲惨や犯罪行為のほとんどは、想像力の欠如から生まれます。

豊かな想像力を持った人間は、自らがどう振る舞えば幸福に生きることができるかを知っています。

そして彼は個人だけの幸福にとどまらず、人類全体の幸福を志向します。

それが自らの幸福につながっていることを想像できるからです。

 

誰かが強制したからではなく、自らの想像力によって、自らの心に従って生きること。

それが真に「自由な人間」だと思います。

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子どもの嘘について

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

およそ世の中に嘘をつかない人間はいないそうで、嘘つき大会をやったら「私は生まれてこの方一度も嘘をついたことがない」といった人が優勝、なんて小噺もあります。

人間は嘘をつく生き物です。

 

他方、人間は嘘をことのほか憎み、糾弾する生き物でもあります。

子どもがついた小さな嘘を、厳しく咎め立てる大人がいます。

自分のことは棚に上げて。

 

でも、「嘘は良くない」なんて青筋たてて叱りつけても、「どうしてそんな嘘をつくの」と優しく問いただしても、そう言っている大人自身が普段から心にもないことを言ったりやったりしているわけですから、まるで説得力がない。

子どもはそういう大人を見ていますから、いくら叱られたところで「嘘はやめよう」と思うよりも、「もっと巧妙な嘘をつかなければ」と考えるわけです。

 

叱られないための嘘にしろ、大人の気を引くための嘘にしろ、そうした子どもの嘘の原因を作っているのは大人です。

 

もちろん、私は嘘をいいことだとは思っていません。

でも、それは道徳的な問題としてではありません。

嘘をつくと生命力が損なわれる」からです。

「噓つきは泥棒の始まり」という言葉があります。

子どもに嘘は良くないことを教えようとしてよく用いられる喩えです。

 

平気で嘘をつくようになったら、盗みも平気でするような人間になる

 

という意味だそうです。

これは真理だと思いますが、どうしてそうなるのかをじっくりと考えてみたことはあるでしょうか。

 

幼い子どもを観察していればすぐわかることですが、彼らは心と行動が完全に一致しています。

だから「嫌なものは嫌」なのです。

 

しかしそれでは世の中生きていけないので、大人はあれこれと本人の意にそぐわないことをさせようと手を回します。

我慢を覚えさせ、服従の意思を見せることを教え、悪いと思わなくてもとりあえず謝ることを強制します。

 

そして子どもは心と行動を分離させる術を身に付けます。

 

でも、これは実はとても辛いことなのです。

我々大人はもう麻痺してしまっていますが、人間というものは本来、自分の心と行動に整合性を求めます。

心と体が分裂してしまうと、外傷はなくとも、魂が損なわれます。

精神の病のほとんどは「分裂」です。

 

ですから、「平気で嘘をつく」ような人間でも、本気で自分のことを「平気で嘘をつくような人間」だとは直視したくない。

人間の魂とは、実はそんなことに耐えられないくらい誠実なのです。

だから嘘をつく人間はその一方でひたすら自己弁護を図ります。

「これは方便だ」

「生きるために仕方がないのだ」

「他の誰だって嘘をついているんだ」

等々。

 

「いや、おれは自分で自分のことをひどい嘘つきだと認めている」

という人間だって、そういう方法で自己肯定しているわけです。

開き直ったり、冷笑的になったり。

 

やがてそういう「自分の心に対する嘘」が積み重なって、とうとう心が破壊されます。

そうなった人間は、もう自分の内的な声を聴きとることができません。

彼らは自由に振る舞っているつもりで、実は外的なものに動機づけられています。

 

彼らは「本来の自分の生」を生きていません。

ですから、悪に対する抵抗力も低くなり、「泥棒の始まり」となるわけです。

 

