1年生になれなかった話

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

新型コロナウイルス感染拡大に伴って緊急事態宣言が発令されることになり、私の住む大阪市でも休校延長が決まりました。

昨日は息子の小学校入学式予定だったんですが、延期になりました。

かなりギリギリの発表だったので、知らずに学校行った人もいたみたいです。

 

うちはもう4月になった時点の様子を見て入学式は欠席することに決めてたので同じことなんですけど、教科書配布とか今後の予定とかどうなるんでしょうか。

いまだに発表がありません……。

これについては学校側も大変な混乱状態でしょうから気の毒ですけど、遅いですよね、色々と。

だって1〜2月ごろから対策の猶予はあったんですから、一応最悪を想定しておくべきだったと思うんですが。

私でも入学式までに自体が収束しないことは予想できたのに。

 

さて、これからどうしますかね。

妻は「やっと昼の間だけでも自分の時間ができると思ったのに……」と落胆してますが、仕方ありません。

休校はとりあえずGW明けくらいまでのようですけど、どうでしょう。

言いたかないけど、それも無根拠な気がします。

むしろその頃がピークじゃないかな。

 

下手すると半年〜1年くらい学校行けないかもしれません。

そうすると自宅学習の準備を進めて行かなければなりません。

 

そのあたりはやっぱり海外の対応は迅速で、ロックダウン下のNYでは1週間でオンライン授業の体制が整えられたようです。

日本では……まあ、無理でしょうな。

やってくれるのかしら。

 

別に小1の授業が遅れたからってどうってことないですけど、私としてはそろそろ息子に友だちも欲しいし、集団生活を経験させるとか、親以外の大人と接触させるとか、そういう面で小学校の意味を考えてたんですが。

息子のいわゆる「学力」については、あまり気にしてないしここでもさほど触れてきませんでしたが、毎日絵本や児童書、図鑑に囲まれて生活する中で、自然と言葉や科学知識を身に付けています。

「お勉強」をさせたことは一度もありません。

全部遊びの中でやってきました。

 

だから学校授業のプログラムとは合致していません。

例えば読み書きレベルに関しては、小学校高学年でも習わないような漢字も読める(調べて書くこともします)一方、「書き順」は我流です。

科学知識は豊富で、簡単な足し算引き算は理解してますけど、九九は言えません。

 

私の考えとしては「暗記」に関することはもう少し成長してからの方がいいと思ってます。

丸暗記学習に意味がないとは思ってなくて、子どもの成長過程で丸暗記そのものを楽しめる時期があると考えています。

だから九九を2年生でやるのは割と適切なんじゃないかなと思います。

それまでは興味あることを自然に覚えてしまう以外に記憶力を酷使するべきではないと思います。

 

息子の時間感覚はいまだに目覚めてません。

今日ご飯何回食べた?」「何時に起きた?」と訊いても答えられません。

昨日のことでも、一昨日のことでも「さっき」で表現します。

 

しかし一方、こちらが驚くほどの記憶力を見せることもあります。

息子はアニメは見ないけど漫画は読みます。

大長編ドラえもんのび太の恐竜」という漫画は、私が子どもの頃買ったものを実家から持ってきた本なので、相当古い。

確か49刷くらい。

で、それが先日、とうとうバラバラに裂けてしまったので、古本屋で同じのを買って来たんです。

それが104刷くらい。

 

すると息子は開いて5分も読まないうちに「49刷と104刷での改訂箇所」を次々と指摘し出したんですね。

「早い」が「速い」になってるとか、平仮名が漢字になってるとか、文字が大きくなってるとか、ルビがふってあるとか。

捨てる予定だった49刷を持ってきて確認してみると、本当でした。

これにはちょっと鳥肌立ちました。

 

「今日ご飯何回食べたか」は覚えてられないけど、こういうのは実に細部にわたって覚えているんですね(覚えてるのか、ぱっと見た時の違和感でわかるのか)。

つくづく子どもは不思議です。

そして努々侮るべからず、です。

 

自宅学習の話でしたね。

まあ、小学校以上の学生たちは大変だと思います。

だからこそ「主体的に学ぶ」仕方を幼いうちから身に付けておくことが重要なのです。

特にこういう非常時には明暗を分けることになるかもしれません。

 

息子にとって問題なのは勉強よりも運動面です。

公園のような広い場所でも、子どもたちが集まって遊ぶのは危険かもしれません。

息子に思いっきり運動させたいのに。

息子と二人で鬼ごっこはこっちの体力が続かないので、これからは友だちと遊んで欲しかったんですが。

 

まだ当分は、楽させてもらえそうにありません。

 

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

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【絵本の紹介】「セロひきのゴーシュ」【371冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

