絵本・ことば・精神

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

寒くなってきましたね。

今年も終わりが見えてきて、そして年が明ければ我が家の息子もいよいよ小学生です。

 

相も変わらず徹夜するし、何だか最近乱暴だし、衝動を抑制できないし、心配事は尽きません。

担任教師はちょっとやりにくいでしょうね。

行ってみないとわかんないけど。

 

私もこれまでは「まあ、小学校に行くまでには色々成長して変わるだろう」と楽観していたのが、どうもそうでもなさそうなところもあって、焦ったり、いや別に問題ないだろうと考えなおしたり、落ち着きません。

初心に帰るつもりで、これまで続けてきた「読み聞かせ」というものをもう一度考えてみたいと思います。

息子と共に6年間、実にたくさんの絵本や児童書を読みました。

 

≫3歳までに絵本を1000冊読み聞かせたら

≫絵本の海を泳ぐように。【4歳までの読み聞かせ育児レポート】

≫読み聞かせ育児・5歳まで

≫絵本の森で6年間。【絵本と育児・6歳まで】

 

けど、息子が生まれた頃に考えていたよりは、これでもまだまだ読んだ本の数や回数は少ないのです。

もっともっと読めたはずなのに……という思いは常にあります。

大人でも集中的な読書経験によってある種の脳内変化が起こることがありますが、大人とは比べ物にならないほどの吸収力を持つ子ども時代に集中的読書を体験することによって、その後の人生に大きな影響を及ぼすことが近年の実例として知られています。

 

≫クシュラの奇跡

≫読み聞かせという英才教育

 

「早教育」は日本でもよく耳にする言葉ですが、その方法は様々です。

気を付けなければならないのは単なる知識の詰め込みや無理な記憶が、場合によっては子どもの健全な成長を阻害しかねないことです。

目指すべきなのは子どもの健康で円満な成長であり、「幸せに、愉快に暮らしていける」能力の涵養です。

現代の受験に偏った教育(幼児教育も大部分はその傾向があります)は、端的に言えば「年収やステータス」が人間的幸福に直結しているという「信仰」が元になっています。

 

絵本を読む、読んでもらうというのは、まったく自然な子どもの欲求です。

子どもの際限なき「もう一回」に寄り添い、子どもが手を伸ばせる位置にいつでもたくさんの絵本を置いておくことで、子どもの依存心を満たし、知的好奇心を刺激し、美的審美眼を育てる。

あらゆる知育教材よりも、絵本は優れて子どもの発達に寄与すると今でも私は確信しています。

 

もちろん保育所にも幼稚園にも行かなかった息子は、集団での作法や世間知という点では、他の子に遅れているでしょう。

しかし、それはこれからでも十分に学べるし、学ぶ時期もこれからの方が良いと思うのです。

 

大量の絵本や図鑑と共に幼児期を送った息子の中には、まだ表面に出てきていない無数の「ことば」がマグマのようにたぎっているはずです。

彼は就学前の幼児にしては相当な語彙力を持ってはいますが、それらは未だ血肉とはならず、単に「知ってるだけ」という語句もたくさんあります。

何かを言おうとする時、息子はよく言い淀みます。

腹の中に言葉は溢れていても「言いたいこと」にぴたりと適応する言葉が見つからないのかもしれません。

それは人生経験の少ない子どもには仕方のないことです。

 

今はまだ「ことば」の「種」を撒いているのです。

どうしてそれほど「ことば」が大事なのでしょう。

 

ヨハネによる福音書の有名な冒頭の一節に、「はじめにロゴスがあった。ロゴスは神とともにあり、神はロゴスであった」とあります。

ロゴス」は汲みつくせないような意味の単語ですが、端的に言えば「ことば」を現わしています。

ここでの「ことば」は単に発話や文字に限定されない、もっと根源的なものです。

 

生まれたての赤ちゃんでも、いや、母親のおなかにいる胎児でさえも、「ことば」を持っており、「ことば」を読もうとします。

字を知らない子どもでも絵本を読みます。

絵に込められた「ことば」を読むのです。

胎児は母親の感情や感覚を「ことば」として読み、母親は胎児の発する「ことば」をメッセージとして受け取ろうとします。

 