今の世の中を見渡せばわかるでしょう。

この国のトップと言われる立場の人々は、すでに人格が崩壊しています。

そういう「親」を見て、「子」の立場の役人たちも嘘をつきます。

そしてそれは、子どもの他愛のない嘘とは比較にならないくらい悪質なものです。

 

子どもに嘘をついて欲しくなかったら、親は少しでも自分自身に対する嘘を減らして生きましょう。

繰り返しますが、それは道徳的な意味ではありません。

最も簡単な言葉で言えば、「自分を大事にしましょう」ということです。

 

 

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「逃げるは恥だが・・・・・・」【産後うつの対処法】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

これまで、色々と自分自身の育児について書いてきました。

読んで下さった方はわかるでしょうけれど、私と妻は育児に対し、結構高い理想を持っています。

ゆえに、ハードです。

 

子どもが生まれる前に夫婦でいくつかの基本方針を決めたのですが、そのほんの一例として、

 

・絵本の読み聞かせは、いつでも、何冊でも、何回繰り返しても、子どもが満足するまで。

・いつも傍にいて、ずっと話しかけてあげる。

・怒らない・イライラしない・急かさない。

・否定的な言葉を聞かせない。

・子どもがやりたがることは可能な限りやらせてあげる。

 

などがありました。

で、これを100%実践できているかと言えば、もちろんそんなわけはなく、まあいいとこ70%程度でしょう。

私は楽観的で落ち込まない性格ですので、「ま、少しずつできるようになればいいだろ」と考えることができますが、妻の方は(本人は否定してますが)完璧主義的なところがあり、できない自分(と私)を許せないことがあります。

 

息子が生まれてから、昼夜問わない授乳による疲労と睡眠不足もあり、妻は気分の波が激しくなり、塞ぎ込んだりイライラしたりすることが増えました。

 

そんな精神状態で上記のような「理想的な親」として振る舞えるはずもなく、息子に対してカッとなって叱ってしまったり、遊びに十分付き合ってやれなかったり、そのせいで余計に自己嫌悪に陥るという悪循環。

 

病院で診断されたわけではないのですが、妻はいわゆる「産後うつ」状態でした。

 

産後うつについては様々な研究が続いていますが、「マタニティブルー」とは分けられるようです。

出産直後、体調変化やホルモンバランスの乱れなどで精神不安定に陥るのがマタニティブルー。

これは一過性のものである場合が多いようです。

 

出産から数週間後〜数か月後に発症するのが産後うつ。

育児に対する不安、重圧、孤独、さらに肉体的疲労などが原因となって引き起こされる病です。

マタニティブルーと違って怖いのは、長期化する可能性があること。

 

上で、妻は産後うつ「でした」と過去形で書いていますが、実を言うといまだに完治したわけではありません。

今でも、時々は爆発しそうな瞬間があるそうです。

 

やっと最近になって「自分はおかしかった」と自覚できるようになったところです。

私たちは周囲に頼りにできる親族もいませんし、そもそも頼る気もありませんでした。

この「何もかも全部自分たちでやろう」という気持ちが、そもそも危ないのですが……。

 

核家族化が進んだ現代、妻が頼れるのは夫だけ……という家庭も多いでしょう。

ですから仕事が忙しくとも、夫はできる限り妻をフォローしなくてはなりません。

 

でも、男だってそう強いわけではありません。

ずっとイライラしている妻に不満をぶつけられる日々に疲れて、今度は夫の方が「つらい」「死にたい」などと言い出すケースもあるようです。

 

こうなると夫婦共倒れの危険すらあります。

夫婦が倒れたら子どもも倒れてしまいます。

 

かくいう私も、妻に負の感情をぶつけられ続けた一人です。

「仕事から帰ったら、家に不機嫌な人がいる」という状況がどれだけ辛いものか、よくわかります。

 

けれども、泣き言を言うのはプライドが許さないし、そもそもこういう状況も覚悟して子どもを持とうと決心したわけだし、私は努めて明るく元気に振る舞いました。

特に、子どもに対して不機嫌な態度を取ったことは(ほとんど)ありませんでした。

 

