こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。
400冊目の絵本紹介は誰もが知る超有名人気童話「シンデレラ」を、コールデコット賞3回受賞(最多)の絵本職人マーシャ・ブラウンさんが渾身の筆で絵本化した作品。
福音館書店出版「シンデレラ ちいさいガラスのくつのはなし」です。
文・絵:マーシャ・ブラウン
訳:まつのまさこ
出版社:福音館書店
発行日:1969年6月15日
お話そのものを知らない人はいないと思いますが、伝承物語の宿命として、時代や地域によっていくつかの相違したパターンが存在します。
この絵本はシャルル・ペローの「サンドリヨン または小さなガラスの靴」を下地にしています。
サンドリヨン=シンデレラ、日本語訳では「灰かぶり」。
ペローは「長靴を履いた猫」をはじめ、多くの伝承を童話化したフランスの作家ですが、その作品内容には現代の目から見ると古臭いとも取れる「教訓」が提示されていたりします。
代表的な例としては以前に紹介した「あかずきん」の物語が挙げられます。
≫絵本の紹介「あかずきんちゃん」
≫絵本の紹介「あかずきん」
上記の記事で触れているように、ペローはこの物語を「若い女性の貞操」についての教訓話として描いています。
一方、グリム版ではいくつかの改編がなされているものの、赤ずきんの能動性が失われ、後年フェミニズム的観点から批判の的とされてもいます。
それはどちらがいいとか悪いとかいう問題ではなく、時代の要請によって形を変え、メタモルフォーゼを繰り返すことで現代まで生き延びている「昔話」のありのままの姿だと言えます。
「シンデレラ」も「あかずきん」同様ペロー版とグリム版が存在しますが、現代ではもっとも知られているのはむしろディズニー映画としての「シンデレラ」でしょう。
「ラプンツェル」や「白雪姫」など、ディズニープリンセスがもはや原作を越えた影響力を子どもたちに及ぼしていることは紛れもない事実であり、無視することはできません。
≫絵本の紹介「ながいかみのラプンツェル」
「ペロー版」「グリム版」「ディズニー版」の相違点は後ほど触れるとして、まずはマーシャさんが再話した絵本の内容を追いましょう。
優しい母親を亡くし、「このうえもなくうぬぼれやでこうまんちきな女」を父親が後妻として迎えたために、継母とその連れ子である2人の姉にいじめられる主人公の少女。
家の中の辛い仕事を一人でさせられ、ぼろを着せられ、灰にまみれた少女を揶揄して、姉は彼女を「シンデレラ」と呼びます。
ある時お城の王子様が舞踏会を開くことになり、招待された二人の姉は舞い上がって髪や服の準備で大騒ぎになります。
気立てのいいシンデレラは、姉のために髪を直し、服装についてアドバイスをします。
けれども、当のシンデレラは舞踏会へ行くことを許されません。
当日、姉を見送った後、自分も華やかな舞踏会に行ってみたいシンデレラはたまらず泣き崩れます。
するとそこに「代母さま」が現れます(信仰上の母親役・保証人)。
この代母さまは「フェアリー」で不思議な力を持っており、シンデレラのためにかぼちゃを馬車に変え、はつかねずみを馬車馬に、どぶねずみを馭者に、とかげを従者に変えます。
そしてシンデレラには素晴らしいドレスを与え、小さいガラスの靴を渡し、彼女を舞踏会へ送り出します。
ただし、この魔法は夜中の12時で解かれること、その前に必ず舞踏会から帰ることを代母さまはシンデレラに注意します。
シンデレラがお城に到着するとそのあまりの美しさに広間は静まり返ります。
王子さまはシンデレラをダンスに誘い、彼女はまた淑やかに美しく踊りました。
シンデレラは自分の二人の姉に話しかけますが、姉たちはまさか彼女が「灰かぶり」だとは気づきません。
12時15分前、シンデレラは約束通り家に帰ります。
そして次の日の舞踏会も、やはりシンデレラは代母さまに頼んで舞踏会へ行かせてもらいますが、今度は王子様と過ごす時間が楽しすぎてつい12時を過ぎてしまい、慌てて走り去りますが、ガラスの靴を片方落としてきてしまいます。
すっかりシンデレラに夢中になった王子さまは舞踏会の後、小さいガラスの靴にぴったりと足が合うひとと結婚する、という御触れを出させました。
王子様のお使いは靴を持って国中を歩きますが、誰の足にもぴったりとは合いません。
やがてお使いはシンデレラの姉のところにもやってきます。
姉たちは何とかして小さい靴に足を押し込もうとしますが無理でした。
傍で見ていたシンデレラは自分にも靴を試させてほしいと申し出ます。
二人の姉は馬鹿にして大笑いしますが、シンデレラが美しい少女であることを見たお使いは、彼女にも靴を履かせます。