言語を学習し、覚えて行く過程で、私たちは「ことば」を「所有している」ように感じますが、見方を変えればそうではない。

「ことば」はもともと万物の中に「核」として備わっており、万物は「ことば」を核として形成されているのです。

唯物論的に考えると理解しにくいんですけどね。

 

その「ことば」の広がりはとても人間の言語などでは捕捉しきれません。

しかしそれでも、人間だけが万物から「ことば」を取り出す能力を与えられているのです。

世界を観察し、感じ取り、それを思考するとき、それは「ことば」を探す行為に他なりません。

 

そのために人間に与えられた能力は感覚器官と思考力だけではありません。

想像力によって、人間は「ことば」を取り出すのです。

 

しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本に、子どもたちに異常なまでに人気のある「ホットケーキを焼くシーン」があります。

「ぽたあん」「どろどろ」「ぴちぴちぴち」「ぷつぷつ」「やけたかな」「まあだまだ」「しゅっ」「ぺたん」「ふくふく」「くんくん」「ぽいっ」「はい できあがり」。

たったこれだけのテキストと、平面的でシンプルな絵で、子どもたちは目の前に実際にホットケーキを顕現させるほどの想像力を発動します。

匂いや熱に至るまで、ありありと思い描きます。

それは子ども自身の力によるところもありますが、絵本の持つ力でもあります。

 

想像力を刺激し、引き出してくれる物語を求め続け、それに出会った時、子どもは何度でも同じ話を繰り返し聞きたがります。

彼らは無意識にでも、「見えないものを見る力」が今後の人生にとってどれほど重要であるかを知っているのです。

 

世界は「ことば」でできている。

人間だけが想像力によって世界から「ことば」を取り出せる。

 

このことをよく考えてみてほしいのです。

 

想像力の衰退は「実際に」世界を荒廃させます。

「ことば」を正しく取り出せないと、そこにある本当の生命に気づくことができません。

すると「実際に」生命は衰微していきます。

 

赤ちゃんを前にしたとき、そこにある奇跡的な生命力や圧倒的な存在感や未来の可能性を感じ取れないとしたらどうでしょう。

ただ見える情報として、「未熟で弱い生き物」としてしか認識できなかったとしたらどうでしょう。

 

けれども、逆も真です。

 

想像力を育てるという行為は、目まぐるしい現代社会の中では迂遠な作業に映るかもしれません。

「そんなことより、現実に生きて行くための能力を」と親たちは切羽詰まった思いで子どもを育てているように思えます。

その気持ちはとてもよくわかりますし、私もしょっちゅう焦りを覚えています。

 

しかし、育児において大切なのは「信じて待つ」態度だと思っています。

子ども自身に内蔵されている豊かな人間的能力と成長力を「信じて」、余計な心配や横やりを入れずに、今するべきサポートをしながらそれらの開花を「待つ」ということです。

 

正直言ってイライラさせられることが多いのも事実ですけど、もう一度腹を据えて、息子を信じて、そして待ってみようと思うのです。

 

 

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

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たまには児童書感想文

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今日から通常営業再開しています。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

お盆休み中はこれといった過ごし方もしてなかったんですが、息子とはずっと一緒に遊んでました。

最近息子のピタゴラ熱が上昇しており、よくピタゴラ装置を作ってます。

私も手伝わされるんですが、あの装置を作るのはなかなかにしんどい作業です。

息子の設計はやっぱりまだ甘いので成功率も低いし。

 

けど、以前と違うのは失敗しても怒らなくなったこと。

むしろ失敗を楽しんでるみたいで、何回でも繰り返してチャレンジしてます(設計を見直すことはしない)。

50回くらい失敗した時に、「作り直したほうがいいんじゃないの」と言うと、

ぼくがピタゴラ装置が好きなのは簡単だからではなく、困難だからだ

 

……こいつ、アポロ計画の時のケネディ大統領の演説をどっかで見たな。

休み中だからといって本はあんまり読んでません。

それでも一般の5歳児の読書量とは比べられないでしょうけど。

 

もうここ一年以上、絵本を「読んで」と言ってくることはなくなりました。

かつて毎日何十冊も読んでたころのことを思い返すと楽になったような寂しいような。

たまには一緒に読みたいですね。

 

