【絵本の紹介】「コーネリアス」【450冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は久しぶりにレオ・レオニさんの絵本を紹介しましょう。

コーネリアス」です。

作・絵:レオ・レオニ

訳:谷川俊太郎

出版社:好学社

発行日:1983年

 

副題は「たってあるいたわにのはなし」。

毎回可愛らしいキャラクターを主人公にしながらメッセージ性の強い寓話的作品を描くレオニさん。

主人公は小さなねずみであることが多いのですが、今回はワニです。

 

コラージュで造形されたワニの手足はいかにもくるくると動きそう。

無駄のないテキストはいつものレオニさんですが、今回の導入部は特に削られており、「たまごがかえると、ちいさなわにのこどもたちが かわぎしにはいだしてきた」と、いきなり始まります。

思わず最初のページを飛ばしたか、扉にテキストがあったかと戻って見直してしまいました。

 

そしてテキスト同様、絵の方も最初からコーネリアスは卵から立って出てきます。

徐々に立ち上がるとか、練習するとか、そういうのではなく、問答無用で立って歩くのです。

この超然たる佇まい。

しかしながらこの変わり者を、わにの仲間たちはあまり快く思っていない様子。

コーネリアスは立って歩くことで見える景色の違いを教えるのですが、仲間たちは何の興味も示さず、むしろ迷惑そう。

 

コーネリアスは腹を立てて群れから出ていきます。

途中、さるに出会います。

コーネリアスが自分が立って歩けることを自慢すると、さるは逆立ちしたり、木の枝にしっぽでぶら下がったりしてみせます。

すっかり感心してしまったコーネリアスは、自分も同じことがしてみたいと思い、さるに教えてくれるよう頼みます。

さるは積極的に教え、コーネリアスは懸命に練習し、ついに逆立ちやぶら下がりをマスターします。

そして仲間のところへ戻り、新たな芸当を披露します。

でも、やっぱり仲間たちの反応は冷淡です。

がっかりしたコーネリアスが立ち去ろうとして振り向くと……。

 

そこには、逆立ちやぶら下がりを練習しているわにたちの姿。

コーネリアスは微笑み、「かわぎしでのくらしは これですっかりかわるだろう」と満足そうにつぶやくのでした。

 

★                   ★                  ★

 

レオニさんはこれまでにも度々「共同体の中の変わり者」を主人公にしてきました。

詩人ねずみのフレデリック、一匹だけ真っ黒なスイミーなど。

 

≫絵本の紹介「フレデリック」

≫絵本を紹介「スイミー」

 

彼らは最終的に共同体の危機を救うわけですが、今作のコーネリアスは仲間たちのために何をもたらしたことになるのでしょうか。

それは、新しい何かを学ぼうとする瑞々しい感性です。

 

あらゆる集団、組織、共同体には惰性が強く働いており、ある程度安定してくると新しい文化や価値観に対して拒否反応を示すようになります。

コーネリアスのような変わり種の主張はむしろ煩わしい、目障りな物として周囲の同胞を「いらいら」させるものです。

 

しかしながら新しいもの、未知のもの、これまでになかったものに自由で開かれた精神のないコミュニティは必ず衰退の道を辿ることは、歴史が示しています。

コーネリアスのような存在がいなければ、わにたちの集団は生気を失い、老化し、枯れていくでしょう。

 

ただ、コーネリアスに対し冷淡な仲間たちの態度もまた、共同体に生きるものとしては自然だとも言えます。

何でもかんでも急激な変化ばかりを主張するのは革命です。

これまで培ってきた価値観や暮らしを守ろうとする動きも、共同体には必要なのです。

 

この「未来へ向かおうとするもの」と「現状を維持しようとするもの」がほどよく均衡を保ち、そしていつもわずかに「未来へ向かおうとするもの」が勝利することによって人類は進歩していくのだと私は考えています。

 

もちろんコーネリアスのしたことは革命などという大げさなものではなく、たかだか「大きなお世話」程度です。

でも、さるが嬉々としてコーネリアスに逆立ちを教えたように、人にはどこかに「誰かに自分の知識や技術を教えたい」という欲求があるものです。

その欲求が、頼まれもしないのに教えたがるコーネリアスのような「大きなお世話」を焼かせます。

でもそれもまた共同体には必要不可欠な情熱だと思うのです。

 

