【絵本の紹介】「風が吹くとき」【369冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

東日本大震災から9年が経ちました。

今も傷は癒えず、復興は見通せません。

それは原発事故が重く影響を及ぼしているからですが、汚染水問題やがれきの処理など、一体今現在現場はどうなっているのか、そして今後はどうなっていくのか、この9年ずっとモヤモヤした霞がかかっているように感じます。

 

今回はあえて震災そのものではなく原発事故の面を、レイモンド・ブリッグズさんのベストセラー「風が吹くとき」と共に考えてみます。

作・絵:レイモンド・ブリッグズ

訳:小林忠夫

出版社:篠崎書林

発行日:1982年7月5日

 

アニメ化もされた作品で、「核戦争の恐怖」を描いた問題作です。

これは旧版で、現在はさくまゆみこさんの訳によりあすなろ書房から再刊されています。

 

細かいコマ割りを用いたコミック・スタイルは同作者の「さむがりやのサンタ」や「ゆきだるま」と同様ですが、その内容はあまりにも重く、怖気を震うようなブラックユーモアで、淡々と物語が進みます。

 

≫絵本の紹介「さむがりやのサンタ」

≫絵本の紹介「ゆきだるま」

 

退職し、イギリスの片田舎で年金暮らしをしているジムと、妻のヒルダ。

ロンドンで暮らすロンという息子がいます。

ジムは国際情勢に興味を持ち、昨今のきな臭い空気に懸念を示していますが、ヒルダはまるでそんなことには興味がなく、大衆新聞しか読みません。

ジムがいっぱしに展開する戦争論にも、頓珍漢な返事ばかり。

まあ、どこにでもいそうな熟年夫婦です。

ところがラジオで本当に戦争が始まったことが告げられ、ジムは動転します。

それでもヒルダは楽観的に「どうせすぐ終わる」などと言います。

 

ジムは政府が発行しているパンフレットに従って、核爆弾に備えた家庭用シェルターを作りにかかります。

壁にドアを立てかけ、窓に白いペンキを塗り……正直お粗末極まりない「シェルター」ですが、ジムは政府を信じ、大真面目に作業。

ここのヒルダとのやり取りがなんとも可笑しいのですが、笑っていいのやらなんやらわからなくなります。

 

そしてどうしても「北朝鮮のミサイルに備えて頭を抱えて地面に臥せる人々」の写真を連想してしまいます。

あの人たち、本当に怖がっていたのかしら。

 

一方、どこか遠くでひたひたと迫る実際の戦争は見開きの大ゴマで不気味に描かれます。

突然ラジオの臨時ニュースが敵(ロシア?)から核ミサイルが発射されたことを知らせます。

ジムは仰天し、ヒルダを引っ張ってシェルターに逃げ込みますが、こんな時でもヒルダは「ケーキがこげちゃう」ことを心配。

 

真っ白な光に包まれ、爆風と熱が過ぎ去ります。

家の中はめちゃめちゃになるものの、シェルターのおかげか、ジムたちはとりあえず無事です。

こんな状況になってもまだ、どこか呑気さが漂う夫婦の会話。

放射能を心配しながらも外に出て、ひどい有様を目にしてもまだ、すぐに政府が救援に来てくれることを信じきっているのです。

 

しかし徐々に核爆弾の影響で蝕まれていく二人。

画面は不気味に白っぽくなっていき、二人の皮膚には紫色の斑点が出てきます。

 

不安になりつつ、あくまでも日常を維持しようと振る舞うジムとヒルダ。

口から血を流しながら歌うジムの姿にはぞっとさせられます。

 

助けは来ないまま、二人は横になり、歌いながら……。

 

★      ★      ★

 

子どもの頃に本で核戦争というものを知ったとき、私はあまりの恐ろしさに気が狂いそうでした。

昨今も核の恐怖を描いた様々なメディア作品は発表されています。

ところが、私の印象としては、それらはさほど怖くないのです。

 

それは表現力の問題というより、作り手側に本当の恐怖心がないからかもしれません。

原爆投下当時の広島の惨状を目にした経験を持つ丸木俊さんの「ひろしまのピカ」などは、大人になった今読んでも生々しい恐怖を覚えます。

 

≫絵本の紹介「ひろしまのピカ」

 

イギリス人であるブリッグズさんは実際に核戦争を体験したわけではありませんが、この絵本が発表された1982年は冷戦のさなかで、「核戦争の恐怖」は現代よりずっと色濃く人々の頭上にのしかかっていたと想像されます。