……しかし、体は正直です。

息子が1歳半ごろに、私は甲状腺機能亢進症という病気に罹り、体重が10キロ以上激減しました。

当時はあんまり忙しくて、人から指摘されるまで自分の異常に気付きませんでした。

 

もちろん、これが育児や妻のストレスが原因かどうかはわかりません。

しかし、妻の産後うつが収まってくると、私の病気も完治したのですから、おそらく関係してるんだろうと思います。

 

以上のような経験を踏まえて、「産後うつの妻に対し、夫はどうフォローすべきか」という問題について、私なりに考えた方法は、

妻の機嫌が悪くなってきたら、夫はとにかく子どもを連れて家から脱出する

というものです。

三十六計逃げるに如かず。

 

家事を手伝うとか、話を聞いてあげるとか、色々と方法はありますし、それでうまく行くなら問題はないですが、そもそも育児に疲れた女性が一番に望むことは「一人になりたい」だそうです。

一人にしてあげましょう。

 

夫の方は、普段仕事しているなら、子どもといる時間は妻より少ないだろうし、たまに一日中子どもと一緒にいても、そこまで精神的に参ることも少ないと思います。

だから夫は常に子どもを連れて即座に出かけられる準備(私は「家出セット」と呼んでいます)を整えておき、妻の様子を見計らって外出(逃走)することを薦めます。

 

こうすれば、夫の方も妻のイライラをぶつけられることもなく、夫婦仲も破壊されず、子どもに悪影響を与えることもないというわけです。

 

目下のところ私が望むのは、幼児を連れて一日中遊べる無料の施設を増やしてほしいということです。

 

 

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体罰について

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は子どもに対する親の「体罰」というものについて少し考えてみます。

これは複雑で根深い問題ですから、簡単な話にまとめるべきではないのかもしれませんが。

 

肯定派・否定派さまざまな意見が飛び交ってますが、究極的な論点は、

「体罰」は「子どもの成長」にプラスなのか、マイナスなのか。

これだけです。

 

肯定派は「プラスである」(もしくは「プラスになる場合もある」)と言い、否定派は「マイナスである」(もしくは「トータルでマイナス影響が大きい」)と言います。

 

「子どもの成長なんか知ったことではない。スカッとするから殴るんだ」という意見は(堂々と口にする人もいないでしょうが)、この際無視します。

さすがに(表立っては)支持する人もいないでしょうから。

 

さて、次に「体罰」のパターンをおおまかに

 

1・怒りが爆発して

2・「してはいけないこと」を覚えさせるため

3・心身を鍛えるため

 

の3点に分けて、上記の観点から見てみましょう。

 

まずは

1・怒りが爆発して

の体罰について。

 

誤解のないように先に言っておきますが、私は息子に手を上げたことは一度もありません。

これからもないでしょう。

 

とはいえ、今は少々収まっていますが、反抗期全盛の頃には「こいつ・・・」と、イラッとさせられたこともあります。

しかし幸いにして、私は(自分で言うのもなんですが)非常に穏やかな人間ですので、怒りで我を忘れるようなことはありませんでした。

 

けれど、言うこと聞かずの子どもを相手に、思わずカッとなって手を上げてしまう親の気持ちは理解できます。

この場合は、ほとんどの親が後で反省すると思います(してください)。

 

このケースは単に親の感情コントロールの問題であって、子どもの成長には何のプラスにもなりません。

心理的な傷は暴力のひどさに比例すると思いますが、意外と反面教師的に学ぶ子どもも多いような気がします。

いい友人に恵まれれば、その後の人生に立ち直れないほどの傷を与えることも少ないでしょう。

大人になってから、ケロリとした様子で過去の家庭内暴力の話を持ち出す人は、たいていこのケースです。

 

次に

2・「してはいけないこと」を覚えさせるため

の体罰。

 