そうでなければ「教師」という職業は共同体からなくなってしまうでしょうから。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

動きを想像できる絵の力度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「コーネリアス

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

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【絵本の紹介】「ころべばいいのに」【446冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は今もっとも注目されている絵本作家の一人・ヨシタケシンスケさんの「ころべばいいのに」を紹介しましょう。

作・絵:ヨシタケシンスケ

出版社:ブロンズ新社

発行日:2019年6月25日

 

絵本に留まらず、エッセイや挿絵の分野でも大人気のヨシタケさん。

去年は関西でも展覧会が開かれてて、私も行きたかったんですけど入場制限がかかってまして予約が取れなかったんですよね。

改めてヨシタケさんの人気を感じました。

 

人気の理由は幅広い世代に支持される内容でしょう。

意外と深い普遍的なテーマを取り扱いながら、けっして重たくならない軽やかな作風ととぼけたイラストの力が子どもにも大人にも受け入れられている結果だと思います。

 

このブログでは以前に「りんごかもしれない」を取り上げました。

 

≫絵本の紹介「りんごかもしれない」

 

「かもしれない」という根源的な知性の発動をユーモアあふれる絵本に仕上げたデビュー作から、「ぼくのニセモノをつくるには」「このあとどうしちゃおう」に続く「発想絵本」の第4弾という位置づけで発表されたのが今作。

人間の「怒り」「憎しみ」といういわゆる負の感情についてぐるぐると思考を重ねることによって一つ上のステージへ自らを運ぶ哲学的内容になっていますが、そこはヨシタケさん。

重苦しさや説教臭さは微塵もなく、爽やかで温かい手触りのユーモア絵本です。

 

今回は小学生の女の子が主人公。

何やら嫌なことがあったらしく、のっけから不機嫌な顔で「わたしには、きらいなひとがいる」「いしにつまづいて、ころべばいいのに」。

 

でもこの子は自分の感情をわりと客観的にも捉えており、誰かを憎む時間がもったいないとも考えています。

また、自分で自分の機嫌を取る方法を色々と考えてみてもいます。

それらひとつひとつの発想が面白く、可愛らしく、そして大人でもなるほど…と自分を顧みるきっかけにもなります。

こういう発想と描写こそが作者一流の腕前。

普段からこんな風に色々と考えてるんでしょうね。

さらに思考は巡り、そもそもこの怒りや憎しみや苛立ちの気持ちはどこから発生するのか、見えない「アイツ」が裏で人を操って、私の負の感情を集めて喜んでいるのではないか…などと考え始めます。

もしそうだとしたら、「アイツ」を喜ばせるなんて絶対嫌だ。

なら、普段から嫌な気持ちにならないようにして「アイツ」を困らせてやろう…そんな風に次々と発想を膨らませます。

だんだん気分を直していく女の子ですが、感心なのは最後までこれが正解と決まったわけではない、と結論を下さないところ。

実に知性的です。

どんな考えがあっても、怒りや憎しみにどんな向き合い方をしても間違いではない。

少なくともどうするかを決めるのは自分自身なのだから。

 

そこまで考えが及ぶころには、最初の「いやなこと」はすでに遠景に引いているようです。

 

★                   ★                  ★

 

これぞ哲学、と感じます。

この女の子は学校で起こった嫌なこと、自分の中に起こった負の感情を、学校からの帰り道、思考のみで乗り越えます。

 

これはこの絵本に限った話ではなく、ヨシタケさんの思考はいつも「それしかないわけないでしょう」が基調になっています。

安易なひとつの答えに飛びついてそこに固着することは、哲学的思考においてもっとも避けるべき落とし穴です。

「AかBか」ではなく、「AもBも」時には採用されるべきであり、時には不採用とされる場合もある。

そこで「どっちかにはっきりしろよ」というのは単に議論の決着だけを求めている人間であり、哲学者の態度ではないのです。

 

ですからヨシタケさんの言い回しは常に「前言撤回」の繰り返しで構成されています。

哲学的問いとは、本来決着のつかないものです。

一輪車のように、どこかに止まった瞬間倒れてしまうような、そんな問いは、終わりのない思考と前言撤回という運動の中でのみバランスを維持して扱うことが可能になります。

 

そしてその終わりのない状態、単一の正解がない曖昧な状態に留まって耐えることのできる力をこそ、私は「知性」と呼びたいと思います。

 

