【絵本の紹介】「戦火のなかの子どもたち」【292冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

前回、いわさきちひろさんの展覧会のレビューを書きました。

≫【いわさきちひろ特別展】「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」に行ってきました。

 

そこで今回はいわさきさんが最後に完成させた作品「戦火のなかの子どもたち」を紹介したいと思います。

作・絵:岩崎ちひろ

出版社:岩崎書店

発行日:1973年9月10日

 

「子どもの幸せと平和」を願い続けたいわさきさん。

これはベトナム戦争の末期に描かれた絵本です。

 

きょねんもおととしも そのまえのとしも ベトナムの子どもの頭のうえに ばくだんはかぎりなくふった

 

あたしたちの一生は ずーっと せんそうのなかだけだった

 

自身も少女時代を太平洋戦争の中で過ごし、広島の原爆の絵本を描く丸木位里・俊夫婦とも交流が深かったいわさきさんは、ベトナムで行われている戦争を、他人事とは思えなかったのでしょう。

テキストは断片的で、ほとんど極限まで削られており、同時に鉛筆と墨で一見ラフに描かれた絵も、必要なもの以外は画面から省かれ、その文余白が大きく用いられています。

母さんといっしょに もえていった ちいさなぼうや

あつい日。ひとり

雨がつめたくないかしら。おなかも すいてきたでしょうに

風? かあさん?

残酷な描写はなく、悲惨さを強調することもなく、ことさらに同情を引こうとする気配もありません。

ただ、ここに描かれた子どもたちの姿は、読者ひとりひとりの胸の中にそっと入り込み、内側から私たちを見つめ続けるのです。

 

★      ★      ★

 

展覧会を見て気づくのは、いわさきさんの絵の変遷・進化です。

初期のはっきりしたデッサン画や油絵から、だんだんと淡い水彩画にシフトして、最終的には輪郭線すら消えてしまいます。

 

いわば「形のあるもの」から始まり、「形のないもの」に辿り着くのです。

色彩の滲みや掠れそのものが表現方法となり、彼女の絵の印象は「水」のように形を無くしていきます。

ぼうっと霞むような黒目がちな子どもたちは、心魂のみの存在のようです。

 

その印象はこの「戦火のなかの子どもたち」の前に仕上げられた至光社の「ぽちのきたうみ」で特に顕著で、いわさきさんの絵のひとつの到達点とも言えるでしょう。

 

しかし、今回においては、いわさきさんはその手法を採りませんでした。

墨と鉛筆で描かれた子どもたちには、彼女の絵にしては珍しく白目があります。

 

私の勝手な想像ですが、あまりにも高みに上った作者の心魂的表現では、戦争の身体的リアルが伝わらないことを懸念したのではないでしょうか。

 

すでに体調を崩されていたいわさきさんは、最後の力を振り絞るようにしてこの作品を完成させた1年後に他界します。

 

ベトナム戦争が終わっても、世界中で戦争は無くなりません。

いわさきさんの願いはいまだに叶えられていません。

 

それらは一つ残らず私たち大人が起こした戦争です。

子どもは何も悪くありません。

 

どうして私たちは戦争を止めることができないのでしょう。

どうして武器を作り続けるのでしょう。

どうして他国と手を取り合えないのでしょう。

 

その問いに、私たちはこの絵本の子どもたちの目を正面から見つめて、ごまかさずに答えることができるでしょうか。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

平和への祈り度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「戦火のなかの子どもたち

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【いわさきちひろ特別展】「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」に行ってきました【美術館「えき」KYOTO】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

JR京都駅にある伊勢丹7Fの美術館「えき」KYOTOで開催中の展覧会「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」を見に行ってきました。

公式HP:「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」

 

童画家・いわさきちひろさんの生誕100年を記念した特別展です。

彼女を知らない人はいても、彼女の絵を見たことのない人はいないんじゃないでしょうか。

 

いわさき作品自体は非常に様々な場所で目にすることができるし、個人の美術館「いわさきちひろ絵本美術館」や「安曇野ちひろ美術館」などもあり、戦後絵本作家の中でもどこか別格の扱いを受けている感があります。

 

けれど、彼女の生い立ちや絵本作家以外の顔については、知らない人が多いのではないでしょうか。

 

今回の展覧会では、彼女の生涯と絵の変遷を時系列を追って見ることで、単に「あの、可愛い絵を描く人」という認識から、いわさきちひろという女性の生き生きとしたキャラクターに迫ることができます。

 

1918年に生まれ、裕福な家庭に育ち、大正デモクラシーの風潮の中で生まれた自由な学校(テストも通知票もない)に通い、絵が得意なのはもちろん、スポーツ万能で活発な少女だったいわさきさん。

しかし、その少女時代には太平洋戦争が影を落としています。

 

宮沢賢治への傾倒から入党した日本共産党の「人民新聞」にイラストや記事を書いたり、書の道でも相当なセンスを見せたり、実に多岐にわたってその才能を発揮したいわさきさんですが、彼女が生涯通してテーマとして掲げ続けたのは「子どもの幸せと平和」です。

その根っこには、やはり自身の戦争体験が大きく影響しているのでしょう。

 

画家への夢は両親の反対や不幸な結婚によって一時は断念しますが、画家・中谷泰の「水浴」という作品に出会ってから、彼のもとに師事し、再び絵の道を歩み出します。

 

いわさきさんの絵と言えば、独特の滲んだ色彩による黒目がちな子どもの絵が思い浮かびますが、当時の作品には油絵もたくさん残っています。

展覧会では、あまり私たちになじみのないはっきりした輪郭のデッサンも数多く見ることができます。

 