 

日本は唯一の被爆国ですが、同時に原子力発電所に大幅に頼ることで文明を享受してもいます。

「恐るべき核爆弾の力を平和利用した素晴らしい発明」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、本気でそう思っている人はどのくらいいるのでしょう。

 

原子力そのものは善でも悪でもない、ただのエネルギーです。

ただし、それは世界を滅ぼすほどの爆発的エネルギーです。

そんなものを扱うことが、怖くないのでしょうか。

 

私は怖い。

子どもの頃に感じた、気の狂いそうな恐怖を、私は忘れていません。

誰だって本当は怖くて怖くてたまらなかったのではないでしょうか。

 

その本能的恐怖を、「科学」と「金」という「信仰」によって人々は抑え込んだのです。

 

私を含め、現代の人間は「科学的に」話をされると納得します。

「原発は安全である」という話を、どこかの科学者が色々と難しい数字を挙げて説明すると、なんとなく安心します。

 

しかし考えてみれば、私はその内容についてさほど理解していません。

たとえばこうしてこの文章を書いているパソコン機器やインターネットの仕組みについても、私は無知です。

普段利用する様々な機械についても、ほとんど何もわからないまま使っています。

 

何故専門的な話が本当には理解できなくても「納得」することができるかと言えば、それは「科学」というものを「信じて」いるからです。

絶対不変の数字という「神」を信じているからです。

 

自分が完全に理解できないものを信じるという態度において、それは宗教と変わりません。

宗教にしても、本当に霊的世界を体験し、なおかつそれを理解し、伝える能力がある人間はごく一部でしょう。

それ以外の人間は「信じている」だけです。

 

だから宗教が広まる過程において必ず誤謬と嘘が発生します。

真理は、拡散されていく時に誤謬と嘘をまといます。

 

奇妙な話をしているように思われるかもしれませんが、「原発」もその点では同じように思うのです。

 

そこにある嘘や誤謬や欲を取り払った時、必ず「恐怖」が残るはずです。

それはこの「風が吹くとき」を読んだ時に感じる「恐怖」と同類です。

「科学の話」「カネの話」「政治の話」を取っ払ったら、「原子エネルギー」に人が感じる素直な印象は「恐怖」であるのが当然ではないでしょうか。

 

原発に関わった多くの科学者や政治家だって、本当は怖かったはずです。

怖くて当たり前なのです。

 

その恐怖を直視せず、「信仰」によって抑え込もうとした計画は、すでに失敗しました。

事故は現実に起きたのです。

 

どうして東日本大震災からの復興が進まないのかと言えば、それは責任ある立場の人間がいまだに恐怖を直視していないからです。

「正しく怖がる」ことを忌避し、「これまでと同じ感覚」で処理しようとしているからです。

それは哀れなジムとヒルダが最期まで「これまで通りの日常」を生きようとし、虚しく死んでいく姿に似ています。

 

想像力とは、現実を直視する力です。

想像力を働かせるとは、真理を理解することを諦めない態度です。

科学も宗教も、想像力を欠く限り、誤謬と嘘に絡めとられることは避けられません。

 

ちなみに「風が吹くとき」というタイトルは、マザーグースの子守唄から。

「風が吹いたら(中略)坊やも、揺りかごも、みな落ちる」といういささかぎょっとするような詩に由来するもの。

 

もうひとつちなみに、ジムとヒルダは、ブリッグズさんの別作品「ジェントルマンジム」にも登場します。

そちらは別に悲惨さはありませんが、やっぱりブラックなユーモアが効いています。

ブリッグズさんは実は相当にブラックな作風の作家です。

そうするとむしろ「ゆきだるま」は彼の作品群の中では「異色作」と呼べるのかもしれませんね。

 

推奨年齢:小学校高学年〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆☆

救いのなさ度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「風が吹くとき

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【絵本の紹介】「うさぎの島」【368冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

世間は新型コロナ一色、休校+自粛ムードの中、次々に中止されるイベント、演劇、コンサート、そして展覧会。

でもドラッグストアやホームセンターではトイレットペーパーやら米やらを買いだめに走る人々の長蛇。

 

なんとなく既視感を覚えるのは、そろそろ9年になる東日本大震災の時の光景に似ているからでしょうか。

あの当時私は東京に住んでおり、そしてあの時から色々なことを考えるようになりました。

 