私的な話になりますが、それこそ私が息子に身に付けてほしい力でもあります。

息子はアスペルガー症候群ですが、特徴的な性質として「思い込みが激しい」という点があります。

興味のある話題以外は、他人の話をあまり聞いていないということもあります。

 

それらが被害妄想や極端思考に繋がったりします。

私が息子に大事な話をする時はいつもヨシタケ絵本のような「前言撤回」の繰り返しで語ることになりがちですが、「そうとばかりは言えないし、こうも言えるけど…」などと「うだうだ」やっていると息子は目に見えて苛々しだすことがあります。

「はっきりしろよ」と言わんばかりですが、そうやって「はっきり」させたがるのは君がまだ子どもだからなのだよ、というメッセージを、どうにか伝えることができないかと悩む日々です。

 

でも、わずかずつでも息子の思考は柔らかくなってきているとも感じます。

ふとした瞬間に「それしかないわけないじゃない」というヨシタケ節が出てきたり。

 

もちろん、そういう思考は成長と共に少しずつ身に付けるべきもので、あまりにも幼い頃から曖昧なことばかり聞かせるべきではないとも思います。

子ども向け絵本にははっきりとしたわかりやすさも必要です。

 

とは言うものの、息子に限らず、現代の子どもたちはYOUTUBEに代表されるネット文化における「早口、断定口調、まず結論」という語り口に漬かっていると感じるので、この絵本のような作品にも早いうちから触れておくべきかもしれない、とも思うのです。

 

というように、「うだうだ」言う大人がもっといてもいいんじゃないでしょうかね。

 

推奨年齢:7歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

はげましセット考えるの楽しそう度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「ころべばいいのに

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【絵本の紹介】「ドームがたり」【436冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

お盆が近いですね。

今回は「ドームがたり」を紹介しましょう。

作:アーサー・ビナード

絵:スズキコージ

出版社:玉川大学出版部

発行日:2017年3月20日

 

著者のアーサー・ビナードさんはアメリカ人ですがコルゲート大学を卒業後に来日し、日本で様々な翻訳や詩作の仕事をされています。

そしてこのブログでも何度も取り上げている、強烈なインパクトを放つ絵本作家スズキコージさんが絵を担当し、広島の「原爆ドーム」についての絵本が誕生しました。

 

ぼくの名前は「ドーム」。あいにきてくれて、ありがとう

 

タイトルの意味は原爆ドーム「を」語るのではなく、原爆ドーム「が」自分自身について語るというもの。

原爆を落とした国の著者が、落とされた国の画家と、原爆ドームの目線で語るという構成になっているわけです。

 

そもそも原爆ドームの生まれた時の名前は「広島県物産陳列館」。

建物をデザインした「お父さん」はチェコの人。

けれども、戦争が始まってだんだんと世の中の空気が変わっていきます。

そして1945年8月6日、原爆投下。

ドームは原爆の仕組みを「ちっちゃい原子をわった」、放射能による影響は「ウランのカケラが刺さる」と表現します。

ウランのカケラがとびちっていっぱいささったけど、あまりちっちゃくてみんな「いたい!」ってかんじない。からだにカケラがもぐりこんでじりじり……夏がすぎても広島のまちはカケラだらけ

 

太平洋戦争は終わり、凄惨な姿に変わったドームは今の名前で呼ばれるようになります。

そして戦車や爆弾で儲けようとしていた世の中の大人たちは、今度は「原発」で儲けることを考えます。

ドームはさらに「おっかないカケラ」がふえて、「じりじりじりじり10000年ものこる」ことを心配します。

 

★                   ★                  ★

 

相変わらずスズキコージさんの仕事は素晴らしく、どのカットも緻密さと迫力があり、ドームが圧倒的な存在感を放っています。

ウランのカケラが飛び散って刺さるカットはグロテスクで生理的にぞっとさせられます。

 

それでいて戦争反対、原発反対、というメッセージ性はあえて表に強くは出さず、「そもそも原爆ってなんなの?」と読者自身に考えさせようとする狙いが感じられます。

ドームの語り口は終始非常に抑制的です。

「で、作者の立場はどっちなの?」と問う前に、まずみんなで原子力そのものについてちゃんと考えよう、という姿勢です。

 