読んであげるのはもっぱら児童書ばかりです。

食事の時に少しずつ読んでます(おかげで食べるのの遅いこと)。

 

読了したものを一部紹介しますと、

ジュール・ベルヌの「十五少年漂流記」。

結構難しかったと思うんですが、まあまあ理解しているみたいです。

今でもクライマックスの戦闘シーンだけをリクエストしてくることがあります。

 

ぼくは王さま」シリーズ。

特に、「王さまロボット」に収録されている(新装版だと「ハアト星の花」)「モルト星の石」という短編がお気に入り。

私も大好きでしたが、こういう本格SFも違和感なく盛り込んでいるところが「王さま」の魅力のひとつ。

しかも、SF系短編のほとんどは未解決の部分を残した結末になってて、不思議な読後感。

 

あと、初期のお話「ウソとホントのほうせきばこ」もリピート率高いです。

王さまの話は基本的に途中で切らずに読み切ることになってるんですけど、このエピソードは相当長いんで苦労します。

 

長くつ下のピッピ」(アストリッド・リンドグレーン著・岩波少年文庫・大塚勇三訳)。

海外児童小説はちょっと伝わりにくいユーモアや言い回しがあったりしますが、そういうものにどんどん触れておくと将来一人で読書する時の楽しみが増えると思います。

世界一の怪力、独特のファッション、人を煙に巻くようなお喋り、お金持ちで学校にも行かず、毎日好きなことをして過ごすピッピの痛快なこと。

息子はピッピが「馬を持ち上げる」シーンと料理のシーンで必ず大笑いします。

 

西遊記」は翻訳が違うもので子ども向けのを二作読みました。

ひとつは偕成社から出版されている渡辺仙州訳・佐竹美保絵。

もうひとつはポプラ社の吉本直志郎訳・原ゆたか絵。

 

個人的には後者のほうが訳文・絵ともに好みでした。

というか、音読するとよくわかるんですが、文章力とかテンポの良さとかが段違いです。

偕成社のほうは同じ言い回しが多用されてたり日本語が変だったり、正直読んでて辛かったです。

 

ただ、ポプラ社の方はわりと性的な描写もあるので(オブラートに包んではいますが)、息子から突っ込まれないかドキドキしながら読んでました。

別に聞かれたら答えるけどさ。

 

もっとも息子の方はどちらが好きということもなく、どっちも喜んで読んでました。

西遊記自体が超面白いですからね。

特にユニークな武器の数々がツボだったようです。

 

ルドルフとイッパイアッテナ」シリーズ。

これは現在四作目まで刊行されてます。

私は二作目の「ルドルフともだちひとりだち」までしか知らなかったので、息子のおかげで続編に触れることができました。

やっぱり最初の方が面白いです。

これ、子どもの頃は気づかなかったけど、実は「任侠もの」なんですね。

 

ドロシー・エドワーズの名作「きかんぼのちいちゃいいもうと」シリーズ。

福音館書店から出版されている作品は訳が渡辺茂男さん、挿し絵が酒井駒子さんということで、絵本好きなら親しみやすいでしょう。

とにかく名文。

作者は子どもの普遍的な心情というものを知悉しており、深い愛情を持って彼らが喜ぶであろう物語を構築します。

私が一番好きなのは最初の「おさかなとり」で、全然泣くような話じゃないのに、何故かラストで涙ぐんでしまいます。

それは「よくぞこんなところを掬い取ってくれた」という作者への感動かもしれません。

言うまでもありませんが、酒井さんのイラストは最高です。

 

斎藤淳夫さんの「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」。

私が子どもの時はアニメから入った作品です。

アニメも原作も傑作です。

 

実はこの作品で息子は初めて物語を聞いて涙を見せました。

ラストシーン、潮路さんが死んでしまうところです。

これまでは感動する話を読んでもゲラゲラ笑ってたり、いまいち感情の掴めない子だったんですが、成長したなあと感慨ひとしおでした。

 

ただ、本人は悲しくなる話は読んで欲しくないそう。

それも普通ですけどね。

幼い子どもは単純なハッピーエンドを求めるものです。

 