あの時も、様々な人が様々なことを発言し、様々な情報(デマ含む)が飛び交いました。

自分がどう行動するべきなのか、ほとんどの人が確たる指針を持たず、不安を感じていたように思いました。

まあ、単純に「自分の見ているテレビと新聞の情報が正しい」と信じていられる人もいましたけど。

 

人々は「誰について行くべきか」を探していました。

情報発信者の中で人気なのは「安心させてくれる人」で、他に「自分の怒りや不安を代弁してくれる人」と、「単に声の大きい人」がそれに続く印象でした。

あくまで個人的な印象ですけど。

 

素人に「正しい判断」はつきにくいから、「正しい判断を下しそうな人」を見極めることは重要ではあります。

この場合は意外と知識関係なく直感が当たったりします。

しかし気を付けないと人間は「早く安心したい」という思いから、割と安易に「この人について行けば大丈夫」と思い込む傾向があります。

そしていつの間にか、その人と意見を異にする人間を敵視さえし始めます。

そうなるともう最初の生物的な直感は跡形もなくなってしまいます。

 

私が「精神の自由」について考え出したのはその頃からです。

それ以前から漠然とした形で「なんか不自由な感じ」を肌で感じてはいましたけど。

 

こういう時こそ、色々なことを深く考えるきっかけになると思うので、あえて「重い」絵本を選んでいくスタイルで、今回は「うさぎの島」を紹介します。

作:イエルク・シュタイナー

絵:イエルク・ミュラー

訳:大島かおり

出版社:ほるぷ出版

発行日:1984年12月15日

 

「うさぎの島」といっても瀬戸内海に本当にある癒されスポットではありません。

毛の一本一本まで描き込まれた緻密で美しいうさぎたち。

可愛いけどどこか陰鬱で、神秘的だけどどこかユーモラス。

 

この絵は以前に紹介した「ぼくはくまのままでいたかったのに……」のイエルク・ミュラーさんによるものです。

 

≫絵本の紹介「ぼくはくまのままでいたかったのに……」

 

文も同じイエルク・シュタイナーさんとの共作。

同じ「イエルク」という名前ですけど、偶然です(ファーストネームだし、そりゃそうか)。

 

「ぼくはくまのままでいたかったのに……」と同じコンビというだけでなく、同様のテーマを取り扱った作品と言えます。

二作とも非常に多くの要素を含んだ作品であり、単一のテーマというものは存在しませんが、「人間の自我と自由」という核は変わりません。

 

「島」というタイトルですが、訳文からは舞台が島であるかどうかはわかりません。

「島」は象徴的なワードなのかもしれません。

大量のうさぎを飼育する「うさぎ工場」。

ペット用ではなく、食肉用のうさぎたちがここで管理され、狭い檻に閉じ込められ、ひたすら餌を与えられ、太らされます。

 

長い間工場で暮らしている大きな灰色うさぎの檻に、新入りの小さな茶色うさぎが連れてこられます。

怯えて縮こまっている茶色うさぎに、灰色うさぎは先輩らしく話しかけます。

ここは暮らしいいところだ。しんぱいいらないよ

 

けれどもそういう灰色うさぎも、連れて行かれるふとったうさぎがその後どうなるのかについては知りません。

それでも「ここよりもっといいところ」に連れて行ってもらうのだと漠然と説明します。

 

ただ、茶色うさぎの疑念と不安は晴れません。

色々と質問しますが、実は外の世界のことをほとんど忘れてしまっている灰色うさぎにとっては、「かぶ」「お日さま」「」といった言葉の意味は何もわからないのです。

 

それでも虚勢を張ってベテラン面をやめない灰色うさぎですが、内心は少し不安が芽生えています。

そこで茶色うさぎに「抜け出す方法はある」と言い、壁をかじり出します。

工場の断面図は「ぼくはくまのままでいたかったのに……」でも見せたミュラーさんお得意の構図。

絵を見るとわかりますが、都合のいいことに二匹の檻の後ろは通風管が通っていました。

実のところ逃げ出そうという気などなかった灰色うさぎですが、これは非常な幸運といえます。

晴れて自由の身になった二匹。

茶色うさぎは喜びますが、今度は灰色うさぎが不安でたまらなくなるのです。

 

外の世界は知らないことだらけ。

おまけに白鳥に襲われ、命からがら逃げだします。

 

茶色うさぎは灰色うさぎを励まして洞穴を掘り始めますが、灰色うさぎはそんな本能もすでに失ってしまっていたのです。

うちにかえりたいよ! 工場ほどいいとこは どこにもないんだ!