さて、新年度を迎えたわけですが、世界はいつ収束するともわからないウイルスとの戦いに恐々としたままです。

東京も封鎖するの? しないの? やっぱりするの? 的なやり取りが繰り返されてます。

すでに封鎖された他国の都市で生活されている人から「何が必要か」と聞くと、食料品や日常品の備蓄は当然ながら、「本」という声が実に多いようです。

 

やはり人はパンのみに生きるにあらず、なのです。

大人も子どもも、今こそたくさんの本を読みましょう。

最近の研究では健康長寿のためには食事や運動に加えて「読書習慣」が重要であるということが報告されています。

 

今回は夭逝の詩人・宮沢賢治の児童文学を絵本化した「セロひきのゴーシュ」を紹介します。

作:宮沢賢治

絵:茂田井武

出版社:福音館書店

発行日:1966年4月1日

 

セロというよりも「チェロ」と呼んだ方が一般的かもしれません。

四本弦のヴァイオリンのような楽器です。

宮沢賢治自身もセロの演奏を学んでいたそうです。

 

宮沢作品については今さら私ごときがどうこう評するのも憚られますが、実に多くの傾倒者を生んだ作家です。

それはひとつには「銀河鉄道の夜」などに代表される彼の作品から読み手に伝わる豊かなイメージの力だと思います。

 

彼の思想はイメージと不可分に結びついていることで、感情を通して直接流れ込んできます。

それだけに、その世界を絵にすることは難しいとされています。

 

茂田井武さんによるこの「セロひきのゴーシュ」は、今なお宮沢賢治を原作とした絵本作品の中で最高峰の一冊とされています。

そして同時に、茂田井さんが文字通り命がけで取り組んだ最後の絵本作品でもあります。

その経緯は後にして、まずは内容をざっと読んでみましょう。

 

町の楽隊のセロ弾きであるゴーシュは、仲間のなかで一番下手。

今度の町の音楽界で演奏する第六交響曲の練習でも、一人だけ楽長から何度もダメ出しをくらいます。

ゴーシュは懸命に弾きますが、楽長からは演奏に「表情が出てこない」「ほかの楽器と合わない」とボロカスに言われて、悔し泣きします。

家に帰ってからもゴーシュは顔を真っ赤にして練習しますが、うまく行きません。

 

その夜、いっぴきの三毛猫がゴーシュを訪ねてきて、演奏を聴いてあげると言います。

ゴーシュは「なまいきだ」と腹を立て、ひどい演奏をして猫を苦しめ、さらにいたぶって追い出します。

 

ところがそれから毎晩のように動物がゴーシュを訪ねてくるようになります。

ドレミファを教わりたいというカッコウ、小太鼓とセッションをしたがる子だぬき、演奏で病気を治してほしいという野ねずみの親子。

ゴーシュはそれらを鬱陶しがりながらも、徐々に態度を軟化させていきます。

そして彼らとの交流の中で、次第に演奏にも変化が現れます。

 

音楽会本番、ゴーシュたちの演奏は大成功をおさめます。

さらにアンコールを求める聴衆に、楽長はゴーシュが一人で何か演奏するように言います。

ゴーシュはやけくそであの猫を苦しめた「インドのとらがり」を弾きますが、意外にも聴衆はじっと聴き入り、楽長からも褒められます。

ゴーシュはいつの間にか以前とは比べ物にならないくらい上達していたのです。

 

★      ★      ★

 

ここには楽器の熟達を通じて、人間が何かを学ぶということについて描かれています。

顔を真っ赤にし、全身に力を込めて演奏しようとするゴーシュ。

いくら熱心であっても、それでは楽器の演奏はうまく行きません。

 

ゴーシュの「力み」は、動物たちへの傲慢で狭量な態度からも読み取れます。

しかし、物語が進むにつれ、少しずつゴーシュは彼らに心を開き、素直さを見せ始めます。

そして同時に、これまでの頑なな自分自身の殻を破る勇気も持ち始めるのです。

 

単に指先の鍛錬だけでは、真にレベルの高い演奏には辿り着けません。

上記のような精神的・人間的成長があって初めてそのレベルに到達できます。

逆に言えば、だからこそ人を感動させることができるのです。

これは楽器に限った話ではなく、あらゆる芸術につながることだと思います。

 

この素晴らしい絵を描いた茂田井さんですが、彼に「セロひきのゴーシュ」の挿絵を依頼した「こどものとも」編集長の松居直さんが、1984年3月号の「別冊太陽」にその経緯を詳しく書かれています。

 

松居さんが茂田井さんの家を訪ねた時、茂田井さんは持病の喘息が悪化して臥せっており、奥さんが出てきて仕事の話を断ろうとしました。

すると話を聞いていた茂田井さんが「あがってもらいなさい」と声をかけます。

病状を気にして帰ろうとする松居さんに、茂田井さんは「賢治のゴーシュでしょう。それが出来るなら、ぼくは死んでもいいですよ」。

そして実際、1956年に「こどものとも」第2号として「セロひきのゴーシュ」が発表された翌年、茂田井さんは息を引き取ってしまいます。

 