物語なら涙ぐむくらいですむけど、休み中に「となりのトトロ」を見せたら、サツキとメイが喧嘩して大泣きするシーンで息子が泣きながら「消して!」と叫んで怒り出してしまいました。

泣くシーンは絶対ダメだそうです。

 

息子の情緒はまだまだ成長途上です。

 

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

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絵本における性差について(の本に対するツッコミ)

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

絵本に関する本なら何でも読む私ですが、この前、とあるグループが発行した「絵本にみる性差別」という小冊子を手に取りました。

いわゆる女性問題を考えるグループですが、小冊子自体わりと古いものだったので、今でもそのグループが活動しているのかどうかは知りません。

 

この冊子では、幼児向き人気絵本から120冊ほどを選んで、「調査結果」を報告するという内容になっています。

「性差」の観点から絵本を読むというのは興味深いことですが、正直なところ、読んでいてだんだん気が滅入ってきました。

 

絵本の主人公に女性が少ないという問題は大いに考える価値がありますが(ほんとにそうかどうかは120冊程度の統計では結論が出せないところですが)、問題提起のほとんどは、

女性ばかりが育児に関わっている

男の子はズボン、女の子はスカートを履いている

男の子は自動車のおもちゃを持っているのに、女の子はぬいぐるみを持っている

とかいう「性差における作者の固定観念」の指摘が主でした。

幼いころに与えられるそうした「刷り込み」が、子どもに「性差別」の意識を植え付けるのだそうです。

 

しかし、別にフェミニストの方を敵に回す気はないのですが、控えめに言って、この筆者の指摘には「?」がたくさん浮かびました。

 

例えば「11ぴきのねこ」において、11ぴきがオスであるかどうかは不明なのですが、筆者はこれを「オスばかりのようである」と判断しています。

男が狩りに行く時には、女は足手まといになるのであろう」とも。

あのう、それってまさに筆者の「男女観」を当てはめているんじゃ……。

 

また「ぐりとぐら」も男の子ですが(これは一応、「ぼく」という一人称なので順当な見方)、料理をしたり帽子に花をさしたりしているところは良い(?)として、作る料理がカステラという手間のかかるものであることは、料理においても男の方が才能や天分があるような過大評価がなされることから来ている、というのです。

なんかもう、こじつけ以上のなにものでもない気がしますが。

 

いたずらきかんしゃちゅうちゅう」は、主人公の機関車が女の子で行動的という点は評価(?)しつつ、燃料切れで助けてもらうというストーリーは「女が一人で行動しようとしても結局うまくいかないのだ」という押さえ込みなのだと解釈されます。

 

スイミー」は「受験競争やサラリーマン社会での出世競争に勝ち抜いて欲しいという母親・妻の願い」の物語であり(なんでそうなるのかの理路は不明)、「のろまなローラー」が結果的にみんなに感謝され、尊敬されるのは「ローラーが男であるから」だと結論づけられます。

 

何というか、よくもまあここまで絵本をつまらなく読めるものだと感心さえしました。

そういう趣旨の企画なのだから仕方ないのかもしれませんが、こういう「検閲」的目線で絵本について語られ続けると、絵本好きとしてはゲッソリしてしまいます。

とらっくとらっくとらっく」に至っては、おじさんの喫煙シーンを「教育上好ましくない」という、もはや性差と何の関係もない批難までなされています。

 

この筆者は、「男の子がスカートを履いて人形遊びをし、女の子がズボンを履いてサッカーをし、父親は家で家事をこなし、母親が外で働く」という絵本を「良い絵本」とするのでしょうか。

それって、筆者らの言う「男優女劣」の価値観はそのままに、男女を反転させただけの世界だと思うのですが。

 

それは結局のところ「性差」にこだわり過ぎる「不自由な精神」の表れだと思います。

 

我が家は一人息子ですが、私は「男らしく」とか「男なんだから」という言葉を使うことはありません。

息子は初めから乗り物絵本が好きでしたし、そういう玩具を選びましたが、ぬいぐるみ遊びもするし、ままごとも好きです。

何度も書いてきたことですが、私は息子に何も強制しないし(歯磨き以外は)、息子がやりたがることは可能な限りやらせてあげます。

「内的に自由」な人間に成長して欲しい。

それが私が息子に望むことだからです。

そして「内的に自由」な人間は、差別や偏見とは最も遠いところにいます。

 