と言い出す灰色うさぎ。

結局、すっかり自信を無くした灰色うさぎは工場に戻ることを選択します。

一緒に引き返した茶色うさぎですが、工場の中には戻りません。

 

いつしか二匹には友情が芽生え、別れを惜しみます。

おれのことを わすれないでいてくれよ

きみみたいな友だちは 二度とみつかるまいね

 

そして二匹は別れます。

それぞれの運命を知るすべもなく。

 

★      ★      ★

 

不自由な環境を不自由とは思っていない灰色うさぎ。

たった一度手にした貴重な自由への切符を、自ら手放してしまうラストには愕然とさせられます。

 

彼は主体的には「自由」です。

たとえ環境がどうあれ、彼には自由な判断が許されています。

けれど、読者は彼を「自由な存在」と感じるでしょうか。

 

作者は茶色うさぎと灰色うさぎの対比を「文明と自然」「家畜と野性」として描きます。

けれども灰色うさぎにもわずかな生物的本能は残っており、それが時折「言葉にならない不安」としてアラームを鳴らします。

 

しかし結局は灰色うさぎは自分の本能が知らせる危険信号を無視して、「与えられた安心」「与えられた安定」へ帰って行きます。

最終的に二匹のうさぎの明暗を分かったのは、己の生物的直感を大切にするか否かというところです。

 

人間も生物である以上、こうした直感は必ずあります。

いくら頭脳が肥大しても、部分的にはまだ残っています。

 

文明は逆戻りしませんし、進歩を否定する気も私にはありません。

けれども、我々に残されたわずかな野性を蔑ろにすれば、人間は必ず破滅するでしょう。

 

直感を大切にするとはどういうことでしょう。

それは日常に生じる違和感をそのままにしないこと、怠惰にならないこと。換言すれば「日々を丁寧に生きる」ことだと思います。

 

そして付け加えるなら、上記はすべて「子育て」にも当てはまる要素です。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

工場のロゴデザインセンス度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「あな」【再UP】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

一時代を築いたイラストレーター・和田誠さんの訃報が届きました。

享年83歳。

 

「イラスト」という言葉が定着したのは和田さんの功績と言われるほど、その仕事量・知名度は業界第一人者。

「週刊文春」の表紙イラスト、村上春樹や星新一などの小説の装丁、たばこ「ハイライト」のデザインなど、何らかの形で彼の絵に触れなかった人は少ないでしょう。

ちなみに私が初めて和田さんの絵に出会ったのは寺村輝夫さんの「ぼくは王さま」第一巻です。

 

また、絵の世界に留まらず、「麻雀放浪記」(これも観ました)を始めとする映画監督、エッセイスト、舞台台本などマルチな活躍を見せました。

今回は和田さんを偲んで、彼と谷川俊太郎さんによる哲学的絵本「あな」を再UPします。

 

★      ★      ★

 

今回は日本を代表する詩人・谷川俊太郎さんとイラストレーターの和田誠さんのタッグによる、一癖も二癖もある絵本「あな」を紹介します。

作:谷川俊太郎

絵:和田誠

出版社:福音館書店

発行日:1983年3月5日(こどものとも傑作集)

 

谷川さんに関しては、知らない人の方が少ないでしょう。

現代日本において「詩人」という肩書を持ち、詩を「生業」としている人物と言えば、もう彼以外には思いつけないくらいです。

 

絵本との係わりも深く、「フレデリック」などの海外絵本の翻訳の他、自身が文を担当した作品も多くあります。

そして、3回にわたる結婚・離婚のうち、最初の妻は「かばくん」などを手掛けた絵本作家・岸田衿子さん。

そして3人目の妻は「100万回生きたねこ」の作者・佐野洋子さんなのですね。

 

≫絵本の紹介「フレデリック」

≫絵本の紹介「かばくん」

≫絵本の紹介「100万回生きたねこ」

 

絵を担当する和田さんも、これまた有名なイラストレーター。

何かと話題の雑誌「週刊文春」の表紙は40年にわたって彼が担当しています。

イラストだけでなく、エッセイや映画など、幅広い分野でその才能を発揮しています。

 

そんな二人が作った絵本ですから、一筋縄では行きません。

まず、横に見て縦開き、という構成からして異色です。

 