これも多いと思います。

特に幼い子どもは理屈が通じないため、体で覚えさせるしかないという説には一面の理があるために、説得力を感じてしまいがちです。

 

しかし、これはこのブログで何度も書いていることですが、「叩かれるから悪いことをしない」というレベルの倫理観は、「人間的成長」という観点から見ればむしろマイナスです。

それは裏を返せば「見つからなければ悪いことをしてもいい」ということです。

 

私の考えは、「理屈が通じるまでは、叱らなければならない状況を極力作らない」というものです。

 

家の中では何をしたっていいんです。

物を壊そうが、泣きわめこうが、イヤイヤを連発しようが、子どもにとってはすべて成長の糧です。

必要だからしているんです。

 

壊されて困るものは隠しておき、危険なことをしているときは傍で見守り、本当に危ない目に遭いそうなときだけ黙って助けてやり、泣いて言うことを聞かないときは、気分が変わるまで待つ。

もちろん簡単ではないですけど。

 

しかし、外ではそうはいきませんね。

だったら、なるべく公共の場へ連れて行かないほうがいいです。

3〜4歳までの外遊びは公園で十分じゃないですか?

デパートや遊園地なんか、百害あって一利なしだと思うのですが。

 

「子どもには好きなことをさせてあげるべき」と言うと、

「そんな風に育てて、小学校に入るころには手が付けられないわがままになるんじゃ・・・」という心配が必ず出てきます。

でも、誰か一人でも、「そんな風に育てて、手が付けられないわがまま」になった子どもを見たことがあるんでしょうか。

むしろ、素直な欲求を満たされなかった結果のわがままのほうが多いのではないでしょうか。

 

重要なのは「子どもに振り回されない」ことです。

親が自ら積極的に「甘えさせる」ことができれば、それは「甘やかし」にはなりません。

おんなじようでも、全然違います。

第一、親の精神状態が違います。

「やらされてる感」がなくなりますし、「つけ込まれるような甘さ」にもなりません。

そういう親を見て育った子どもは、人の愛情を利用しようとは思わなくなるでしょう。

 

最後に

3・心身を鍛えるため

には、多少の体罰も効果的だという考えについて。

 

体罰を容認する大人のほとんどが、「子どもは少しくらい痛い目に遭わなければ、強くなれない」と考えているのではないでしょうか。

確かに、今の子どもたちが「打たれ弱い」とか「覇気がない」という声はよく耳にします。

 

「親や教師が甘やかして、殴られた経験もないせいで、精神的に弱い子どもになるのだ」という論には、抗いにくい力があります。

というのは、ほとんどの親は我が子の「弱さ」を不安に思っているからです。

 

我が子が弱いと、学校でいじめられるかもしれない。

何かの壁にぶつかって、すぐに挫折してしまうかもしれない。

結果的に、社会的にも弱者として生きなければならないかもしれない。

 

これはある種、普遍的な親の心配でしょう。

しかし、これはそういう親心につけ込むような脅迫だと思います。

 

確かに、ビシバシ叩いて、「シャキッとしなさい」とハッパをかけて、厳しく突き放して育てた結果、タフな人間に成長することはあるかもしれません。

あるいはそういう子どもは、「殴られもしたけど、あの愛のムチのおかげで、今の自分があるのだ」と、体罰に感謝さえするかもしれません。

 

しかし、だからと言ってそれが単純に「体罰のおかげ」とは言えません。

その子自身の性質や、親の性質、親子の関係性、家庭や学校環境、タイミングなどの条件がそろわなければならないのは当然です。

ただ叩けばいいってものじゃない。

 

「体罰成功例」の陰にははるかに多くの「損なわれた子どもたち」がいることを忘れてはなりません。

 

上記のような条件をすべてクリアして、「ここしかない」機会を逃さず、効果的に体罰を与えられるような大人は、一体どれくらいいるのでしょう。

少なくとも、私にはそんな超絶的な芸当はできません。

 