私は別に絵本作家が無謬であるとは思いません。

どんなに優れた作家であっても、時代や環境から完全に自由というわけではないでしょう。

ですが、名作と呼ばれる絵本には、必ずどこかに美しい真実が描かれています。

 

それを見い出し、掬い取るためには、真実を感じ取れる自由な目が必要です。

すべての子どもは生まれながらにその素質を持っています。

その素質を伸ばしてやるためには、我々大人が横合いから無粋な口出しをしないことです。

「こういう絵本を読みなさい」と手を回すことは、「男らしさ・女らしさ」の押しつけと精神的には似通っています。

 

やがて子どもが自ら読みたい絵本を選べるようになるまでは、できるだけ多くの、偏らないジャンルの絵本を用意してあげたほうがいいと思います。

「性差と無関係」だからという理由で「はらぺこあおむし」とか「ごろごろにゃーん」ばかりを読み聞かせるのは、それはそれで歪です。

もちろん、どちらも素晴らしい絵本ですけどね。

 

最近はカメラの仕組みに関する本がお気に入りの息子。

 

関連記事≫絵本をどう選ぶか。そして、どう読んであげるか。

≫絵本の紹介「11ぴきのねこ」

≫絵本の紹介「ぐりとぐら」

≫絵本の紹介「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」

≫絵本の紹介「スイミー」

≫絵本の紹介「のろまなローラー」

≫絵本の紹介「とらっくとらっくとらっく」

≫絵本の紹介「はらぺこあおむし」

≫絵本の紹介「ごろごろにゃーん」

 

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「100冊分の絵本の紹介記事一覧

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子どもの読書習慣のために

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

ネットショップとかやってる割に、私は機械オンチです。

いまだにガラケーユーザーですし。

いくら説明されても、よくわからないんですね。

 

しかし、子どもの電子機械に対する興味と学習能力は凄いものです。

うちの息子(3)は、以前から妻のスマホをオモチャにしていたんですが、教えてもないのに自分で写真を取って加工までするようになってます。

下は息子の撮った写真。

最近の子どもは、小学校に上がる前からスマホやPCを扱うことも珍しくないんですかね。

 

でも、絵本屋の立場としては、やっぱり子どもにはそういうものにあまり近づいてほしくはないんです。

 

やはり、電子機器の映像は、赤ちゃんには刺激が強すぎます。

情報量も多すぎるし。

 

以前にも書いたかもしれませんが、子どもの五感の健全な発達を考えれば、静かな部屋で、抱っこして、絵本を読み聞かせる以上の仕事を、電子機器が代わってくれるとは思えません。

それに、子どもに動画を見せ過ぎることへの不安は他にもあります。

 

それは子どもの「読書離れ」です。

これは別に、私が本好きだから(それもあるけど)言ってるわけじゃありません。

 

動画というのは、受動的です。

読書と比べれば、想像力を働かせる余地が少ないのです。

 

また、読書ならば自分のペースで読み進め、前に戻ったり、じっと思索にふけったりすることもできますが、動画では基本そうはいかないでしょう。

 

前回の記事で触れた、「子どもの主体的な学び」という観点からすれば、動画の見せ過ぎは子どもの知的探究心を阻害しかねません。

≫読み聞かせと「子どもの学び」について

 

古臭い考えに聞こえるかもしれませんが、読書習慣と知的探究心は密接な関わりを持っていると思うのです。

 

そういうわけで、うちでは息子が2歳になるまでは、TVやPC画面はほぼ見せませんでした。

 

しかし、現代社会で生きる上で、PCやネットから完全に縁を切ることは難しい、というかほぼ不可能でしょう。

それに、あまり親が禁止し過ぎると、かえってそれに対する興味が大きくなるでしょうから、時間制限を設けた上で遊ばせるというのが現実的な方法でしょう(それが難しいのかな)。

重要なことは、インターネットなどの環境から子どもを「切り離す」ことではなく、子どもが自分でそれらを「コントロールできる」ような成長の仕方をすることです。

 

コントロールというのは「使いこなす」ことではなく、依存したり振り回されたりしないことです。

 