見開き画面の下3分の2を茶一色として、地面の断面図を描いているのですね。

にちようびの あさ、なにも することがなかったので、ひろしは あなを ほりはじめた

なんで? とも思うし、そういうこともあるか、とも思ったり。

 

ひろし少年は淡々とした表情で、スコップを手に深い穴を掘っていきます。

母親、妹、友だち(広島カープファン)、父親が次々とやってきて色んなことを言いますが、ひろしは取り合わず、黙々と掘り続けます。

やがて自分がすっぽり地面の中に隠れるくらいの深さに到達したとき、ひろしはスコップを置き、初めて満足げな微笑を浮かべます。

これは ぼくの あなだ

 

母親たちがまた一通り登場して、短い会話を交わします。

ひろしは穴の中に座り続け、日が暮れるころに穴から出てきます。

これは ぼくの あなだ

 

もう一度そう思ったひろしは、スコップを使って今度は穴を埋めにかかります。

最後は、扉絵と同じく、元の平らな地面のカットで終わります。

 

★      ★      ★

 

全編通して同じ横視点の構図で物語は進行しますが、地中を掘り進む芋虫や空の色など、随所の変化を楽しめます。

また、一見するとよくわからなかった表紙の絵が、内容を読むことで、穴の中から空を見上げるひろしの視点なのだと判明します。

裏表紙は外から覗いた穴の中です。

 

さて、内容については例によって様々な解釈が可能です。

 

「穴を掘る」理由は、おそらくはひろし本人にもわかっていない(訳知り顔の父親にも、たぶんわかっていない)。

その割に、ひろしは汗をかき、手に豆ができるほどに頑張ってスコップを振るいます。

 

普通に考えれば、彼の労力の先には「無」しかない。

穴を掘ることで報酬がもらえるわけでも、誰かに認められるわけでもない。

でも、それ故にひろしの努力は純粋です。

その純粋さを守るために、ひろしは妹の手伝いや「おいけに しようよ」という提案を拒絶します。

さらには、最後に穴を埋めることで、ひろしの「無償の行為」は完全化されるのです。

 

現代社会では、「無」に向かっての行為など理解されないばかりか、下手をすると憎悪の対象にすらなります。

「コスパ」という言葉が表しているように、どんな行為にも「費用対効果」をまず考えることが常識となっているからです。

 

それ自体は別に悪いことではありませんが、あまりにもそうした思考に慣れすぎると、自分の中にある純粋な衝動を感じ取れなくなります。

「何の役に立つのか」という疑問を立てる前にただ行動する、その純粋さの先にあるものが、

あなのなかから みる そらは、いつもより もっと あおく もっと たかく おもえた

という光景です。

 

これは、見ようと思って見られるものではありません。

見返りや期待や打算を飛び越えて行動した者だけが辿り着くことのできる視座なのです。

 

これは、子育てに関しても当てはまることです。

子どもの教育に熱心な親は大勢いますが、彼らは将来的に子どもが思うように育たなかった時、後悔したり恨んだりしないでしょうか。

 

けれども、本当に見返りを期待せずに子どものために行動した者は、最終的には子どもに左右されることのない、自分の人生を手に入れるはずだと思うのです。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

穴だけに深い度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「さかなはさかな」【334冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

絵本界を代表する哲学者、レオ・レオニさん。

ラブリーな絵柄、鮮やかな色彩、そして深いメッセージの込められた現代的寓話。

大人が読んでも考えさせられる絵本作品の数々。

 

レオニさんの作品に共通するテーマは「自分とは何か」です。

哲学・宗教・あらゆる思想において最も重要で最も難しいのが「己を知る」ことです。

 

今回はレオニさんならではの視線が心地よい良作「さかなはさかな」を紹介します。

作・絵:レオ・レオニ

訳:谷川俊太郎

出版社:好学社

発行日:1975年

 

副題は「かえるのまねしたさかなのはなし」。

今作ではレオニさん得意のコラージュ手法ではなく、色鉛筆画が用いられています。

しかし、目に楽しい鮮やかな色使いは変わりません。

 

仲良しの「おたまじゃくし」と「こざかな」。

森の池で一緒に泳いでいた彼らでしたが、ある日おたまじゃくしには足が生えます。

自分がかえるになろうとしていることを誇らしく思うおたまじゃくし。

けど、さかなは納得できません。

かえるは かえる、さかなは さかな そういう ことさ!」とおたまじゃくし。

やがて本物のかえるに成長して岸へ上がって行ってしまいます。

 