するとそれはぴったりと合い、さらにシンデレラはもう一方の靴を取り出して両足に履いて見せたので姉たちは仰天します。
そこへ代母さまが現れ、シンデレラを舞踏会で見たあの美しいお姫様に変えますと、二人の姉はシンデレラの足元に跪き、これまでの仕打ちを謝罪します。
シンデレラは二人を抱き起して何もかも許します。
その後シンデレラは王子様と結婚し、二人の姉もお城に呼んだ上、身分の高い貴族と結婚させてあげるのでした。
★ ★ ★
前述の「あかずきん」はグリム版の方が一般に広く流布していますが、「シンデレラ」に関してはこの絵本のようにペロー版の方が知られているでしょう。
グリム版ではシンデレラを手助けする存在は妖精ではなく鳥であり、靴は金であり、魔法は時間制限なしです。
さらに重要な違いとしては主人公を苛める二人の姉に対する残虐な報復描写があります。
王子様が靴に合う女性を探すシーンでは、姉たちは足の指や踵を切り落としてまで靴を履こうとし、血まみれになります。
しかも最終的にシンデレラと王子様との結婚式で姉たちは鳥に両目を刺し潰されるのです。
あまりにも怖い気がしますが、そうした点からか1950年のディズニー映画では細部は違えど基本的にはペロー版を原作としています。
常に読者である子どもを意識し、最適な手法を模索する絵本職人マーシャ・ブラウンさんですから、おそらくはそういう点も熟慮したうえでペロー版を基盤にすることを選んだのでしょう。
絵本ごとにタッチや技法を変え、二回は同じやり方を取らないブラウンさん。
今作は「三びきのやぎのがらがらどん」に近いペンタッチですが、荒々しさはなく、流麗で細かな表情や装飾の美しさが目を引きます。
≫絵本の紹介「三びきのやぎのがらがらどん」
けばけばしい色彩は用いずとも十分に壮麗で、登場人物はそれぞれの性質をよく表した表情で描かれ、実に生き生きと動いています。
シンデレラの変身シーンは心が躍りますし、ガラスの靴を落とす石段のカットでは、読者の目線移動までも計算されつくして構図が決められています。
この傑作絵本が現在絶版であるのは大変残念なことです。
さて「シンデレラ」と言えば女性のためのサクセスストーリー、「玉の輿」の代名詞的存在ですが、それゆえに近年ではフェミニズム的観点から批判の的となることもしばしばです。
シンデレラは結局「美貌」という「女性の武器」によって王子様に「見染められ」ることで幸せを手にするのであり、そこには美醜で女性を格付けする男性目線や、結婚=幸福という旧式な価値観が盛り込まれている、という指摘は無視できないものです。
しかし注意深く絵本を読めばわかるように、シンデレラの美しさは内面的美徳を象徴したものです。
(ディズニー版は違いますけど)そもそも継母がシンデレラを疎ましく感じるのは、この娘が「あんまりいい子なので、じぶんのむすめたちがいっそういやらしくみえて、がまんできなくなった」からです。
酷い仕打ちを受けてもじっと耐え、相手を恨みもしないどころかその幸せを願う聖女のようなシンデレラの心は、光が闇を照らすように、醜い人間の浅ましい心を白昼の下に曝け出します。
醜い人間は弱いので、そのことに我慢できないのです。
シンデレラの人間的美しさは普遍的なものであり、内面的美しさを外面的美しさと混同さえしなければ「美しい人間が幸せになる」物語を子どもに繰り返し聞かせることは決して有害ではないはずです。
けれども時代は常に変わり、人の価値観も変わり続けるものです。
現代ではこの絵本のシンデレラのような聖女的キャラクターは疎まれるかもしれず、むしろグリム版のような徹底的な「復讐シーン」こそが求められているような気さえします。
時代の流れには逆らえません。
ですが、遠い未来でも「シンデレラ」は例え姿を変えたとしても生き残っているだろうと思います。
何故なら、時代を越えてもやっぱりシンデレラの変身シーンは胸躍るものであり(これは男女問わないと信じています)、ガラスの靴がぴったりと合うラストシーンのカタルシスもまた揺るぎないものだからです。
この核さえ失わなければ、シンデレラの内面性がいかに時代とともに変化させられようとも、物語の面白さは失われないと思います。
逆に言えば「変身に胸が躍る」ことこそ、普遍的な人間の心の動きなのではないだろうか、と私は考えてみるのです。
推奨年齢:6歳〜
読み聞かせ難易度:☆☆☆☆
父親の存在感度:☆
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■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「300冊分の絵本の紹介記事一覧」
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