これはそういう絵本であり、そのこと自体は問題ではありませんが、私はここに実はひとつの業を感じるのです。

以下、絵本の評価とは関係のない私見です。

 

あとがきにも書かれていますが、著者はアメリカの中学校や高校で繰り返し「原爆は必要だった」「原爆のおかげで戦争が早く終わった」という歴史を教わったそうです。

今でも多数のアメリカ人は原爆が起こした悲劇は認めても、原爆投下が「悪」であったとは思っていないのです。

それが「落とした側」のアメリカの「業」です。

 

それをどうこう言っても始まりません。

しかし唯一の被爆国の国民である我々には原爆を「必要悪」と切り捨てることは、多くの同胞の地獄の苦しみをも切り捨てることに感じられます。

やはり原爆投下は非人道的行為であり、決して許されなかったのだと訴え続ける使命が日本にはあるのです。

 

しかしながら核兵器禁止条約に対する姿勢を見てもわかるように、日本ははっきりと「核兵器反対」とアメリカや世界に向けて表明することに弱腰です。

そして今や「戦争反対」と声を上げることさえ当たり前でない行為のように思われる風潮が漂っている気がするのです。

 

それは結局のところ日本人が戦争の加害責任というものに向き合わなかったところに起因するのだと思います。

 

責任の所在を曖昧にするのは日本のお家芸であり、福島の原発事故についても同じように誰も責任を引き受けません。

しかしユングが正しく洞察したように、向き合わなかった問題は必ず運命として回帰します。

 

絵本に限らず、原爆の悲劇について描かれた作品は無数にあり、それらは大切な役割を果たしているのですが、その一方で加害者としての日本に真っ向から向き合った作品は実は少ないのではないでしょうか。

戦争の責任を一義的に規定することはもちろん困難です。

その時代の大人一人一人に責任があったと言うことはできるし、それも真実かもしれませんが、しかし、それでもやはり最終的には時の権力者がその責任を一手に負うべきだったのではないでしょうか。

その上でしか先に進めないのではないでしょうか。

 

日本は天皇制を護持するために何を犠牲にし、今に至るのか。

毎年この時期になるとそんな思いが巡るのです。

そして様々な現代の問題もまた、加害責任と向き合わないという姿勢が根底にあるように感じるのです。

 

推奨年齢:小学校中学年〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

ドームの佇まいの貫禄度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「けんかのきもち」【426冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

私の育児記事を読んでくださっている読者の方はご存じでしょうけど、我が家の息子はいわゆる発達障害児で、多動・注意不足に加え、こだわりが強かったり感情のコントロールが苦手なところがあります。

それは知力の発達とは別で、やっぱり人間、頭で理解することと心で理解することはまるで違うんだなあ…と、息子を観察しているとよくわかります。

 

といっても幼い子どもは程度の差こそあれ、やはり頭と心と身体の発達過程においてはアンバランスな状態が見られます。

むしろアンバランスであることが通常運転で、それぞれが連動しつつ、それぞれのペースで成長していくのです。

 

今回はそんな子どもたちの頭と心と身体のアンバランスさをリアルに掬い上げた絵本「けんかのきもち」を紹介しましょう。

作:柴田愛子

絵:伊藤秀男

出版社:ポプラ社

発行日:2001年12月

 

作者の柴田さんは長く保育の仕事に携わり、「子どもを主役にした保育」をテーマに横浜で「りんごの木子どもクラブ」を発足した方で、育児に関する著作も多数発表されています。

大人からの指導や強制をなくし、できる限り子どもの主体性を尊重するという保育姿勢には深く共感できるところがありますね。

 

この「けんかのきもち」は「あそび島」という学童保育的な子どもたちの遊び場が舞台になっていますが、もちろん「りんごの木子どもクラブ」がモデルでしょう。

主人公の「たい」は、「あそび島」の隣が家ということもあり、毎日「あそび島」で過ごしています(おそらく小学校低学年くらい)。

けどある日一番仲良しの「こうた」とけんかになります。

パンチ した。つかんだ。とびかかった

でも こうたは つよい。びくともしない。ぼくより すごい けり いれられた

 

同じ学年、同じ年であっても、子どもの身体の発達は生まれ月などで大変な差がつくことがありますよね。

まるで歯が立たずにたいは突き倒され、あまりのくやしさに泣きながら家へ走り込み、お母さんに抱きついて泣きます。

ないても ないても なきたいきもちが なくならない

そこへあそび島の「あいこせんせい」がやってきて、さっきみんなで作ったぎょうざを食べよう、と誘います。

けれども気分が収まらないたいは意地でも行きません。

 

お母さんは先生と行ってしまい、たいは憤然としてお母さんを呼び戻そうとしますが、そこに遊び島のみんなが顔を見せ、中にはこうたの姿もあり、「ごめんな!」と謝ってきます。

たいは余計に苛立ち、家に閉じこもります。

なんで あやまるんだよ

そんなこと いうな

けんかのきもちは おわってない!

