【絵本の紹介】「さかなはさかな」【334冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

絵本界を代表する哲学者、レオ・レオニさん。

ラブリーな絵柄、鮮やかな色彩、そして深いメッセージの込められた現代的寓話。

大人が読んでも考えさせられる絵本作品の数々。

 

レオニさんの作品に共通するテーマは「自分とは何か」です。

哲学・宗教・あらゆる思想において最も重要で最も難しいのが「己を知る」ことです。

 

今回はレオニさんならではの視線が心地よい良作「さかなはさかな」を紹介します。

作・絵:レオ・レオニ

訳:谷川俊太郎

出版社:好学社

発行日:1975年

 

副題は「かえるのまねしたさかなのはなし」。

今作ではレオニさん得意のコラージュ手法ではなく、色鉛筆画が用いられています。

しかし、目に楽しい鮮やかな色使いは変わりません。

 

仲良しの「おたまじゃくし」と「こざかな」。

森の池で一緒に泳いでいた彼らでしたが、ある日おたまじゃくしには足が生えます。

自分がかえるになろうとしていることを誇らしく思うおたまじゃくし。

けど、さかなは納得できません。

かえるは かえる、さかなは さかな そういう ことさ!」とおたまじゃくし。

やがて本物のかえるに成長して岸へ上がって行ってしまいます。

 

だいぶしばらくしてから、かえるは池に帰ってきます。

世の中を見てきたかえるに話を聞き、さかなは池の外の世界へ思いを巡らせます。

鳥や牛や人間の存在を聞くと、さかなは魚に翼や角や手足が生えたような生き物を想像するのでした。

この一連のシーンは「スイミー」が海の中を泳ぎ回る場面と同じく、美しく楽しいものです。

ただ、スイミーは現実を見ているのに対し、さかなが見ているのはあくまでも自分の理解可能な領域に現実を落とし込んだ想像です。

 

再びかえるが行ってしまった後、さかなはとうとう決心して、世の中を見に水から飛び出します。

陸に上がったさかなは息をすることも動くこともできす、弱々しく助けを求めます。

運よくかえるがさかなを見つけ、池の中に戻してくれます。

 

この せかいこそ、たしかに どんな せかいよりも うつくしい せかいだった」ことに気づいたさかなは、かえるに微笑みかけます。

きみの いったとおりだよ

さかなは さかなさ

 

★      ★      ★

 

この結末をどう感じますか?

どこか素直に感動できない、「これでいいの?」という疑問が残る……もしそうなら、それは我々があまりに現代的価値観に囚われているからです。

 

それは「実現不可能に思えるようなスケールの夢」を抱くことが「よいこと」だという価値観です。

巷には「どんな夢も信じて努力すれば叶う」という物語が溢れています。

 

もし、この絵本が現代的価値観に染まった凡庸な作家によって描かれたとすれば、最後にはさかなは陸上で生活する能力を手に入れ、かえるとともに楽しく暮らす……という実につまらないラストに辿り着くことでしょう。

 

けど、そんなふうに「実現不可能な夢」を推奨するような物語ばかりを子どもに与えることによる弊害について、私たちはあまりにも無自覚ではないでしょうか。

 

私自身は「強く願えば夢は叶う」ことを信じています。

しかし「強く願う」の部分は、実は相当難しい条件だと思うのです。

「強く願う」とは単なる夢想ではなく、常に明るい知性と想像力を保ち続け、現実的な観察を怠らず、自分についてどこまでも客観的な判断が下すことができ、その上で現在やるべきことを的確に見極めるという能力です。

 

そんなことのできる人間は控えめに言っても非常に少ないでしょう。

「将来の夢」に「サッカー選手」(今だとユーチューバーとかになるのかな)と書いた子どものうち、ほぼすべては夢破れます。

それが悪いとは思いません。

問題は、本気で「なれる」と思っていた子どもたちが、その後の人生において正確な自己評価を持てるようになるかどうかです。

 

ほとんどの人間は、自分自身に正確な評価を下せません。

我々は基本的に「身の程知らず」なのです。

 

かえるに成長変化するおたまじゃくしを妬み、嫉み、自分の浅薄な知識で世界を理解した気になり、自分にだって同じことができるはずだと思い込む。

私たちはこのさかなを笑えるでしょうか。

 

「己を知る」ことができない限り、我々は自分の本当の欲求をも知ることができません。

生涯他人の欲望を模倣し、常に不充足感に悩まされ続けます。

 