第一、そんな卓越した人間力があるのなら、わざわざ手を上げなくとも、日常の振る舞いの中で十分に子どもの教育は可能なのではないでしょうか。

 

そしてもう一つ付け加えておきたいのは、前述した「体罰に感謝する」人間が、本当に心の底からそう思っているとは限らないということです。

人間とは、「愛しているから殴るのだ」という思い込みができる生き物です。

この思い込みがいかに危険なものかは、DVなどの例を挙げればすぐにわかるでしょう。

 

さらに言うなら、「我が子を強く育てるために」体罰を加える親たちが思い描く「強さ」とは、現代社会的な価値観の中でのみ通用するような種類の「強さ」である可能性があります。

他人を蹴落とす強さ、上手く立ち回って利益を手にする強さ、少しでも上へ登る強さ。

それらは、真の人間的強さとは全く無関係なものであるかもしれないことを、頭の片隅に入れておいて欲しいのです。

 

結局のところ、拳を振り上げた時、大人が自らを省みることさえできれば、ほとんどの体罰は無くなります。

子どもを教育するのではなく、自分自身を教育するほうが上手くいく。

これが真実ではないでしょうか。

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絵本の海を泳ぐように。【4歳までの読み聞かせ育児レポート】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

お店を初めて一年が経ち、我が家の息子も無事4歳まで育ちました。

いつでも、何冊でも、何度でも」の絵本読み聞かせを中心とした育児を続けて4年ということになります。

 

≫3歳までに絵本を1000冊読み聞かせたら

 

ただ「脳にいいらしいから」と、漠然と読み聞かせをしても、もちろんいいのですが、私たちは一応「こう育つはずだ」という仮説を立てて無制限式読み聞かせ育児を実践してきました。

その根拠としては様々な早教育に関する本だったり、韓国で実際に集中的な読み聞かせ育児を行った人の話だったりします。

 

≫読み聞かせはいつから?

≫読み聞かせという英才教育

 

これまでも我が家の育児に関しては不定期的に記事にしてきましたが、この機会に「まとめ」をしてみようと思います。

 

・私たちが目指すもの

 

私たちが息子に求めるものは「自らを幸福にすることのできる能力」を持った人間に成長することです。

もう少し具体的に言うと、

 

・健全な精神を持ち、自己の人生を肯定的に、主体的に生きることができる

・広い視野と柔軟な思考力を持ち、困難に遭っても前向きな態度でやるべきことができる

・調和された円満な人格を持ち、他者に寛容になれる

・真実を感じ取れる感性を持ち、差別や偏見に流されない


私はこれらの人格的特徴を「内面的自由」と呼んでいます。

 

≫「自由なこども」を育てるということ

 

読み聞かせ育児をすると、目に見える部分での様々な能力が開発されますが、それらは上記の精神から湧出し、そしてまたその精神に流れ込むような形で、円を描くように発達していくものです。

 

そうでなければ、せっかくの知識や能力が「いい大学に受かるため」とか「いい会社に就職するため」という、人生において部分的にしか意味のないものになってしまいます。

それは「幸福になる能力」とは関係のないものです。

 

これは単なる精神論ではありません。

身体の健康ひとつとっても、精神的に健全な人とそうでない人では、大変な差が生まれます。

跳び箱だって、「跳べる」と信じ切って跳ぶ子と、常に失敗を思い描く子では、結果が違います。

 

・無制限読み聞かせ育児

 

私たちの読み聞かせ育児のルールを簡単にまとめると、

 

・なるべくたくさんの、偏らないジャンルの絵本を

・どんな時でも、何冊でも、何回繰り返しても、子どもが満足するまで読んであげる

・子どもが望まない時は、けっして読まない

 