 

やがてお母さんがぎょうざを持って帰ってきて、それを食べ終わるころにはたいの気持ちも落ち着きます。

あそび島に戻り、ややぎくしゃくしながらもこうたの謝罪を受け入れます。

ただ、心の中では強く思っています。

でも、こんどは きっと ぼくが かつ

 

★                   ★                  ★

 

リアルですねえ。

子どもの心の動きを本当によく捉えていますし、大人も自分の子ども時代を振り返ってみればこういう気持ちを味わったことがあるはずです。

 

単純にけんかして、双方が悪いところを認めて謝って、仲直りして、前よりもっと仲が良くなる、なんて理想的な話ではないんですね。

謝ったのは勝者であるこうただけ。

勝ったから謝る余裕があるんです。

負けた方はプライドずたずた。

 

それでも主人公はまたこうたと仲良く遊ぶんでしょうし、いつまでも気持ちを引きずりはしないでしょう。

でもそれは最後のカットの気持ちがあればこそなんです。

けんかに負けた側が自分を見つめ直し、一度砕かれたプライドを立て直し、再び立ち上がるためには「(もし次があれば)今度は自分が勝つ」という決意が必要なんです。

 

私がこの絵本で一番好きなのは主人公のこの気持ちを否定しないところですね。

 

「今度は勝つ」という気持ちは別に「またけんかしてやる」という結論に結び付くとは限らないんです。

この話の主人公のようにどん底まで落ちた自分と自分の惨めな心をちゃんと見つめ、理解し、二度とこんな想いをしないためにはどうすればいいかを考えれば、「けんかしないで済むには」という思考にも辿り着くはずだからです。

 

そういう子どものゆっくりとした頭、心、身体の成長を、大人が横やりを入れたり急かしたりせずに認めてやる姿勢こそが大切だと思います。

うちの息子はそこが特にゆっくりなんですけどね。

 

推奨年齢:7歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

風景が昭和度:☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「スイミー」【再UP】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

ここ一週間、非常に気が重いです。

ロシアによるウクライナ侵攻が始まってしまいました。

それも安保理理事会の会議中に議長国が宣戦布告をするという、秩序もへったくれもないような形で。

戦争反対と声を上げる人々を冷笑するようなやり方で。

 

私は子どもたちに申し訳ない気持ちで気が重いです。

戦争を起こすのも、武器を作るのも、それを罪もない子どもに向けて使用するのも、全部大人です。

子どもはいつだって何も悪くない。

悪いのは大人なんです。

そして子どもたちに戦争のない世界を与えてやれない私たちも、やはり悪いのです。

 

ストレートに戦争反対と言えなかった覚えはないか、「大人の事情」などと賢しいことを言って死んでいく子どもたちを記号のように扱っていなかったか、振り返ってみればいくらでも反省点はあります。

個人が何を言ったところで世界の趨勢の前には無力であるという意見はその通りかもしれません(そういうシニカルな意見もまた無力ですが)。

それでもやっぱり、「駄目なものは駄目」とはっきり言うのが大人の務めなのではないでしょうか。

戦争は駄目なのです。

 

色々と考えたのですが、今回はレオ・レオニさんの「スイミー」についての過去記事を再掲することにしました。

今読むべき絵本だと思うからです。

ファシズムと戦い続けた作者に敬意を表して。

 

★                   ★                  ★

 

 

今回取り上げるのは「スイミー ちいさなかしこいさかなのはなし」です。

作・絵:レオ・レオニ

訳:谷川俊太郎

出版社:好学社

発行日:1986年8月

 

とても有名な作品です。

小学校の教科書で出会った方も多いでしょう。

 