さかなは さかなさ」と悟ることのできたさかなは、もうかえるを妬む必要がなくなったのです。

彼は友だちと自分の違いを涼しく認め、友だちの価値を認め、自分の価値を認めることに成功したのです。

「精神的に自由になる」とは、本来そういうことなのです。

 

関連記事≫絵本の紹介「スイミー」

≫絵本の紹介「シオドアとものいうきのこ」

≫絵本の紹介「フレデリック」

≫「みんなのレオ・レオーニ展」に行ってきました。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

水草のバリエーションの隠れた楽しさ度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「さかなはさかな

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【絵本の紹介】「たまご」【321冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

無限の解釈可能性を内包した絵本というものは数多くあります。

余分な表現を削っていく作業の末に、そうした作品が生まれます。

 

無意味なカット、冗長なテキストを切り捨てた末に、文そのものを失くし、物語の核だけを残した絵本。

それが今回紹介するガブリエル・バンサンさんの「たまご」(L’OEUF)です。

作・絵:ガブリエル・バンサン

出版社:ブックローン出版

発行日:1986年10月20日

 

前述した通り、この作品にはテキストが存在しません。

絵を読むことによってのみ物語に入っていくことができます。

 

同作者による同じ形式の絵本「アンジュール ある犬の物語」を以前に取り上げました。

 

≫絵本の紹介「アンジュール ある犬の物語」

 

あちらは鉛筆画、この「たまご」は木炭画という違いはありますが、どちらもテキストが無く、色が無く、そして音すら消し去ってしまったような絵本です。

そして、一応ストーリーが明確だった「アンジュール」に比べ、「たまご」は非常に謎に包まれた物語になっており、「難しい絵」が連続します。

注意深く読まなければ、そして注意深く読んでいるつもりでも、展開について行けなくなります。

 

海辺、あるいは砂漠、あるいは荒野のような広大な地に、ひとつの巨大なたまご。

一人の人間が発見し、たくさんの人を呼んできます。

やがてたまごを取り囲むようにビルや建物が建設され、たまごの外郭には階段やスロープが取り付けられ、頂上には旗がひるがえり、ロープウェーが開通し、まるでテーマパークのような賑わいを見せます。

が、嵐がやってきて、人間が作ったものはすべて破壊されます。

その後、巨大な猛禽が飛来し、人々は逃げ惑います。

巨鳥はたまごの親らしく、たまごを温めるような素振りを見せますが、やがて飛び去って行きます。

たまごは孵化し、雛が這い出してきます。

 

人間は戦車隊を出動させ、この雛を撃ち殺してしまいます。

恐れ、不安、罪悪感……様々に読み取れる虚ろな表情をした群衆。

死んだ雛は車で引きずられ、巨大な十字架に磔にされます。

 

そこへあの巨鳥が、今度は何羽も飛んできます。

巨鳥の群れは人間を襲うでもなく、それぞれたまごを産み落とし、人間に(そして読者に)意味深な鋭い眼差しを向けると、飛び去って行きます。

後にはいくつもの巨大なたまごだけが残ります。

 

★      ★      ★

 

モノクロの木炭画、そして意図された静寂。

どこか不安な気持ちを煽るような、不可解な物語です。

 

中盤まではまあ、わりとよくあるパターンとして読めるのですが、雛が孵ったところからラストシーンにかけては、こちらの予想を超えた展開が広がります。

 

たまごに群がる愚かな群衆、そして自然の代表たる巨鳥。

いわゆる「自然対人類」「高度文明社への警鐘」の物語として読んでいると、ラストで首をひねらざるを得なくなります。

 

何故なら、「愚かな人間ども」に対し、巨鳥は何も手出しをしないからです。

雛を殺された復讐をするわけでもなく、ただ本能に従って次々にたまごを産む巨鳥。

そのたまごからまた雛が孵ったら、今度は人々はどうするのでしょうか。

最後の巨鳥の鋭い視線には、試すような光も見えます。

 

何よりも違和感を覚えるのは、撃ち殺した雛を「磔刑」にするシーンです。

雛を恐怖心から射殺したとしても、わざわざ巨大な十字架まで用意して磔にする必然性が理解できません。

明らかに作者は何らかのメッセージを込めてこのカットを描いています。

 

我々日本人には少々馴染みが薄いとは言え、「磔刑」から連想されるものと言えば「ゴルゴダの丘」における聖人の磔です。

「供犠」の概念です。

 

これは本当に私の個人的な解釈ですが、「たまご」とは未来の人類意識の萌芽ではないかと思います。

私たちは現在の自分の思考方法の正しさを信じて疑いません。

しかし、ごく短い歴史を繙いてもすぐわかるように、時代が変われば考え方も常識も、何もかもが変化します。

 