別々の時代に生まれ、共に若くしてこの世を去った薄命の詩人と画家は、絵本という形で見事な合奏を実現したのです。

 

推奨年齢:5歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

「インドの虎刈り」「愉快な馬車屋」聴いてみたい度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「セロひきのゴーシュ

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文化芸術の危機を「フレデリック」から考える

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

どうも、予感は悪い方向に当たるみたいです。

先月来、ちょくちょくコロナに関する心配を綴ってますが、事態は収束どころか悪化の一方を辿っています。

今日は志村けん氏の訃報が世間に衝撃を与えています。

 

うーん……本当に4月から学校再開するの?

誤解する人たちがいそうですけど、学校再開=コロナ収束ではまったくないですからね。

もちろん、いつまでも休校を続けていると様々な問題があるのはわかります。

でも、そもそもそれらのケアを含めての休校でないと意味がないんですよね。

 

私の息子はまだ就学前だし、最初からどこの幼稚園にも保育所にも行ってないので、「家で過ごす」のは常態です。

最近は百人一首を覚えて遊んでます。

でも、やっぱり何日も家から出ないで過ごすのは親子ともにストレスです。

お気に入りの科学館も博物館も軒並み休館なので、公園しか行くとこないんですけど、以前のようにのびのびと遊ばせる気持ちになれません。

なるべく人のいないところで一人遊びさせ、しょっちゅう手を洗わせ……疲れます。

 

それでも、本当は家から一歩も出ないべきなのかもしれません。

他国のコロナ対策を見ればわかる通り、本来「家にいてください」と要請する時は「生活は補償します」がセットであるのが常識です。

そうでないと、誰だって仕事を休めないでしょう。

親が仕事休めないと、小学校なんか休校できないでしょう、本来は。

 

ここで補償というのは現金支援のことですけど、その点で私が気になっているのは文化芸術に関わる人々が今、大変な状況になっていることです。

コンサートやイベント、落語などの舞台演芸、演劇などが次々と中止を余儀なくされています。

 

これについて文化庁長官が「文化芸術に関わる全ての皆様へ」というメッセージを発表しています。

読んでみると具体的な補償や支援についての内容はありません。

収入が絶たれてしまうアーティストやイベント関係者が、瀕死の危機に直面しているのに、です。

 

絵本屋のブログにしては変なことばかり書いていると思われるかもしれません(今さらかな)。

私だって、ここでこんなこと言いたくないです。

絵本と子どもの話だけしていたい。

 

でも、本当の意味で子どものことを考えれば、こうしたすべてのことに言及せざるを得ません。

 

今のところオンライン絵本屋という商売にとって、コロナは深刻な影響は及ぼしていません。

しかし、上記の文化芸術の軽視(としか思えません)は、けっして他人事だとは思えないのです。

 

この国の政治家の多くは文化芸術を「しょせんは娯楽」と見ているのです。

彼らの物差しは「金」だけです。

「金になる」文化は認めるけど、「金にならない」文化は消えても仕方がないと、本気でそういう発言をする人が何人もいます。

それを当たり前のように受け入れる人々も大勢います。

 

以前レオ・レオニさんの「フレデリック」を紹介した時にこの問題に触れました。

 

≫絵本の紹介「フレデリック」

 

皆と一緒に冬の食料を集めない詩人ねずみのフレデリックは、今の社会で言えば「生産性がない」メンバーです。

しかしコミュニティにおける「精神の荒廃」の危機は、フレデリックによって救われます。

 

「金」だけを物差しにすると、フレデリックは仲間に「食わせてもらっている」と映るかもしれません。

でも、本質はそうではない。

しかし、それに気づかないような人々が多数を占めつつあるのではないでしょうか。

 

何かしらの文化芸術が注目を浴びたとすると、たいていそこに「経済効果」という言葉が出てきて、「金の話」に切り替えられます。

あまりにそういう光景を見過ぎたせいで、私たちはそれを「変だ」とか「品がない」とか、感じなくなってきているのではないでしょうか。

 

今回、絵本というメディアは「たまたま」直接的被害が少なかったかもしれません。

でも、文化芸術を軽視する風潮がこのまま主流になれば、いつか必ずその矛先は絵本業界にも向けられます。

その時彼らが口にするセリフは想像がつきます。

しょせんは子どもの玩具である絵本に、金をかける価値があるのか」です。

その時、先人たちが懸命に残そうとした文化は破壊されるでしょう。

 

レオニさんが危惧した「フレデリックのいない社会」に、私は住みたくないし、子どもたちをそんな荒廃した世界に住ませたくありません。

 

 

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