だいぶしばらくしてから、かえるは池に帰ってきます。

世の中を見てきたかえるに話を聞き、さかなは池の外の世界へ思いを巡らせます。

鳥や牛や人間の存在を聞くと、さかなは魚に翼や角や手足が生えたような生き物を想像するのでした。

この一連のシーンは「スイミー」が海の中を泳ぎ回る場面と同じく、美しく楽しいものです。

ただ、スイミーは現実を見ているのに対し、さかなが見ているのはあくまでも自分の理解可能な領域に現実を落とし込んだ想像です。

 

再びかえるが行ってしまった後、さかなはとうとう決心して、世の中を見に水から飛び出します。

陸に上がったさかなは息をすることも動くこともできす、弱々しく助けを求めます。

運よくかえるがさかなを見つけ、池の中に戻してくれます。

 

この せかいこそ、たしかに どんな せかいよりも うつくしい せかいだった」ことに気づいたさかなは、かえるに微笑みかけます。

きみの いったとおりだよ

さかなは さかなさ

 

★      ★      ★

 

この結末をどう感じますか?

どこか素直に感動できない、「これでいいの?」という疑問が残る……もしそうなら、それは我々があまりに現代的価値観に囚われているからです。

 

それは「実現不可能に思えるようなスケールの夢」を抱くことが「よいこと」だという価値観です。

巷には「どんな夢も信じて努力すれば叶う」という物語が溢れています。

 

もし、この絵本が現代的価値観に染まった凡庸な作家によって描かれたとすれば、最後にはさかなは陸上で生活する能力を手に入れ、かえるとともに楽しく暮らす……という実につまらないラストに辿り着くことでしょう。

 

けど、そんなふうに「実現不可能な夢」を推奨するような物語ばかりを子どもに与えることによる弊害について、私たちはあまりにも無自覚ではないでしょうか。

 

私自身は「強く願えば夢は叶う」ことを信じています。

しかし「強く願う」の部分は、実は相当難しい条件だと思うのです。

「強く願う」とは単なる夢想ではなく、常に明るい知性と想像力を保ち続け、現実的な観察を怠らず、自分についてどこまでも客観的な判断が下すことができ、その上で現在やるべきことを的確に見極めるという能力です。

 

そんなことのできる人間は控えめに言っても非常に少ないでしょう。

「将来の夢」に「サッカー選手」(今だとユーチューバーとかになるのかな)と書いた子どものうち、ほぼすべては夢破れます。

それが悪いとは思いません。

問題は、本気で「なれる」と思っていた子どもたちが、その後の人生において正確な自己評価を持てるようになるかどうかです。

 

ほとんどの人間は、自分自身に正確な評価を下せません。

我々は基本的に「身の程知らず」なのです。

 

かえるに成長変化するおたまじゃくしを妬み、嫉み、自分の浅薄な知識で世界を理解した気になり、自分にだって同じことができるはずだと思い込む。

私たちはこのさかなを笑えるでしょうか。

 

「己を知る」ことができない限り、我々は自分の本当の欲求をも知ることができません。

生涯他人の欲望を模倣し、常に不充足感に悩まされ続けます。

 

さかなは さかなさ」と悟ることのできたさかなは、もうかえるを妬む必要がなくなったのです。

彼は友だちと自分の違いを涼しく認め、友だちの価値を認め、自分の価値を認めることに成功したのです。

「精神的に自由になる」とは、本来そういうことなのです。

 

関連記事≫絵本の紹介「スイミー」

≫絵本の紹介「シオドアとものいうきのこ」

≫絵本の紹介「フレデリック」

≫「みんなのレオ・レオーニ展」に行ってきました。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

水草のバリエーションの隠れた楽しさ度:☆☆☆☆☆

 

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【絵本の紹介】「たまご」【321冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

無限の解釈可能性を内包した絵本というものは数多くあります。

余分な表現を削っていく作業の末に、そうした作品が生まれます。

 

無意味なカット、冗長なテキストを切り捨てた末に、文そのものを失くし、物語の核だけを残した絵本。

それが今回紹介するガブリエル・バンサンさんの「たまご」(L’OEUF)です。

作・絵:ガブリエル・バンサン

出版社:ブックローン出版

発行日:1986年10月20日

 