まだ理解できない崇高な思想や科学を前にしたとき、人間は「たまご」の外郭のみを見て、未知なるものを自分たちにも理解の及ぶ「俗」のレベルに引きずり降ろそうとします。

「たまご」から「孵化したもの」は、それらの「現在の段階に留まろうとする」人々によって犠牲になります。

しかし、好む好まざるに係わらず、「磔」にされたものを見上げる人々の意識の中には、必ず何かが流れ込むのです。

「孵化したもの」は、いわばそのために供犠として捧げられるのです。

 

次々と生まれ、成長する前に死んでいく「雛」たちに、私たちは何を思うのでしょうか。

 

推奨年齢:5歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆☆(テキストなし)

解釈が分かれる度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「わたしいややねん」【312冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は障害というもの、そしてそれに関わること、私たちの社会の在り方について強烈なメッセージを投げかける絵本を紹介します。

わたしいややねん」です。

作:吉村敬子

絵:松下香住

出版社:偕成社

発行日:1980年10月

 

作者の吉村さんは幼い頃脳性小児まひと診断され、手足に障害を抱え、以後車いす生活をされている方です。

実際の自分の経験や思いを絵本とした作品ですが、「だからどう」という話ではなく、単純に一冊の絵本として非常にインパクトがあり、その実験的とも言える構成には唸らされます。

 

縦21横15程度の小さな絵本。

モノクロで精密に描かれた車いすの絵。

そしてストレートに心情を大阪弁で独白するシンプルなテキスト。

それらが組み合わさり、まるで車いすが語っているような印象を受けます。

 

わたし でかけるのん いややねん

みんな じろじろ見るから いややねん

わたし 宇宙人と ちがうでェ

くさいうんこも きいろいおしっこも でるでェ

なんで 見なあかんのん

先生が いわはった 「強い心を もちなさい 強くなりなさい」って

なにたべたら 強なれんねんやろ

徐々にアップになって迫ってくる車いすに押し潰されそうな気がします。

そしてそれは作者の叫びに押し潰されそうになるということでもあります。

 

そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろ―――か

 

★      ★      ★

 

私の息子は重度の近視で弱視の治療中であり、私自身は若い頃に患った突発性難聴によって左耳の聴力をほとんど失いました。

私たちはいわゆる障害者とは認定されていませんし、自分でも自分を障害者とは思っていません。

しかし、ほとんどの人が身体的・精神的に何らかの不自由があることは普通であり、大なり小なり他者の助けを借りて生活することは、さほど特殊な事情ではありません。

 

けれども、法律上は健常者と障害者の間にはラインが存在し、それは必要なことではありますが、同時に私たちの意識に入り込み、互いを分断します。

 

息子と出かけて、車いすの方が近くにいたりすると、息子は興味津々で近づいて行き、「車いすだ!」と大声で叫んだりします。

そんな時どう振る舞えばいいか迷ってしまうのは、私が精神的に未熟で不自由であるからです。

相手に失礼なような気もするし、制止すると息子に偏見を持たせてしまうかもしれないし……などと葛藤があるのは、結局のところ私が車いすの方を変に意識しているからです。

心の底から自由な人間なら、いちいちマニュアルを求めず、その時その時に適した振る舞いができると思うのです。

 

作者の吉村さんがあとがきで願っている「すべての人が、なんでもなく、ふつうに、快適なくらしができるような社会」を実現するためには、私たちひとりひとりが精神的に成長し、自由に解き放たれなければなりません。

人間がひとりひとり違うことを当たり前に受け止め、すべての人に敬意を持って接することができなければなりません。

その点において、日本はまだまだ均質的な価値観に支配されており、精神的に未熟だと感じます。

 

そして同時に、障害者が生活する上での物理的・精神的な支障を取り除くバリアフリー化などの対策も当然必要です。

個人的な意識と社会的な制度。

この二つを並行して考える必要があります。

 

そうでないと、「人間は平等であるべきと言いながら、障害者だけが優遇されているのはおかしい」などというグロテスクな思想が生まれてしまいます。

 

この絵本の絵を担当した松下さんは、吉村さんのサークル仲間であり、車いすを押して歩く友人だそうです。

絵がテキストと融合して雄弁に物語り、作品を見事に成功させていることを見れば、二人の関係がどういうものかはこちらに伝わってきます。

 