いわさきさん自身が、自分の絵の表現の変化を「豹変」と言っています。

彼女が何を思い、何を感じ、あのふわっと漂うような水彩画に行き着いたのか。

色々と想像させられます。

 

展示物の中で圧巻なのは引き延ばした巨大な拡大絵本原画。

全体的な印象の中で見逃してしまいがちな滲みや掠れなどの微妙な変化を確認できます。

よく知った絵本から、また新しい物語が読める気がします。

 

恒例のグッズ売り場もなかなか充実してます。

いわさきさんのイラストはキャラクター化しにくいので(いい意味で)、ぬいぐるみとかにはなりませんが、その分美しいイラストを楽しめる食器類や文具類、ポストカードなどが多くありました。

 

ただ、ポストカードは20枚とか10枚のセット販売があって、その中の1枚が欲しくてもバラ売りしてくれないのが悲しかったです。

 

この京都での展覧会は今月の25日まで。

次は2019年4月20日から5月26日まで福岡アジア美術館を巡回予定です。

 

 

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【絵本の紹介】「ぼくはくまのままでいたかったのに……」【291冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今年は妙に暖かい冬ですが、これではクマも冬眠を忘れてしまうんじゃないでしょうか。

今日はピリッと風刺の効いた大人向け絵本「ぼくはくまのままでいたかったのに……」を紹介します。

作:イエルク・シュタイナー

絵:イエルク・ミュラー

訳:大島かおり

発行日:1978年10月15日

 

ミュラーさんの絵が非常に印象的です。

光と影が感じられる美しいタッチ。

キャラクターの描写は風刺的で滑稽ですが、どこか物悲しさも漂わせます。

 

そしてシュタイナーさんの物語はとても深く心に響きます。

読みようによってはかなり恐ろしい話でもあり、それだけに考えさせられます。

 

森で暮らすくまは、冬が近づくと洞穴に入って冬眠します。

ところが、何も気がつかずに眠っているうちに、人間たちが森へやってきて木を切り倒し、あろうことかくまの眠る洞穴の真上に巨大な工場を建ててしまいます。

眠りから覚め、外に出たくまは自分の目を疑います。

森はすっかり消えてしまっていたのです。

 

そこへ工場の職長がやってきて、くまを見るなり、

おい おまえ、とっとと しごとにつけ

と言います。

 

くまは驚き、自分がくまであることを主張しますが、職長はじめ、工場長に至るまで誰もくまの言うことに耳を貸してくれません。

とうとうくまは社長のところへ連れて行かれます。

社長はくまの言うことをまるで本気にしませんが、退屈しのぎにくまを連れて動物園やサーカスを回ります。

 

動物園のくまからも、サーカスのくまからも、くまは本物のくまであることを認めてもらえません。

みんなから笑われ、くまはもうどうしていいかわからなくなってしまいます。

工場に連れ帰られたくまは、とうとう言われるがままに髭をそり、労働者として仕事につきます。

来る日も来る日も機械に向かって作業を繰り返すくま。

 

やがてまた冬が来て、くまは眠くてたまらなくなります。

居眠りばかりのくまは、職長からクビを宣告されます。

 

晴れて自由の身になったくまですが、これからどうしていいかわかりません。

モーテルで休もうとしますが、受付の男から「労働者はとめてやれない」「くまじゃ なおさらね」と断られます。

 

くま」と呼ばれてびっくりしたくまは、森の中へ彷徨いこみます。

洞穴の前に座り込み、くまは考え込みます。

なにか だいじなことを わすれてしまったらしいな

雪がくまの体に降り積もって行きます。

 

★      ★      ★

 

環境破壊、労働問題、差別と偏見……様々なテーマを内包した物語ですが、ここではアイデンティティの問題を核にして読んでみたいと思います。

哀れなくまの自己が揺らいでいく様子はとても切ないものです。

しかし、それは現代社会を生きる私たちにとっても起こりうることなのです。

 

自分が何者であるか」という問いに、平常なら自信を持って答えることができる人でも、果たして周囲の世界が一変してしまうような状況においても同じように確信を持てるでしょうか。

 

普通、我々は「自分が何者であるか」は、自分が一番よく知っていると思っています。

けれどもそれは本当でしょうか。

 

「自分が何者であるか」は、実は「他者にとって自分が何者であるか」に依拠しているとは言えないでしょうか。

「何者であるか」という問いの中には、すでに他者との関係性が組み込まれているのではないでしょうか。

 

普段は気づかずとも、我々の価値観・判断基準・行動規範は驚くほど「外的な要素」に支配されています。

だから現代においても「洗脳」という恐るべき状況が起こるのです。

 

それが大げさだとおもうなら、直近の話では、ハロウィンの渋谷での暴動事件なども例に挙げられます。

あの暴動に加わった人々は、一体何に突き動かされていたのでしょうか。

 

人間の自我は最初は他者から与えられるものかもしれません。

しかし、成長に従って、やがては「真の自分」に気づくことができます。

何故なら、自分の内面をよくよく観察すれば、そこには自分ですら気づいていなかった「もう一人の自分」が存在しているからです。

 

人間とはその本質において一人では存在できません。

自我を認識するためには、必ず自分の前に「もう一人」を対峙させる必要があります。

ただしそれは他人でなくても可能なのです。

自分の中の「もう一人」に気づくことさえできれば。

 

これは、そんな自己認識を問うような物語でもあります。

くまが可哀そうすぎる

読後感が悪い

という感想も見かけますが、最後のカットと裏表紙から、私はくまがちゃんと自分自身を取り戻したことを信じています。

 

推奨年齢:小学校高学年〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

社長部屋のインテリアデザインの趣味の良さ度:☆☆☆☆

 

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