ということになります。

ただ、4歳にもなれば、息子が好きな絵本・興味を持っている図鑑などははっきりしてきますので、それらを重点的に買いそろえたりはしています。

もちろん、それは成長とともに変化していくことなので、常に注意深く子どもを観察しなくてはなりません。

 

また、読み聞かせ以外に、子どもへの接し方としては、

 

・可能な限りやりたいことをやらせてあげる

・否定的な言葉を聞かせない

・嘘をつかない

・子どもへの約束は必ず守る。守れなかった時は理由を説明して謝る(相手が0歳児であっても)

・質問には真摯に丁寧に答える

・わからないことは「わからない」と言って、あとで(できれば一緒に)調べる

・こちらから知識を詰め込もうとしない

 

……まだまだありますが、きりがないのでこの辺にしておきます。

ただ、私たちもこれらのことを完璧にできるわけではありません。

正直に言えば、ほとんどできてない気もします。

それは仕方のないことですが、あくまでも上で述べたことを意識に置いていることが重要です。

 

あと、言うまでもないですが、体罰は論外です。

 

・読み聞かせ育児による子どもの能力発達

 

さて、最初に述べたような人格的・精神的特性は、長い人格形成期を経て、少しずつ完成していくものですから、3歳や4歳であまりどうこう言えることではありません。

しかし、わりとすぐに顕在化する能力もあります。

 

言語力や集中力などがそうです。
 

息子は1歳半くらいで文章を読めるようになりました。

系統立てて文字を教えたわけではなく、毎日絵本に埋もれるようにして暮らすうち、自然と読めるようになったのです。

 

少しずつ自分で読書をするようになり、今では字の多い物語絵本や科学図鑑などを一人で楽しんでいることがよくあります。

読んであげようか」と言っても断られることすらあります。

どうも、「一人で読みたい」気分の本もあるようです。

身に付けた知識は豊富で、他分野にわたっています。

 

自動車・電車・新幹線などの種類や仕組みに始まり、カメラの仕組み、磁石の働き、雲や雨や雪や虹といった天候現象、水の特性(蒸発や凝結など)、海の生き物、虫、植物、国旗……。

最近は特に宇宙についての本が大好きで、ミザールとアルコルがどうとか、ヘールポップ彗星がどうとか、そんな話をよくしています。

もちろん、完全に理解しているわけではなく、単語を先に覚えているだけのこともありますが、断片的であれ、知識はなかなか正確です。

簡単な足し算と引き算はできます。

これも教えてはいません。

 

絵を描くのが大好きです。

特にここ半年ほどは凄まじい勢いで描きまくってます。

一週間に300〜400枚くらいのペースで紙を消費(両面に描いてます)します。

 

やっぱり絵本の影響でしょうか。

↓遠近法を用いた機関車「D51」の絵。3歳の時の作品。

上手いかどうかは比べる相手もいないのでわかりませんが、一つのことに対する集中力は読書習慣によって培われたものかもしれません。

 

字もいつの間にか書くようになっていました。

これも練習はさせていません。

・今後どうなっていくか

 

こういう集中力がさらに発達すると、好きなことをとことんまでやり抜くようになります。

上でも少し触れましたが、韓国で同じように読み聞かせ育児をした結果、興味のあることなら何でも独学で身に付けてしまい、しかもその分野のプロ顔負けのレベルまで達するような英才児になった例もあります。

息子もそんな感じになっていけばと思っています。

 

繰り返しますが、これらの能力は受験や出世とは別次元のところにあります。

幸福になる能力を持った子どもたちは、自分たちが何が好きで、何がしたいかを知っています。

何かを学ぶことの楽しさを知り、学び方を知っています。

人生が素晴らしいものであることを感じています。

 

それさえあれば、私は息子の将来について、世界平和以外に特に心配することはありません。

 

色々書いてきましたが、最近の息子の成長で一番ありがたいのは、やっとおむつが外れたことだったりします。

これも、どうにか強制せずに自然な形で達成できました。

 

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