40年近く前の絵本になりますが、彼女たちの叫びは今の社会に届いていると言えるでしょうか。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

直球で響く度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「おにたのぼうし」【301冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は節分に読みたい一冊を持ってきました。

小学校の国語の授業で取り上げられることもある作品なので、一度は読んだ方も多いでしょう。

おにたのぼうし」です。

作:あまんきみこ

絵:いわさきちひろ

出版社:ポプラ社

発行日:1969年7月

 

この作品に限らず、あまんきみこさんと言えば国語の教科書を思い出してしまう私。

その上品で抒情的な美しい文章は、児童文学の理想形とも言えます。

いわさきちひろさんの透き通るような淡い水彩画が、あまんさんの心地よい鈴の音のような文章と非常に良く合います。

 

≫生誕100年「いわさきちひろ、絵描きです。」に行ってきました。

 

この「おにたのぼうし」が何年生の教科書に出てくるのかは忘れてしまいましたが、大人になって読み返してみると、これはかなりディープな内容です。

果たしてこれを小学校の授業で読み切れるのか。

指導する先生に相当な技量が求められる気がします。

 

あまんさんのテキストを丸々引用したいところですが、簡単にあらすじを追います。

おにた」は「まことくん」の家の物置小屋の天井に住んでいる小さな「くろおに」の子ども。

 

おにたは優しい鬼で、陰でまことくん一家にささやかな良いことをしているのです。

が、まことくんはおにたの存在に気づいていません。

恥ずかしがりのおにたは決して人前に姿を現さないからです。

 

さて、節分の夜、まことくんは豆まきを始めます。

ふくはー うち。おにはー そと

 

おにたは小屋にいることができなくなって、「ふるい むぎわらぼうし」をかぶって角を隠し、出て行きます。

鬼は悪いものと決めてかかる人間に疑問を抱きながら。

 

粉雪の降る中、おにたは入れそうな家を探して彷徨いますが、どこの家も鬼除けのヒイラギを飾っていて入れません。

しかしやがてヒイラギもないし豆の匂いもしない一軒の家を見つけます。

女の子が出てきて雪をすくっている隙に、おにたはこっそり入り込みます。

女の子は病気の母親の看病をしているのでした。

 

何も食べていないであろう娘を案じる母親に、女の子は健気に嘘をつきます。

知らない男の子が、節分で余ったごちそうを持ってきてくれたのだと。

 

何もない台所を覗いたおにたは、「あのちび、なにも たべちゃいないんだ」と悟ります。

じっとしていられなくなったおにたは外へ飛び出し、どこで手に入れたのか、女の子のついた嘘を踏襲する形で、ごちそうを持って戻ってきます。

初めて人間の前に姿を現すのです。

女の子は驚きながらも喜んでくれます。

 

しかし、心が通じ合えたと思ったのは束の間。

女の子は「あたしも まめまき、したいなあ」と呟いておにたを驚愕させます。

 

だって、おにが くれば、きっと おかあさんの びょうきが わるくなるわ

おにたは深い哀しみと寂しさに打ち震え、「こおりが とけたように」いなくなってしまいます。

後に残ったのは麦わら帽子だけ。

不思議に思った女の子が帽子を持ち上げてみると、まだ温かい黒い豆が入っています。

 

女の子はその豆で豆まきを始めます。

さっきの こは、きっと かみさまだわ」と考えながら。

 

★      ★      ★

 

おにたの最後を巡っては、色々と解釈が分かれているようです。

死んだのか、姿を消したのか、あの黒い豆はおにた自身なのか、違うのか……など。

単に「おにたが 可哀そう」で終わってしまっては教材としての意味はありません。

この切ない絵本には何が描かれているのでしょうか。

 

この物語には、悪人が登場しません。

まことくんも、女の子も、女の子の母親も、決して悪くは描かれていません。

それどころか、女の子は非常に健気で母親想いであり、母親もまた自分が病気でありながら娘のことを心配する優しい人間です。

 

「善意の人」が「善意の人」を深く傷つけるという、何ともやりきれないお話なのです。

 

おにたは人前に姿を見せることさえはばかりながら、社会の隅で暮らすマイノリティです。

ここには社会的弱者に対する差別と偏見が描かれているのです。

おにたが「黒」鬼であることはおそらく意図的でしょう。

 

差別とは不自由な人間観が生み出す最悪の害悪です。

そうした差別を撲滅しようと世界中で運動が広がっていますが、わかりやすい目に見える形での差別や偏見ばかりがあるわけではないことを、作者はそっと示しています。

 