しかし、教科書の「スイミー」しか知らない方にはぜひ、本物の「スイミー」を手に取っていただきたいと願います。

以前の記事で触れましたが、教科書用に編纂された絵本は、本来の生命を失っています。

 

≫大人のための「絵本の読み方」

 

作者のレオ・レオニさんは、伯父が美術蒐集家であったことなどから、幼いころよりピカソやシャガールなどの絵に囲まれて育ったといいます。

そんな環境で、自然に芸術的審美眼が磨かれていったのでしょう。

 

また、第二次世界大戦の時代を生き、思想家でもあったレオニさんは、ファシズムやマッカーシズムに抵抗し、攻撃や批判に晒されました。

「スイミー」は、そうした経験から深みを増した彼の思想が凝縮されて生まれたと言ってもいい作品です。

 

そうしたことも踏まえて、この絵本を読んでみましょう。

 

広い海で兄弟の魚たちと楽しく暮らしていた、小さな黒い魚のスイミー。

しかしある時、大きなまぐろに、兄弟は全員吞み込まれてしまいます。

 

一匹だけ難を逃れたスイミーは、暗い海の底で悲嘆に暮れます。

 

しかし、それまで知らなかった、海にある素晴らしいもの、面白いものを見るたび、スイミーは少しづつ元気を取り戻していきます。

にじいろの ゼリーのような くらげ

すいちゅうブルドーザーみたいな いせえび

ドロップみたいな いわから はえてる、こんぶや わかめの はやし

……。

 

この一連のシーンの絵は本当に美しく、スイミーとともに目を奪われます。

 

やがてスイミーは、失った兄弟たちにそっくりの、赤い小さな魚たちの群れに出会います。

スイミーは彼らを誘いますが、赤い魚たちは、大きな魚を恐れて、岩陰から出てこようとしません。

 

そこでスイミーは、みんなで一匹の大きな魚のように泳ぐことを考え付きます。

みんなが一匹の魚のように泳げるようになったとき、一匹だけ黒いスイミーは、

ぼくが、めに なろう

と言います。

 

スイミーを目として、みんなは泳ぎ出し、ついに大きな魚を追い出します。

 

★      ★      ★

 

国語の読解問題などでは、これは「みんなが一致団結して、大きな力を生み出す」物語である、という解釈が「正解」とされるのでしょう(いかにも模範的ですし)。

もちろん、そう読むことは自由ですし、間違いというわけではありません。

しかし、それではとてもレオ・レオニという巨大な人間の思想の本質にまで触れることはできません。

 

彼が生きた時代背景を考えれば、スイミーのように家族や仲間を一瞬にして失うことは実際に誰の身にも起こりえたでしょう。

孤独に海をさまようスイミーと、オランダ、イタリア、アメリカを転々とした作者自身の人生は、無関係ではないと思います。

 

災厄からひとりだけ生き延びた者は、自分の果たすべき役割を見つめざるを得なくなります。

スイミーの旅は、自己を見つめる旅です。

世界を知り、己を知り、物事の本質を見極める「目」を育てたスイミーが、最後に

ぼくが、めに なろう

と引き受けるのは必然なのです。

 

「目」というのは、全体における役割であって、他の機能に比べて優れているとか偉いとかの問題ではありません。

ここに、レオニさんの社会に対する思想の一端が現れているのではないでしょうか。

 

個々の能力差を、「階級差」とするのではなく、「役割分担」として、全体の調和を目指すこと。

「階級社会」は「おおきい さかな」=「独裁者」にとって都合のいいものであり、権力に立ち向かうためにはそれを乗り越える必要があるということ。

 

「目」にはそうしたことを見抜き、人々に教えるという役目があります。

しかし、それは誰もが持てる能力ではありません。

それは生まれ育った環境、それもたいていの場合は逆境の中で開かれる能力です。

 

だからこそ、人生における悲しみや辛さ、寂しさという波にぶち当たったとき、打ちひしがれて飲み込まれるのではなく、それは自分を見つめ直す好機であり、「目」を開けて生きるための試練なのだと受け止めるべきなのです。

 

大切なのは、悲しみの中にあったとしても、人生における美しいもの、素晴らしいもの、面白いものに目を向けて、前向きな態度で生きることです。

 

そう、スイミーのように。

 

推奨年齢:5歳〜

読み聞かせ難易度:☆

芸術的完成度:☆☆☆☆☆

 

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