前述した通り、この作品にはテキストが存在しません。

絵を読むことによってのみ物語に入っていくことができます。

 

同作者による同じ形式の絵本「アンジュール ある犬の物語」を以前に取り上げました。

 

≫絵本の紹介「アンジュール ある犬の物語」

 

あちらは鉛筆画、この「たまご」は木炭画という違いはありますが、どちらもテキストが無く、色が無く、そして音すら消し去ってしまったような絵本です。

そして、一応ストーリーが明確だった「アンジュール」に比べ、「たまご」は非常に謎に包まれた物語になっており、「難しい絵」が連続します。

注意深く読まなければ、そして注意深く読んでいるつもりでも、展開について行けなくなります。

 

海辺、あるいは砂漠、あるいは荒野のような広大な地に、ひとつの巨大なたまご。

一人の人間が発見し、たくさんの人を呼んできます。

やがてたまごを取り囲むようにビルや建物が建設され、たまごの外郭には階段やスロープが取り付けられ、頂上には旗がひるがえり、ロープウェーが開通し、まるでテーマパークのような賑わいを見せます。

が、嵐がやってきて、人間が作ったものはすべて破壊されます。

その後、巨大な猛禽が飛来し、人々は逃げ惑います。

巨鳥はたまごの親らしく、たまごを温めるような素振りを見せますが、やがて飛び去って行きます。

たまごは孵化し、雛が這い出してきます。

 

人間は戦車隊を出動させ、この雛を撃ち殺してしまいます。

恐れ、不安、罪悪感……様々に読み取れる虚ろな表情をした群衆。

死んだ雛は車で引きずられ、巨大な十字架に磔にされます。

 

そこへあの巨鳥が、今度は何羽も飛んできます。

巨鳥の群れは人間を襲うでもなく、それぞれたまごを産み落とし、人間に(そして読者に)意味深な鋭い眼差しを向けると、飛び去って行きます。

後にはいくつもの巨大なたまごだけが残ります。

 

★      ★      ★

 

モノクロの木炭画、そして意図された静寂。

どこか不安な気持ちを煽るような、不可解な物語です。

 

中盤まではまあ、わりとよくあるパターンとして読めるのですが、雛が孵ったところからラストシーンにかけては、こちらの予想を超えた展開が広がります。

 

たまごに群がる愚かな群衆、そして自然の代表たる巨鳥。

いわゆる「自然対人類」「高度文明社への警鐘」の物語として読んでいると、ラストで首をひねらざるを得なくなります。

 

何故なら、「愚かな人間ども」に対し、巨鳥は何も手出しをしないからです。

雛を殺された復讐をするわけでもなく、ただ本能に従って次々にたまごを産む巨鳥。

そのたまごからまた雛が孵ったら、今度は人々はどうするのでしょうか。

最後の巨鳥の鋭い視線には、試すような光も見えます。

 

何よりも違和感を覚えるのは、撃ち殺した雛を「磔刑」にするシーンです。

雛を恐怖心から射殺したとしても、わざわざ巨大な十字架まで用意して磔にする必然性が理解できません。

明らかに作者は何らかのメッセージを込めてこのカットを描いています。

 

我々日本人には少々馴染みが薄いとは言え、「磔刑」から連想されるものと言えば「ゴルゴダの丘」における聖人の磔です。

「供犠」の概念です。

 

これは本当に私の個人的な解釈ですが、「たまご」とは未来の人類意識の萌芽ではないかと思います。

私たちは現在の自分の思考方法の正しさを信じて疑いません。

しかし、ごく短い歴史を繙いてもすぐわかるように、時代が変われば考え方も常識も、何もかもが変化します。

 

まだ理解できない崇高な思想や科学を前にしたとき、人間は「たまご」の外郭のみを見て、未知なるものを自分たちにも理解の及ぶ「俗」のレベルに引きずり降ろそうとします。

「たまご」から「孵化したもの」は、それらの「現在の段階に留まろうとする」人々によって犠牲になります。

しかし、好む好まざるに係わらず、「磔」にされたものを見上げる人々の意識の中には、必ず何かが流れ込むのです。

「孵化したもの」は、いわばそのために供犠として捧げられるのです。

 

次々と生まれ、成長する前に死んでいく「雛」たちに、私たちは何を思うのでしょうか。

 

推奨年齢:5歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆☆(テキストなし)

解釈が分かれる度:☆☆☆☆☆

 

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