「無知であること」「想像力が不足していること」は、もちろんその人間だけに責任を問えることではありません。

けれどもそうした人間的未熟さが、時に人を致命的に損なうことがあるのだとして、我々はそれをいかにして回避すべきなのでしょう。

 

この女の子は悪くないのだ、おにたが堂々と鬼であることを隠さずに姿を見せれば、きっと女の子はわかってくれたはずだ、という意見は、まさに「他者に対する想像力の欠如」からくるマジョリティ立場からの暴力的見解です。

 

差別され、傷つけられ、虐げられてきた弱者に「こう振る舞え」と要求することがどういうことなのか、それを考えようともしない態度こそが「善意の人」が陥りやすい危険です。

 

昨今、差別問題はさらに複雑化し、重大化しつつあるように思えます。

差別する人とされる人、という単純な形式で語れなくなってきているのです。

 

たとえ迂遠な手段に見えたとしても、子どものうちから本質を見極める自由な精神を育む以外に、この地獄を変える手立てはないと私は思うのです。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

よく考えたら節分に読んだら豆まきしにくくなる度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「おにたのぼうし

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【絵本の紹介】「戦火のなかの子どもたち」【292冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

前回、いわさきちひろさんの展覧会のレビューを書きました。

≫【いわさきちひろ特別展】「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」に行ってきました。

 

そこで今回はいわさきさんが最後に完成させた作品「戦火のなかの子どもたち」を紹介したいと思います。

作・絵:岩崎ちひろ

出版社:岩崎書店

発行日:1973年9月10日

 

「子どもの幸せと平和」を願い続けたいわさきさん。

これはベトナム戦争の末期に描かれた絵本です。

 

きょねんもおととしも そのまえのとしも ベトナムの子どもの頭のうえに ばくだんはかぎりなくふった

 

あたしたちの一生は ずーっと せんそうのなかだけだった

 

自身も少女時代を太平洋戦争の中で過ごし、広島の原爆の絵本を描く丸木位里・俊夫婦とも交流が深かったいわさきさんは、ベトナムで行われている戦争を、他人事とは思えなかったのでしょう。

テキストは断片的で、ほとんど極限まで削られており、同時に鉛筆と墨で一見ラフに描かれた絵も、必要なもの以外は画面から省かれ、その文余白が大きく用いられています。

母さんといっしょに もえていった ちいさなぼうや

あつい日。ひとり

雨がつめたくないかしら。おなかも すいてきたでしょうに

風? かあさん?

残酷な描写はなく、悲惨さを強調することもなく、ことさらに同情を引こうとする気配もありません。

ただ、ここに描かれた子どもたちの姿は、読者ひとりひとりの胸の中にそっと入り込み、内側から私たちを見つめ続けるのです。

 

★      ★      ★

 

展覧会を見て気づくのは、いわさきさんの絵の変遷・進化です。

初期のはっきりしたデッサン画や油絵から、だんだんと淡い水彩画にシフトして、最終的には輪郭線すら消えてしまいます。

 

いわば「形のあるもの」から始まり、「形のないもの」に辿り着くのです。

色彩の滲みや掠れそのものが表現方法となり、彼女の絵の印象は「水」のように形を無くしていきます。

ぼうっと霞むような黒目がちな子どもたちは、心魂のみの存在のようです。

 

その印象はこの「戦火のなかの子どもたち」の前に仕上げられた至光社の「ぽちのきたうみ」で特に顕著で、いわさきさんの絵のひとつの到達点とも言えるでしょう。

 

しかし、今回においては、いわさきさんはその手法を採りませんでした。

墨と鉛筆で描かれた子どもたちには、彼女の絵にしては珍しく白目があります。

 

私の勝手な想像ですが、あまりにも高みに上った作者の心魂的表現では、戦争の身体的リアルが伝わらないことを懸念したのではないでしょうか。

 

すでに体調を崩されていたいわさきさんは、最後の力を振り絞るようにしてこの作品を完成させた1年後に他界します。

 

ベトナム戦争が終わっても、世界中で戦争は無くなりません。

いわさきさんの願いはいまだに叶えられていません。

 

それらは一つ残らず私たち大人が起こした戦争です。

子どもは何も悪くありません。

 

どうして私たちは戦争を止めることができないのでしょう。

どうして武器を作り続けるのでしょう。

どうして他国と手を取り合えないのでしょう。

 

その問いに、私たちはこの絵本の子どもたちの目を正面から見つめて、ごまかさずに答えることができるでしょうか。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

平和への祈り度:☆☆☆☆☆

 

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