現状では、多くの大人もそれをできていないわけですから、まずは大人がしっかりしないことには、子どもにどうこう言える話じゃないでしょうね。

 

けれども、幼いころに、たくさんの幸せで楽しい読み聞かせ体験をした子どもは、大きくなってからも読書の楽しさを忘れないはずだと、私は信じています。

 

そういう子どもは、たとえ一時は電子ゲームやTVに興味を奪われたとしても、いずれは本に戻ってくるでしょう。

自分の知的探究心を満たしてくれるものはそこにあることを、その経験から知っているからです。

 

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読み聞かせと「子どもの学び」について

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

相変わらず、毎日絵本を読み聞かせています。

ですが、最近、少し頻度が下がっています。

ひとりでお気に入りの絵本を見ていることはあっても、「読んで」とリクエストしてくることが少なくなったようです。

 

以前は「数打ちゃ当たる」方式で、大量に絵本を仕入れていたんですが、現在はある程絞り込んで選んでいます。

しかし、子どもの興味や好みは日々変化していきます。

その変化に、こちらがついて行けていないことが、安打率の低下原因かもしれません。

 

またそろそろ、一気に100冊くらい絵本棚に投入するべきか、検討中です。

さて、よく疑問に思われるのが、「どうしてそこまで読み聞かせを頑張るの?」ということです。

読み聞かせが子どもの発達に良い影響を与えることは、すでに科学的根拠もしっかりと示されており、色んな所で紹介されています。

 

でも、だからって、1000冊も2000冊も用意して、1万回も2万回も繰り返して読め、なんてことはあまり言われていません(当たり前かもしれませんが)。

 

それは単に「子どもの健全な発達」という普遍的な親の願いを超えて、「早教育」の領域に踏み込んでいると言えるかもしれません。

事実、そうなのでしょう。

 

しかし、私も妻も、息子を有名大学に入れたいとか、エリートコースを歩ませたいとか、そういうことは考えていません。

 

別に、そういう目的を持って読み聞かせを始めたって、それはその人の自由だし、構わないと思います。

 

ですが、「この子を進学校に」「東大に」「有名企業に」などという親の希望は、たいていその後に、「そして将来、私たちの老後の面倒を見て欲しい」とか、「周囲に自慢したい」とかいう「自分の欲求」が潜んでいるものです。

ま、気持ちはわかりますけど、子どもはそういう親の心の裏側まで、意識的にではなくとも、ちゃんと見抜いているものです。

それが子どもの「健全な発達」に良い影響を与えるとは、私は思いません。

 

子どもは自分自身の生を生きようと望んでいます。

本来、すべての子どもがそうです。

自己中心的であることは、守られるべき子どもの特権です。

 

だから、子どもは親の「説教」や「強制」や「世間体を気にする態度」が大嫌いです。

本能のレベルで、そうしたものに反発します。

 

一見正しいことを言っているような親の言葉の奥に、「自分の生をコントロールしようとする念」を、極めて敏感に察知するからです。

 

よって、「この子を東大に」といったような目標を持って読み聞かせを熱心に頑張ったとしても、その動機が上に述べたようなものであれば、おそらくその試みは失敗するでしょう。

 

失敗、というのは「東大に入れない」ことではありません。

「子どもの健全な発達」という「本来の目的」が失敗するということです。

 

勉強しなさい」と何度言おうが逆効果であることは、健全な子どもの反応なのです。

むしろ、唯々諾々と親に従う子どもの方が危険です。

 

自分自身の生を生きられなかった人間は、必ずどこかに歪みを抱えることになります。

それがどんな形で破綻するにせよ、それともその歪みを抱えたまま人生を終えるにしろ、自由でも幸福でもないことは確かです。

 

だからって、親に反発し続けて、まったく勉強を放棄すれば幸せになれるかと言うと、その可能性は低いでしょう。

 

大切なのは子どもが「主体的に」学習することです。

 

親が強制しなくたって、自然な形で知的探求心を満たしてやれば、子どもは自らどんどん学ぼうとします。

子どもは大人よりはるかに「知」に対して貪欲です。

 

「読み聞かせ」は、そうした「主体的」「能動的」学習のための土台であると思っています。

 

その具体的方法については、また次の機会に。

 

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